岸田るり子氏の作品が大好きな自分としては、ふしぎ文学館の一册「左手の記憶」を讀んで以來、新津氏の作品をボチボチと集めているのですけど、イヤ女の奈落行を描かせたら天下一品という彼女の作品の中では「御願い」タイトルのシリーズなどに比較すると「同姓同名」とベタな書名ながら、仕掛けよりもそのディテールを愉しんでしまいましたよ。
出張先で男に絡まれた女性を助けようと正義感を発揮させたところ、ゲス野郎に刺殺される男の圖という、あまりに不条理な發端もナイスで、物語はこの正義君の婚約者だった女性と、そのゲス野郎に絡まれていた被害者の女性の二人の視點から描かれていきます。
婚約者がいた女性の名前は緑で、正義君の姓が田中、そしてゲス野郎に因縁をつけられていた女性がこれまた田中緑と、當にタイトル通りの同姓同名な女性二人が主人公。ジャケのあらすじとかを讀むと何だか、婚約者が殺されてしまった「緑」の女性の方がヒロインみたいな書き方がされているのですけど、個人的にはこちらよりも既に結婚しているもう一人の緑のパートが好みでした。
旦那の上司の奧さんが趣味で繪を書いていてそのグループ展があるから芳名帳に名前だけでも書いてきてくれ、なんていわれた彼女がその会場に行ってみると偶然、學生時代の先輩に再會してしまいます。で、この先輩というのがかつては憧れていた男性で、彼の自画像も描いたことがあるという彼女でありますから、「ダンナ以外の男と話したくなったときに、いつでも電話くれよ」なんて、さりげなくアプローチを仕掛けられれば、この芸術家の先輩と自分の旦那を比較してしまうのも致し方なく、
太さもあるが、長さもたっぷりある彼の指が、緑の目に入った。芸術家の指だ。ふとそう感じた。泰史の指は、見た印象も、触った感触も、理系の指である。ベットの上でのテクニックも、きちんと計算されている。最初に胸を揉んで、乳首を吸って、それから下半身に降りる……というふうに。かける時間もほぼ決まっている。感情にまかせて今日はたっぷりと……ということがない。
夜の祕め事をルーチンワークのごとくに行う旦那の理系ぶりも相當にアレで、
そう言えば、泰史は、緑がゆでる半熟卵の時間も気にする。「タイマーをかけてきっちり三分四十秒ゆでろ」などと。
――この芸術家の指で愛される奥さんって、どんなふうに感じるんだろう。
このあたりのディテールも素晴らしければ、突然の再會にケータイの番号を交換するだけでもう、頭ではエロいことを妄想してしまう彼女も彼女。確かに旦那もかなりのイヤ男とはいえ、そんな旦那に内緒で後日先輩に連絡をつけた彼女は再び横浜でデートとしゃれ込むのですが、この藝術家氣取りの先輩も先輩でシッカリとツインの部屋を予約濟。で、お互いの思惑がシッカリと一致しているものですからこのまま不倫に突入かと思いきや、女は土壇場で尻込みしてしまいます。
そのあと、件の事件に卷き込まれてしまうのですけど、この「事件前」のパートが終わると、今度は正義君の婚約者が、因縁をつけた犯人と一緒に現場から逃走した女性を見つける為にビラ配りを大敢行。やがてゲスい下心があった先輩藝術家に天罰が下ったり、怪しい女が出没したりといった出来事に極上のサスペンスを添えながら、最後にはこの「事件」の眞相が明らかにされるという結構です。
樣々な事件に卷き込まれてしまうのは理系旦那を持った奧さんの方で、謎女から鮨を大量注文されたり怪文書をバラまかれたりともう散々な目に遭ってしまうのですけど、ここに意想外の騙しを凝らしたところは秀逸です。
折原氏にも通じるアレ系っぽい仕掛けは大きな反轉こそ見せないものの、女の正体が予想していたところからはややずれた方向に着地する結末で、事件の渦中にいた二人の女の實相がねじくれていく結構もなかなかです。
名前が同じ、それも婚約者というところから個人的には時間軸に仕掛けを凝らしたアレ系のお話かなア、なんて思いながら讀み進めていったので、この着地にはちょっと驚いてしまいましたよ。
本作では事件に卷き込まれる女たちの周囲を飾る男たちのアレっぷりなど、その生活觀溢れるディテールが尋常ではなく、前半に思い切り描かれていた日常生活のセコさを起點にして、一氣にサスペンスへと流れていく展開は當に作者の十八番。
そういえば「ママの友達」もオバさんたちの受難とその克服を描きながら、最後の眞相では影に隠れていたある人物が浮かび上がるという結構でありましたが、本作もその意味では、二人の女性に焦點を當てながら進行する物語そのものが、その人物の存在を隱す為のミスディレクションにもなっているという點で相似形をなすようにも思えます。
藝術家氣取りでデートの夜にはシッカリとツインの部屋を予約してそのスマートぶりを見せつけていた先輩野郎が、ひとたび事件に卷き込まれるやその駄目っぷりをまる出しにしてしまうところや、理系旦那のあまりにアレな人物設定など、新津氏は男衆に惡意でもあるのかと勘ぐってしまうような風格も、キワモノマニアとしてはかなりツボ。
半熟卵の茹で具合にも自分なりのポリシーをもっている理系旦那はほかにも、
結婚してみて、彼が小説や絵画など、いわゆる芸術と呼ばれるものを、「ためにならないもの」とみなしているのがわかった。つき合っていたころは、価値観の違いがおもしろくて、あんなに会話が弾んだのに、皮肉なものだ、と緑は思う。泰史は、歴史小説以外の小説はまったく読まない。「歴史は事実だからためになる」のだそうだ。
そもそも小説が事実だと勘違いしているところからして相當にイタいんですけど、歴史小説がお好きだというのであれば、荒山徹でも讀ませてみりゃアいいのに、なんて思ってしまいましたよ。
「ママの友達」にも通じる仕掛けを凝らしながらも、やはりそのキワモノにも通じるディテールをグフグフと愉しむのがオススメの一册でしょう。