筒井康隆とあれば収録作のほとんどは再讀の再讀あたりになってしまう譯で、寧ろふしぎ文学館というというレーベルの中でどのようなセレクトを行っているのか、そのあたりの編集のこだわりに注目してしまいます。本作では、筒井氏らしいブラックでハジけた作風のものは退けて、叙情と虚無といった雰囲気をイッパイに凝らした幻想小説をフィーチャー。まさにふしぎ文学館の一冊らしい仕上がりに大満足の逸品です。
収録作は座敷ぼっこと教師の交流を叙情溢れる筆致で見事に描いた表題作「座敷ぼっこ」、地下の怪物と猫たちの壮絶な死闘「群猫」、車ロボと主人のやりとりが哀愁を誘う「お紺昇天」、宇宙人に遭遇した野郎の空しき独白が光る「ベムたちの消えた夜」、牛になってしまった弟と姉との隠微な關係「姉弟」、SF風の舞台にアウトサイダーの無常観が堪らない「白き異邦人」。
超巨大化した蝶の變化を少年日記の語りで不気味に描いた「チョウ」、時空を往き来できる不思議女の物語に仕掛けを凝らした「時の女神」、人間が植物になるという奇想に社會批判を据えて夫婦の哀愁を描き出す「佇むひと」、昔語りフウの饒舌な文体にねじれた仕掛けが秀逸な「遠い座敷」、懐かしき過去を振り返る大人の視点の中にさりげない不気味さを添えた「かくれんぼをした夜」。
筒井式変形タイムトラベルの趣向に引き込まれる「秒読み」、夢ネタに視點をずらした奇想と最後の一言が余韻を残す「夢の検閲官」、子供語りに時空がねじれまくるふしぎ小説「北極王」、動物と人間を混交させた変身譚を私小説フウのひねくれた文体で開陳する「禽獣」、夢とリアルの境界のねじれを巧みな文章で操作してみせる「家族場面」、そして恐怖小説の名作「母子像」など、全二十五編。
叙情と哀愁の風格を前面に押し出して優しい余韻を残す逸品が「時の女神」で、幼少時代に出会ったことのある女性と男はやがて結婚し、子供が生まれるのだが、……とこれだけの短い頁數の中に時間ネタで極上の仕掛けを凝らしているところが素晴らしい。このあたりをさらりと書いてしまうところが天才たる所以でしょう。
時間ネタのほかに収録作の中で印象的なのは、夢や記憶を扱った作品で、「秒読み」は過去に遡った意識が微妙な變化を見せていく課程をこれまた短い頁數の中にシッカリと盛り込んでいるところが印象的。「かくれんぼをした夜」は、SF的な趣向こそ見られないものの、表題作「座敷ぼっこ」にも通じる不思議な少年をさりげなく配して、老境から子供時代を振り返る郷愁と、そこに添えられた不気味さが印象に残ります。
昔讀んだ時にはあまり意識していなかったのですけど、最後の一文が宙吊りにも似た、何ともいえない讀後感を醸し出すところも素晴らしく、例えば「姉弟」は、ネタ的には弟が牛になってしまい、姉は弟を病院に連れて行くも、……というシンプルな変身譚を装いつつ、「牛の背中は汗ばんでいた」というラストの一行にコルサタルの「占拠された家」を彷彿とさせる、姉弟の隠微な關係を妄想してしまったのは自分だけでしょうか。
「夢の検閲官」は、夢の舞台に登場させる人物の選定を行う検閲官の視点から、そのやりとりをユーモラスに描きながら、最後の一行には登場人物となるべき人物の意志を宣言させる台詞を添えて印象的なラストへと昇華させています。このあたりもやはりうまいなあ、と思った次第。
「チョウ」は昔讀んだ記憶がないのですけども、小さなチョウがやがて大きくなるにつれて人々からけむたがられていくという、やや定番の展開から何処か不気味なラストへと流れるまでを少年の日記の結構で描き出しているところが秀逸です。
子供の語りというところでは「北極王」も、まさにふしぎ、としかいいようがない小説で、北極の王様から招待状が送られてきて、北海道からソ連を通って王様に会いに行く、というところを淡々と描いていきます。これまた最後の一文で、子供の妄想なのか、それとも物語自体をフィクションに纏めるのか、そのあたりを宙吊りにしたまま、妙な余韻を残しているところが堪りません。
「遠い座敷」や「家族場面」は、例によって飄々とした文体から時空がねじれまくるお話で、夢とリアルが境界のあわいを消失してトンデモない方向へと流れる「家族場面」、そして、昔話フウな体裁ながら饒舌な語りを仕掛けにして時空のねじれへと迷い込む描写が光る「遠い座敷」と、いずれも語りの技巧に着目したい短編でしょう。
何だかセレクトによって恐怖小説集にもなれば、ブラックな味わいの一冊にも變じ、また本作のような叙情、郷愁、虚無感をイッパイに醸し出した極上の幻想小説集にもなったりと、その作風の多彩さにあらためて驚かされるとともに、これだけ再讀に耐えうる逸品が目白押しという、まさに天才、奇才の想像力にはもう脱帽。
「母子像」は讀むたびに、ある時は例の猿のオモチャと亜空間の恐ろしさが際だち、またある時は件の「母子像」の美しい情景に呆然とし、――というふうにその時その時で印象が異なる作品で、ふしぎ文学館の一冊ゆえか今回の再讀では、叙情とともに決して妻と語ることのかなわぬ男の虚無感がより強く感じられたような気がします。
そろそろ全巻制覇も見えてきたふしぎ文学館シリーズですけど、今年はイッキに三冊もリリースされてマニア的には嬉しい限り、来年もこの調子でこのシリーズならではセレクトで魅せてくれるのではないかと期待してしまうのでありました。