久しく讀み返していなかった天藤真の處女長編。ユーモアや機知というものが作品のみならず作者の風格としてあるが為、ド派手じゃなければミステリじゃない!みたいな偏見で頭がイッパイだった學生時代に讀んだときにはどうにもピンと來なかったのですけど、今回再讀してみてユーモアや機知とともにいわゆる「弱者にたいする優しいまなざし」も合わせて作品と相対することでこの作品の素晴らしさは理解出來るのカモ、と感じた次第です。
物語の語り手は計理事務所に勤める男性で、彼の淡々とした語りと事件の全体を見つめる視点が非常にニュートラルに感じられるところがまず秀逸で、殺されるのが組合と揉めている強欲社長。こいつが武家屋敷さながらに鉄条網をめぐらせ、さらには鍵でシッカリと施錠された部屋の中で死んでいたのだが果たして、――という話。
組合との対立など、動機に絡めた背景が序盤からじっくりと描かれていき、事件が発生するまでがやや冗長に感じられる鷹揚さが昔風味のミステリながら、実際の密室事件が明かされてからは容疑者たちへの聞き込みもアッサリと流して、件の三重密室の謎へと移行していく展開が軽妙な語りとともに描かれていく構成がいい。
中盤には、唐突に登場した自称社長妻も登場させて、三重密室の意義を根本からひっくり返すような爆弾発言をしてみせるところなど、事件そのものを違った視点から眺める事を促す伏線の張り方も巧妙で、組合と社長の対立という、事件の軸をあからさまに過ぎるくらいにハッキリと提示しながら、それを社長の側にいる計理士の視点から描いていくところには完全に騙されてしまいました。
冒頭のゴロツキめいた組合の連中とのやりとりも讀み返してみれば、ある種のミスディレクションとして機能しているようにも讀めてしまうし、ミステリの結構として見ればあからさまな探偵役がノッケから登場する譯ではないところへ、この語り手が社長の立場に近しいところから事件を語っていくという巧妙さ、そして陽気な容疑者たちも含めた登場人物とのやりとりにユーモアと機知を交えて描かれた風格がまた、この結構の違和感を隠蔽している技巧も素晴らしい。
確かに三重密室という大ネタをブチあげつつ、それを中盤、まさに卓袱台をひっくり返すがごとくにご破算にしてしまう展開には口アングリだし、密室のトリックそのものも、三重の意味を抛擲した内容といえばその通りで、三度のメシより密室が好きなマニアからればこのあたりに大きな不満が残るかと推察されるものの、個人的には、本作で着目すべき技巧はやはりこの風格ならではこの語りの中に隠されてしまった「あの人たちがあんな陽気な容疑者だった、ほんとうの理由」ではないかと思うのですが如何でしょう。
そしてワンマンで強欲な社長というキャラと対比させるかのように構築された密室トリックも、天藤ミステリの弱者にたいする優しいまなざしを考えれば大いに納得出来るものであるし、また真相が明かされて初めて、事件の周囲を取り巻く登場人物たちの思惑と隠されていたものが判明するという仕掛けにも納得です。
どうにも密室ネタがショボいと、その他の技巧や考え抜かれた構成も無視して作品そのものにダメ出ししてしまうというマニア的な風潮は改められるべきという気が最近していて、最近では「世紀末大バザール 六月の雪」や「理由あって冬に出る」を典型に、密室の外枠を支えている事件の結構に着目して作品を愉しまないと勿体ないんじゃないかなア、なんて貧乏性の自分は考えてしまいます。
ユーモアというよりは事件も含めた優しい雰囲気に外連味や派手さこそないものの、シンプルな密室トリックの外に巡らされた作者の巧緻な仕掛けを堪能したい佳作といえるのではないでしょうか。