幻の名作という副題通りに、この本じたいも幻の一册でなかなか見つけることが出來なかったのですけど、ついに讀むことが出來ました。奇才、狩久の「らいふ&です・おぶQ&ナイン」が讀めただけでも大滿足なんですけど、何だかそれ以上に怪作珍作が目白押しで、キワモノマニア的にも當に至宝の逸品、といえるのではないでしょうか。
収録作は、バカミス的奇想が強烈な幻視を喚起する本田緒生「謎の殺人」、娘からオンナへの成長に奇妙な言葉の暗喩を絡めた地味井平造「人攫い」、男の歪んだ妄想が生み出した可能性の犯罪の結末は――瀬下耽「やさしい風」、社会派フウの背景に圍碁ネタを軽く添えた水上呂理「石は語らず」、双子の片割れが美人妻を娶った兄イを嫉妬して發狂死を目論むグロと幻想の怪作、光石介太郎「三番館の蒼蠅」。
死んだ妻と再会した男が夢とリアルの間隙を溶かしていく、我らがキワモノマニアのヒーロー朝山蜻一の「フロイトの可愛い娘」、氷川瓏の「陽炎の家」、ルンペンと地味オンナの二つの死のミッシングリンクを昭和風社会派推理の風格で描き出した香住春吾「暗い墓場」、シェイクスピア盡くしの衒學趣味に虫太郎へのリスペクトが濃厚に感じられるコード型本格の佳作、宮原龍雄「マクベス殺人事件」、自分の葬式をショー化してナンセンスの極みを爆發させた當に怪作、奇才狩久の「らいふ&です・おぶQ&ナイン」、インチキ宣教師の挑発に乘せられた小僧がホンモノの奇蹟を現出させる惡魔主義のこれまた怪作、新羽精之「天童奇蹟」の全十一編。
まずは何をさしおいても狩久の「らいふ&です・おぶQ&ナイン」なのですけど、とにかくその奇想とナンセンスぶりには完全に脱帽でありまして、一般讀者の嗜好を完全に無視して狩久節を炸裂させる風格はそれだけでもう奇蹟。
物語は、狩久の葬式の招待状を暗號形式で受け取った面子が參集すると、テープにあらかじめ録音されていた主催者狩久の音声が部屋中に響き渡る。果たしてこれはナンセンス野郎狩久の惡戲なのか、それとも或いは奴は生きていて、……という参加者一名の妄想から宇宙人ネタまでをもブチ込んで、全編にブッ飛んだ推理が繰り出されるというシロモノで、妄想とも推理ともつかない奇天烈ロジックが大展開される中盤からの奇想にはもう頭がおかしくなりそうです。
さらには奇妙な女衆がセレモニーに突然乱入してきたりと、そのやりすぎぶりが完全に常軌を逸しているところがキワモノマニアには堪りません。自分ネタでここまでネチっこく引っ張ってみせるところも異常なら、奇天烈でありながらもしっかりとそれを論理で転がしてみせるというヘンテコぶりもまたおかしい。何となくこのナンセンスぶりが式貴士にも通じるような氣がします。一般讀者にしてみれば何だこりゃアという代物ながら、マニア的にはそのキワモノぶりが當に堪らないという逸品でしょう。
怪作という點では、冒頭を飾る本田緒生の「謎の殺人」も短いながらもそのバカミス的奇想と、常軌を逸した幻視力が素晴らしい作品で、ボクサーや柔道の猛者がいずれも深夜の午前二時に道端で窒息死を遂げるという怪異が発生。果たしてその犯人は、というお話です。
事件に目をつけた新聞記者がこの謎を解いてみせようと、深夜に現場に赴くと、……というところでこの犯人の正体が明かされるのですけど、このバカミスぶりと、冷静に考えると殆どホラーというほどの奇想ぶりには思わず眩暈がしてしまいます。バカミス的な怪作という點では収録作中、ピカ一かもしれません。
キ印の書いたものとしか思えない強烈な怪作が、光石介太郎の「三番館の蒼蠅」で、香気学なる奇妙な學問に超夢中なキ印男の独白で物語は進むのですけど、ノッケから腐乱死体とそのほか二つの屍体の計三つのボディを穴に放り込んでいるなんて強烈なシーンで始まるものですから面食らってしまいます。
何故にこんな屍体処理をするハメになったのかというところを、男の波瀾萬丈の半生も絡めて、その奇天烈な殺人計画が語られていくのですけど、何でも男は双子の片割れで、その名を高介というのは良しとして、その兄イの名前が馬介というのは如何なものか。男のモノローグから、語り手は社会生活もマトモに出來ないダメ男だということは何となく察せられるものの、兄イの馬介の方は美人妻を娶って親の遺産で一山あてたりとマトモな男かと思っていたら、後半では學生時代には学校にピストルを持っていてブッ放していたことが判明したりと、二人して頭のイカれたキ印であったことが明らかにされるところでは目が思わずテンになってしまいます。
結局、語り手の弟は兄イの美人妻に一目惚れ、それではと兄イを殺して自分たちが入れ替わってしまえばウハウハと、探偵小説のマニアであればまず一度は考えてしまうような双子ネタで美人妻と金の一石二鳥を狙います。
しかしその殺し方というのがキ印らしく奇天烈なもので、兄イを發狂死させる為に、語り手はハシリドコロなる植物から採種した毒物を使ってやろうと執拗に実驗を繰り返します。ようやく毒の抽出に成功した男は、それを仕込んだ肉を兄イに喰わせるや、兄イは部屋中にピストルをブッ放しての御乱心状態に。大成功とばかりに現場に踏み込んだ語り手が見たリアルとは、……。
とにかくここに到るまでのキ印らしい男のネチっこい語りも相当なものなら、蒼蠅というタイトルに絡めたラストシーンの執拗ぶりはもう異常。語り手以上にこんなシーンを衒いもなく描いてしまう作者の正気をも疑ってしまいたくなる怪作でしょう。
新羽精之の「天童奇蹟」も、その惡魔主義的な風格がステキな一編で、九州にやってきた宣教師が樣々な奇蹟を見せることで、頭の足りない日本人を基督教に改宗させてウハウハしているところへ、戀人を返してくれと一人の男がやってくる。宣教師はお前も改宗すれば娘っ子に会えるよ、と餌をチラつかせるものの、奇蹟だったら俺っチだって出來らアと男は大見得を切ってみせます。
奇蹟は神のみが出來るものナリとばかりに、杖を蛇に変えるというマジックでビビらせると、男はようやく退散したものの、後日、濁流の川を歩いて渡ってやると宣教師の前で大宣言。果たして戀人を基督に掠奪されてしまった男は奇蹟を見せることが出來るのか、……という話。最後の最後、手品の種が明かされたあとに、何ともな惡魔主義が炸裂する風格が素晴らしい逸品で、ネタも綺麗に決まっています。
いずれもどマイナーな作風ゆえに、昨今の泣けるケータイ小説が大流行のご時世では絶体に商業出版は不可能というものばかり乍ら、キワモノマニアとしてはその奇天烈ぶりだけでも當にマストの一册といえるのではないでしょうか。個人的には、「離れた家―山沢晴雄傑作集」のように日下三蔵セレクションの一册として狩久傑作集とかを編んでくれないかなア、と秘かに期待をしてしまうのですけど、ダメですかねえ。
こんばんは。またお邪魔します。
早速ですが、2005年7月27日の折原一「遭難者」の所で、taipeimonochromeさんは “さて今日になってようやっと奥泉光の新作をゲット出來たのでこれから讀み始めます” と書かれています。
これは恐らく「モーダルな事象」のことだと思うのですが、taipeimonochromeさんは読まれたのでしょうか?
その後、ブログには登場していないし、私自身、今日、再読して再び感銘を受けたので何だか気になりました。
田辺さん、コメントありがとうございます。
また昔の話を……(苦笑)。いやア、あれはあの時確かに讀了したのですけど、世間での評判に相反して当時の自分にはあまりピンと来なかったのです。何というか当時の自分とは波長が合わなかったというか……。なので、あのまま再讀はせずに置いてあります。文庫化あたりをきっかけにまた讀んでみようとは考えているのですが、自分の中で興味が別のところに移ってしまっているので恐らく再讀するのはかなり後のことになると思います。
[07/24/07: 追記] 何か当時を強調する必要もないので、括弧を外しました。