パターン、リズム。
「七度狐」の素晴らしさにノックアウトされてしまったゆえ、同シリーズの短篇集にも手を出してみました。やりすぎともいえる仕掛けと怒濤の反轉ぶりが魅力的だった長篇に比較すると、短篇の為か収録作のいずれもやや小粒に見えてはしまうものの、冒頭の噺から事件へと流れる展開のなだらかさが愉しく、また人情噺的なオチも素晴らしい。
収録作は、死神にやられたという奇妙な言葉の謎を巡って師匠と弟子との人情噺が見事に落ちる表題作「やさしい死神」、高座の最中に呼ばれる迷惑救急車の謎とは「無口な噺家」、噺家に披露宴の司會を頼んだ幽靈の謎からこれまた極上の人情噺へと着地する「幻の婚礼」、ゴーマン噺家が高座の最中に鳴り出した携帯の着信音にブチ切れる「へそを曲げた噺家」、失踪した傳説の紙切り師匠の謎を追う「紙切り騒動」の全五編。
最初を飾る表題作「やさしい死神」は収録作中もっとも小粒な仕上がりで、師匠が口走った「死神にやられた」という言葉の謎を巡る物語。ダイイングメッセージの變形ともいえる結構ながら、落語の演目に絡めた見立てを活かしてスッキリと仕上げてあるところが好印象。
謎の展開と推理から人情噺へと落ちる構成が本作の見所のひとつともいえるのですけど、「やさしい死神」のシンプルな結構に、騙しの趣向からオチへと轉化する粹な仕掛けを凝らしたのが「無口な噺家」です。この作品は収録作の中では、その技巧からして一番の好みでしょうか。
高座の最中に必ず救急車が呼ばれるのは何故、という小粒な謎から、その背後にある裏事情が明かされていく展開が心地よい一編で、救急車を呼ぶ犯人とその動機が推理によって解明され、これで終わりかと思っているとさらにその謎解きをモウ一枚引っ繰り返してみせるオチも素敵です。この最後の仕掛けによって當に人情噺の粹へと轉化させる結構はまさに作者の獨擅場といったところでしょうか。
「幻の婚礼」は、かつての同級生から婚礼の司會を御願いされた噺家が揚々と當日會場に赴くと、そこでは別の披露宴が行われていて、……という話。係の人間に聞いてもそんな式の予約は入っていないというし、スッカリ騙されてしまった噺家が後日調べてみると、そもそも司會を依頼してきた女性は八年前に死んでいるという。果たして幽靈の正体は誰なのか。
太刀の惡い惡戲と思っていたところから幽靈噺へと轉じる謎の提示も巧みで、中盤からその幽靈の正体を突き止めようとワトソン役の緑が奔走します。木偶人形のごとくに操られっぱなしの噺家を導入部に据えて、その背後に隱されていた人情噺が推理とともに立ち上ってくる後半の展開がいい。緑たちはあくまでこの人情物語を外から眺める役回りでありながら、このワトソン役からの視點によって描かれるからこその、心地よい幕引きシーンも秀逸です。
「へそを曲げた噺家」は、冒頭、噺のシーンから事件へと繋がる連關のスムーズなところで一氣に引き込まれるもの、携帯電話の電源をオンにした輩は誰、みたいな小粒どころか正直マッタク魅力的ではない謎ではいったい最後まで話が持つものか心配になってしまいます。
しかしこれがまた携帯電話のネタはあくまでそのさわりに過ぎず、そのあと京都の寄席でボヤ騷ぎが發生、果たして件の携帯電話騒動とこの火事との關連は如何に、というところからその背後の奸計が明らかにされていくという趣向です。
最後の「紙切り騒動」は「無口な噺家」に次いで好きな作品で、噺家から紙切りの藝人へと転向を宣言した弟子が、師匠から破門の宣告を受けてしまう。しかし彼が心酔してしまった紙切りの藝人というのが今はまったく消息もつかめない謎の人物。そこでワトソン役である緑はその失踪藝人の消息を・拙むための手掛かりを見つけようと單身京都へと赴くのだが、……という話。
このシリーズでは優秀なワトソンぶりを見せてくれていた緑がここでも大活躍で、京都の街を彷徨うものの、自分よりも先回りをして藝人の手掛かりを隱している輩がいるらしい。いったいそいつは何者なのかという謎が中盤からは大きく浮上して、冒頭、落語の高座のシーンからさりげなく添えられていた伏線の仕込みが明らかにされてていく推理もいい。
ワトソンが優秀だからこそ犯人の手玉に取られてしまうという結構もこの作品ならではで、これが古典原理主義を標榜する作品とあれば、ワトソンはすべからくボンクラであるべしとばかりに間拔けな推理を自信満々に開陳すれば、そんなワトソン君のアレっぷりを探偵が「クスリと笑って」たしなめるというのが定番の展開でしょう。しかし本編ではワトソン役の緑は見事な探偵手腕を発揮して、事件の真相へと辿り着きます。
極上の人情噺でしめくくる幕引きも収録作の中では一番の好みで、これもまた「幻の婚礼」と同様、事件の當事者からではなく、あくまで事件を外から眺めてみせる緑の視點から物語が描かれているがゆえに、さながら映畫のワンシーンのように引き立つ譯で、このあたりの、いかにも「ねらっている」構成も心憎い。
本格ミステリとして見ると、「紙切り騒動」や「無口な噺家」を典型として、事件の眞相もよくよく考えてみればある程度は予測できるところへと着地する作品が多いように感じられるものの、これは人情噺の幕引きも添えてしっかりと物語に定番のオチを絡めてみせる落語の構成と相似形をなしているためカモ、なんて自分などは考えてしまうのですけど、このあたりで案外新味がない、とかあまりに定番で面白くない、なんて評價がなされてしまうのではないかなア、なんて氣がします。しかし本作の見所は落語のそれと同様、謎の生起からその収束までの展開のうまさにある譯で、軽妙な語りに託して謎を転がしてみせる技の巧みを堪能するべきでしょう。
派手さこそないものの、定型パターンの人情噺の中に極上の仕掛けを凝らしてみせた粒揃いの短篇集。「七度狐」の怒濤の展開とはまた違った愉しさを持った一册といえるのではないでしょうか。