「恋文」や「紫の傷」に収録された短編ほどの強度は持たないものの、手紙や電話、写真、さらには嘘の告白と連城ミステリならではガジェットを多用した掌編をズラリと並べて、一家族の日常に起こるさまざまな「さざなみ」を描き出した連作短編集。
姑、嫁、旦那、娘、息子と三世帯で暮らす中、基本的に嫁の視點で物語は進むのですけど、作中で起こる日常の出来事がちょっとした事件へと転じるという展開を牽引していくのは基本的に女衆で、旦那や息子、さらには息子が惚れてしまった人妻の元旦那など、男衆はいずれもダメ野郞ばかりという、連城ワールドでは定番の布陣で魅せてくれます。
冒頭の「春ささやか」からして、不可解な手紙がポストに入っていて、……というところからいったい家族の誰に、何者がこの手紙を送ってきたのかというあたりを、嫁さんが様々な妄想も交えて推理していくのですけど、手紙という仕掛けに凝らされた逆転の構図は正に連城ミステリならではの秀逸さで、さりげなさの中にも作者の技が光ります。
續く「成人祝い」では写真が仕掛けのアイテムとして登場、ここに娘の不倫を訝しむ母親の視點からちょっとした「さざなみ」が家族の中にわき起こるものの、娘の部屋で見つけた譯あり写真の眞相がまた夫婦の実像を描き出すと絶妙なオチが堪りません。掌編だからこその、ド派手ではない、さりげなさの中に見られる反轉の構図の切れ味もまた鋭く、大きな事件も起こらない、いかにも普通小説を装った風格ながら、そこには連城氏ならではの技巧が見られるところもファンとしては嬉しい限り。
家族の者に決意を促す為にさりげない嘘をついてみせるという連城ワールドならでは操りも、連作短編全体を基本的に嫁の視點という定點から家族の様態を眺めてみせることでさまざまな物語を描き出しているあたりもまた見事で、「何となく……」では、夫婦仲が最近ちょっとアレで、旦那の浮気癖がちょっとアレ、みたいな伏線を凝らしつつ、そこへ妻がパートで働こうかしら、なんてさりげない「さざなみ」をたててみせます。
誰がどのような嘘をついてみせるのかという、謎があからさまに前に出ていない普通小説の風格だからこそ、讀者の側から登場人物たちの本音を邪推してみる愉しみもある譯で、物語も後半に進むにつれ、今度は「白光」で開陳してみせた痴呆老人ネタまでをも披露、嘘とボケという二重の意味で話者の眞意を隠してみせる技を見せてくれます。
「秋風のとげ」では、痴呆老人めいた様子が最近心配、という姑が突然倒れてしまうのですけど、入院先の病院でフと呟いた言葉の眞意が話者と聞き手の間で奇妙な捻れを起こしていきます。その眞意が明かされたあと、嫁の「推理」がさらりと語られるという、普通小説として見ればごくごくありふれた構成ながら、ミステリ的な趣向を凝らした連作短編のひとつとして讀むとアラ不思議、これが謎そのものを後退させて事件の発生から推理、そして眞相の開示というミステリでは定番の結構を崩しつつ、眞相の開示から推理の過程という流れの中で家族の人間關係を描き出してみせるという、奇妙な・莖倒を持った構造の作品であることが分かります。
またこの姑と嫁の關係の中に、冴えない男の旦那を置いて、三人の關係がこれまた連城氏らしい転倒を見せるのが「窓」で、姑は入院して今後は介護も必要だから、嫁は最近ノリノリなパートの仕事もやめなくちゃいけなくなる状況に。こんなリアルに振った物語の展開の中でも、姑と嫁の会話の中へ転倒の構図を添えて二人の関係を劇的に變えてしまうのが連城マジック。
息子として、そして夫として、二人の女が一人の男を取り合うという、嫁姑の關係を描きながら、それが姑の病気と介護の必要という「さざなみ」をきっかけに、嫁が決意をもって姑に語る言葉というのが、
「これまでは達哉をお義母さんから奪いとることしか考えてなかったけど、どうもそれ失敗したみたいだから……今度はお義母さんを達哉から奪いとってみようかって」
自分などは、この言葉のおかしさに「終章からの女」の動機にも通じる転倒を見てしまうのですけど、初期作品以外は連城にあらず、「恋文」以降の普通小説を装ったものはミステリにあらず、なんていう方にも、こういった讀み方を愉しんでもらえると嬉しいんですけど、ダメですかねえ。
基本的に嫁の視點で家族の様態を描いていきながら、最後はこの大家族の中では外から来た或る人物のエピソードでこの物語は幕を閉じます。初讀時はこのあたりにちょっと違和感を持ってしまったのですけど、今讀むと奇天烈な事件の發生しない、あくまで家族の中におこる「さざなみ」のようなさりげない出来事を扱っている物語ゆえ、ヘタをするとこのままマッタク落としどころもなく永遠に續いてしまうような物語だからこそ、家族の中では外にいる人物を描いてみせることによってこの家族の物語の輪郭を描き出し、それによって幕引きとしたのカモ、――なんて感じた次第です。
勿論、登場人物が後半でふと語っているように、「さざなみ」の繰り返しの中でも、「何か目には見えない大きな波のうねりに乗っているみたい。こちらがいくら必死でくいとめようとしても変わるものは変わっていくし……いくら変えたいと必死になっても変えられないことはあるし」というところもある譯で、日常の些細な出来事の連鎖の中に、実は大事件が進行していて、……みたいな初期連城的なノリの方がイイ、というのもミステリファンとしてはその通りなのですけど、本作では、普通小説の結構の中に添えられた技巧から連城ミステリの精神性を探る、みたいな讀み方をしてみるのが吉、でしょう。