問題作でありながら個人的には傑作、というこれまた評價に困ってしまう一冊であるところは同じながら、近作「四神金赤館銀青館不可能殺人」とはその趣向が大きく異なります。「四神金赤館銀青館不可能殺人」にもホンの少しばかり添えられていたメタ的な構図が本作では大量投入され、さらにはこれまた最近のクラニーの作品では中核を担っている伏線が自家中毒を起こす寸前までに大量投入されているところがもう素晴らしすぎる逸品です。
そもそもが目次に目を通しただけでも、「エピローグ」から始まるという破格の構成、さらには「抹殺されたエピローグ」や「もう一つのエピローグ」「本当のエピローグあるいは……」と物語の始まりと終わりと交錯させたやり過ぎぶりからしてハジけまくり。
で、この「エピローグ」の冒頭の一文がこれまた「謎解きは終わった」と強烈で、二人の人物の死が「事實」として語られているものの、「解かれる謎が何であったか、それはいずれゆるゆると読者の前に立ち現れることだろう」と「信用できない語り手」が語るものですから、そもそもこの二人の死がこの物語の中心的な謎であるのかさえも判然とせず、また「信用できない」譯でありまして、謎そのものの正体をメタ的趣向の中へと隠蔽してしまう手法も巧みなら、この謎解きを二段構えの構造に見立てて讀者を驚かせてしまうところもいい。
死んだ人物の遺稿を皆で集まって朗読する展開から、この小説の中に「何か」の謎が隠されていて、それを登場人物たちが解き明かしていくのだろう、と普通のミステリ讀みであれば期待してしまうのですけども、何しろ作者はクラニーでありますから、そんなフツーの物語に纏めてみせる筈がありません。
この遺稿がワープロで打たれた原稿であるという設定を徹底して印象づけるため、いかにも素人くさい気取った文章を一昔前のワープロらしい、粗雑なフォントで見せているというこだわりぶりもナイスなら、朗読会がイヤっぽい漢字ドリルへと変じて讀者の笑いを引き寄せる風格も期待通り。
しかしここでもマッタク油断ならないのが、こうした仲間内のツッコミが實は強烈過ぎる伏線になっているところでありまして、中盤でこの遺稿に隠されたある「意図」が、これらの見事な伏線によって明らかにされるところでは愕然としてしまいましたよ。いや、眞相に驚いたというよりも、この伏線の凝らし方に吃驚した、といった方が正確かもしれません(爆)。
しかしここでまず明らかにされる眞相は同時にこの遺稿の「体裁」が、(以下伏字)冒頭で提示されている二人の死という「謎」を明らかにするミステリ小説ではなく、暗号小説であったというもので、さらにはこの「眞相」はあくまで「最後から二番目の真実」であることから今度はこの「眞相」の真意と真偽をメタ的に探っていくという二段構えになっています。
實を言うと本作、色々なところに伏線が凝らされまくっておりまして、途中に挿入される意味深なミステリ談義から、そもそもがそのタイトルまで、あらゆるものを伏線に変じてしまうクラニーマジックは「四神金赤館銀青館不可能殺人」以上ともいえ、得意のメタ的趣向が全体に凝らされているというその破格の構成ゆえか、「四神金赤館銀青館不可能殺人」のようなエンタメに流れる風格からは遠く離れて、内に籠もった作風や、繰り返し現れる詩的な情景によってヌーヴォー・ロマンをさりげなくリスペクトした雰囲気など、それでもやはり倉阪氏しか書き得ない異色作といえるのではないでしょうか。
さらに「信用できない語り手」という趣向を前半で高らかに宣言しながら、後半ではこの遺稿の作者をも抹殺して、すべてはアレだったと、これまた現代本格では中心的な趣向といえる(また伏字)操り(作中では「伏線」」とも「刷り込み」」とも語られている)を披露して、その遺稿が書かれた経緯に隠されていた意図を炙り出していく後半の展開も秀逸です。
そしてこの意図が明らかにされるや、遺稿の朗読会そのものもまたあるもののアレだったという告白も強烈で、これによって朗読会で語られていた「共犯者」という言葉の意味が變じてしまうという趣向も堪りません。
また途中で挿入される二人のマニアによるミステリ談義には倉阪氏のミステリ観がシッカリと語られていて、色々と引用してみると、
X「話を戻そう。異論は多々あるだろうが、ご高説のとおり、本格ミステリーの最も重要な構成要素は伏線であるとする」
X「では、伏線に関して、ほかの条件は何かあるか?」
Y「できるだけヌケヌケとした伏線、鼻の先に突き付けられているのに読者には見えない伏線というのが高得点だろう」
X「なるほど。で、肝心の織物だが、光の当て方を変えると別の柄が騙し絵のようにスーッと浮かび上がる。そういうたぐいのものを想像していいんだろうか」
特に「ヌケヌケとした伏線」なんて言葉は、中盤で遺稿の中に隠されたある仕掛けが明らかにされた時には、朗読会の最中に散々繰り返されるこの作品のタイトルを改めて眺めてみると口ポカンになってしまうこと請け合いで、このあたりの大胆さも大いに評價されるべきでしょう。
「四神金赤館銀青館不可能殺人」に比較すると、全体的にシリアスな雰囲気ゆえ、笑いの要素はやや少なめながら、それでも「安全饅頭」「王女様御成婚記念十割引!」、或いは「苗字が「だ」で終わる場合、「まり」や「るみ」という名前はつけない方がいい」なんていうのは爆笑もの、この仕掛けと雰囲気であれば全体を暗鬱なトーンで纏めることも可能ながら、それでも笑いを添えてしまうところはやはりクラニー、という譯で、このあたりもファンには堪りません。
それと作中作のタイトルは「紅玉の祈り」と「紅」を強調したものながら、個人的には後半に「動機」のひとつとして提示されるあるものから、案外本作は「紅玉」の「紅」ならぬ「見晴るかす蒼穹」の「蒼」、さらにいえば「蒼司」の「蒼」なんじゃないかなア、なんて妄想してしまいました。
という譯で、倉阪氏のバカミス志向が爆発した「四神金赤館銀青館不可能殺人」とはまた趣を異にして、氏の漢字ドリルとメタ志向を突き詰めた本作、これもまた伏線にこだわりまくる氏の一つの究極のかたちと言えるのかもしれません。「エピローグ」と「プロローグ」をメタ的な仕掛けによって破格の構成へと纏めたものながら、「四神金赤館銀青館不可能殺人」よりも分かりやすく、鏖祭などのエンタメこそ含まれていないものの、ミステリマニアであれば本作の方がその仕掛けと趣向から愉しめるのではないでしょうか。完全に人を選ぶ作風でありますが、クラニーファンは勿論のこと、安易なメタじゃない、本気のメタをご所望の方にオススメしたいと思います。