昨日の「中井英夫―虚実の間に生きた作家」では珍作の「人魚姫」ばかりを大袈裟に取り上げてしまいましたけど、あの一册を讀むとやはり中井英夫は偉大な小説家だったのだなア、と感慨に浸りつつも、笠井氏に「珠玉の短篇を書け」といっては当惑させ、叉「伝奇SFばかり書いていないで、まともなミステリを書きなさい」と叱ったかと思うと、綾辻氏には「世界の悪意のすべてを一身に引き受けたような、そんな探偵小説を書くんだよ」と「呪文のような言葉」を囁いてみせた中井英夫は今、反宇宙において昨今の本格ミステリ界を眺めてはどんなことを考えているのだろうなア、なんて考えてしまいました。
高橋康夫雄氏曰く、「中井さんは徒党を組むことを嫌った。誰彼を引き合いに出して自己弁護することを「応援団」というふうに非難した」とのことですけど、そんな中井氏が件の「X騒動」でミステリ界を自壞させようと目論む本格理解「派系」作家の首領の暗躍を……って續けるとまたまたお決まりの愚痴になってしまいそうなので、今回ばかりは自制して(爆)本題に入りますと、この高橋氏の言葉が掲載されているのが、今日取り上げる幻想文学40号です。
幻想文学十周年記念號にして中井英夫の追悼号となったこの一册には、中井氏の死を過去として回想する「中井英夫―虚実の間に生きた作家」とは大きく異なり、その突然の死を「今、ここ」の哀しみとしてドキュメントする言葉の數々が収められています。
まず、頁を捲るなり、建石修志畫伯の挿絵とともに「眠り」が、そしてその次の頁には本多氏の「読者の皆樣へ」という文章が添えられています。因みにこの「眠り」は「病床で「詩をつくった」というものを口述したもの」との説明があり、その後には「編集部より」として、この本多氏の「読者の皆樣へ」は「中井英夫氏の生前に執筆されました」とあります。「一つの記録として原型のまま掲載」されているところも、中井氏の突然の死を伝えています。
そして卷末の「眠れ、黒鳥」と題した追悼特集。冒頭、葬儀委員長であった相澤啓三氏の「告別(開式の辞)」は今讀んでもぐっときます。
さらに出口裕弘氏、松村禎三氏、尾崎左永子氏の弔辭が續き、立風書房会長下野博氏の「悼」、福島泰樹氏の「薔薇色の骨」、小笠原堅二氏「中井氏のきびしさ」、笠井潔氏の「二人の中井英夫」、加藤幹也氏「亡き人に与うるアダージョ」、竹本健治氏の「今、思うことは」、齊藤愼爾氏「秘蹟の薔薇、薔薇の秘蹟」、高橋康雄氏「殘像の星々の光芒が今も」、田中義郎氏「通り抜け」、椿實氏「虚無への供物に」、戸川安宣氏「あの目の輝きを」、矢川澄子氏「妹のはしくれとして」、そして最後に本多正一氏の「彗星との日々」と續きます。
特に最後の「彗星との日々」はいま讀み返しても「じゃあね、英ボコ」から始まる最後の一文で感涙してしまう文章で、九十三年の過去を「今、ここ」から回想するのとは違った、静かな慟哭をたたえた文章の數々が胸に響きます。個人的にはこのあたりの文章も「一つの記録として」「中井英夫―虚実の間に生きた作家」に収録されていれば、――なんて考えてしまったのですけど、ここに収録された文章は「虚実の……」における「回想」をコンセプトにしたものとはやや趣を異にするゆえ、やはりこれらの文章はこの追悼号だけに封印しておくべきなのかもしれません。