第四回本格ミステリ大賞の選評を讀んでいたら、本書について加賀美雅之氏が熱っぽい調子で以下のようなことを書いてまして、
「……私が大賞の最有力候補と考えていた石持浅海氏の『月の扉』が予選委員会での審査の結果、僅差で候補作から外されてしまったからです。
ハイジャックされた旅客機内という特殊な設定を背景に、徹底した論理的思考で読者の思いもかけない真相を暴いてみせる同作の端正な出来ばえこそ大賞にふさわしいと考えていただけに、予選委員の方々との評価基準のギャップに当惑している次第です。」
確かに彼のいうとおり、本作は端正な論理の構築が光る傑作であります。何度でも突っかかってしまうのだけども、何故「スイス時計」のような作品が殘って、本作のようなものが振り落とされてしまうのか、加賀美氏ならずともちょっと首を傾げてしまうところでありまして。
……というか、「本格ミステリ」という言葉の定義じたい謎で、そもそも「ミステリ」という言葉の意味付けだった個々人によって異なるのは当然だろうし、それに「本格」などという不可解な言葉を接ぎ木すれば、百人いれば百人の定義が存在しても不思議ではないでしょうに。このあたりは有栖川有栖もすでに認めているだけども、「本格ミステリ作家クラブ(準備会)設立に寄せて」という彼の言葉を讀んでも、「では本格ミステリ作家クラブはその百花繚亂ともなっている『本格ミステリ』というものをいかように定義しているのか」という疑問には答えてくれていない。というか、この文章、甚だ歯切れが悪いのであります。
「赫い月照」は「變格ミステリ大賞」であったら獲れたのかもしれないです。とはいっても、大賞をモノにした「葉桜」とても自分の中では厳密な意味では「本格ミステリ」ではないと思う譯で、……やはり「本格ミステリ」というのは自分の中では、「論理的な推理を伴う」ものであるべきだと思うし、そういう意味では本作「月の扉」などは当に「本格ミステリ」の傑作と呼ぶに相応しい出來映えだと思います。
「水の迷宮」を讀んだ時も感じたのですけど、この作者は謎解きの部分とサスペンスの融合をさせる技が素晴らしく、得てして退屈、複雑になりがちな謎解きも明快でわかりやすいのが良い。その一方でタイムリミットを設定していることからくる物語の盛り上げ方が見事。このサスペンスによってもたらされるエンターテイメント小説としての側面が氷川透のミステリとの大きな違い。その一方で氷川透の小説には軽妙なユーモアがあり、どちらが優れているという判断は出來ないですねえ。どちらも好き。
また事件に登場する人物が、犯人、被害者も含めて悪人ではないところがこの作家の特徴でしょうか。本作でもハイジャック犯は小市民に過ぎないし、最後にええっ?というような事件が発生するのですけど、その事件を行った犯人でさえも悪人ではない。まあ、その邊りが透徹した惡意に滿ち滿ちた「赫い月照」を讀んだあとではちょっと物足りないかな、というかんじだけども。
「水の迷宮」と同樣の厚さで文章も讀みやすく、謎解き、サスペンスを過不足なく滿たした本作はコアなミステリファンのみならず萬人に受け入れられると思います。