密室も含めての典型的な物理トリックを仕掛けに据えながら、それでいて動機やコロシの背景には社会派的な視点をシッカリと添えてみせるという風格がステキな一冊で、「岡田鯱彦名作選―本格ミステリコレクション〈2〉」を讀んだついでに手にとってみました。
収録作は、麻薬事件と劇場を舞台にしたコロシを交錯させ、推理の劇的な回帰構造が悲哀を喚起する「逃げる者」、現場に転がっていた真珠から秀逸な推理が流れ出す結構が素晴らしい傑作「二粒の真珠」、怪奇趣味を添えつつほとんどバカミスとでもいうべきトリックと精緻な推理が印象的なこれまた傑作「犠牲者」。
お偉いさんの失踪事件から抑圧されし者の悲哀が際だった「金魚の裏切り」、異様な物理トリックに相反してその大仰な社會派スタイルの動機が心に響く「犯罪の場」、密室のホワイダニットを導く細密な論理が印象に残る「暗い坂」。
コソ泥野郎が意想外な奸計にハマるブラックな味わいがタマらない「安らかな眠り」、奇天烈なガス殺しに暗い詩情を添えた「こわい眠り」、アリバイをこねくりだした犯罪構図が黒いオチに着地する「疲れた眠り」。
細かすぎるアリバイ検証から或る人物の暗い内心が炙り出される「満足せる社長」、戦争を絡めた動機をコロシに添えて最後に吃驚なオチを開陳する「古傷」、容疑者脱走を引き金に男女の爛れた奸計が黒い幕引きを迎える「悪魔だけしか知らぬこと」。
心理をテコにしたトリックは勿論のこと、時代の重みを動機に添えた犯罪構図が秀逸な「みずうみ」、ヒョンなことから暗殺をまかされることになったダメ男の困惑をユーモアタッチで描き出した「七十二時間前」、法律にシビアな小役人が幽霊となって自らの死を推理する「加多英二の死」など全十八編。
時に奇天烈にさえ感じられる物理トリックが本格ミステリ的にはキモながら、個人的に感心してしまうのはその推理の起こし方と、事件の解明後に皮肉な幕引きを添えてみせているところでありまして、推理という點に着目すれば、やはりトリックの解明を行う前の見立てが素晴らしい「犠牲者」が個人的にはピカ一でしょうか。
坊主が毒刃を手にしていた人形に殺された、という怪奇趣味さえ感じられるコロシの構図に、語り手の友人が探偵として挑むのですけど、犯人の心理に深く踏み込みつつ何故このような手段を用いてコロシを行ったのかというところをネチっこく推理していくところが秀逸で、その手法をこの探偵曰く、
「さっきふと思いついたんだが、この犯罪がある理論的構造を持っていると考えて、その構成の根本的原理からそれを解析していくということができないだろうか。つまり個々の証拠物件について部分的にそれ等の示すところを追求するのではなしに、全体の構造を一般に犯罪というものが持つ必然性に基づいて抽象的に解析していくことによって解決を自然に導き出す――」
「抽象的な解析」なんて言ってますけど、個々のブツに着目したネチっこい推理が本作最大の見所でありまして、「事件の構造的解析」を考えつつ、この犯罪が計画的なものなのか、という見立てから丁寧な推理を起こしていきます。
普通だったらあれだけ奇天烈な犯行現場に出くわしたら大方のマニアは人形の見立て殺人だのその物理トリックに飛びついてしまうのですけど、本作では探偵がまずこの犯罪の現場が犯人の意図によるものなのか、それとも偶然を伴ったものなのか、――その見立てから推理を起こしていくところが素晴らしく、またこれによって犯人の犯罪心理までもが少しづつ明らかにされていくという精緻な推理の流れが素晴らしい。
そのほかにも推理の独自性というところでは、「みずうみ」も印象に残る一編で、こちらではコロシのトリックを「現実の空間と心理的空間との相対的歪み」に着目しながらコロシともう一つの事件との交錯を紐解いていきます。「犠牲者」にしろ「みずうみ」にしろ何だか漢字が多くて難しいことをいっているようなところがアレながら、実際の推理の流れは非常に明快。人形を絡めたコロシの構図というところから「犠牲者」などは下手をすれば法水フウの超絶推理に転んでしまうやもしれないところを、衒学趣味はバッサリ抜きにして、事件の骨格だけを緻密な推理によって解き明かしていく手法はかなり好み。
また事件の眞相が明らかにされた後にブラックなオチを添えてみせたり、事件の関係者の意想外な連關を明らかにして讀者を吃驚させてみせる技巧も見事で、屍体隠蔽のトリックを添えた「金魚の裏切り」では、犯人の暗い動機とそのイジけっぷりが社會派的な雰囲気を濃厚に醸し出しているし、「古傷」では事件が解明された瞬間、とある一言でイッキに驚愕の眞相を明らかにしてみせるという仕掛けが光ります。
また思い切り黒いオチを際だたせたのが「眠り」という言葉をタイトルに添えた三作で、この中では受験に苛立つ語り手と家人との不安定な關係を事件の構図に据えた「こわい眠り」が好みでしょうか。またこの黒さがユーモアへと転ぶと、小役人が自分の死の背景を知って鬱になりながらも最後には笑い泣きの決断を行う「加多英二の死」になるのかなア、という氣がします。
いずれも精緻な推理、そして社會に生きる人間の悲哀ややるせなさを動機に据えた作品が個人的にはキモで、本格マニア的にはタマらない物理トリックにも勿論注目ながら、推理によって明らかにされた事件の様相が登場人物たちの悲哀を明らかにする結構をジックリ味わいたい、正に巧みの技による一冊といえるのではないでしょうか。
時に扶桑社の昭和ミステリ秘宝シリーズは去年に「横溝正史翻訳コレクション 鐘乳洞殺人事件/二輪馬車の秘密」がリリースされてマニアとしては嬉しい限り、個人的にはこの本格ミステリコレクションの再始動も大いに期待してしまうのでありました。