ポーとドイルの雅。
出る出るといわれてはやウン年、……みたいなかんじで、リリースが延び延びになっていた中村雅楽探偵全集の第一巻ということで、いつもならイッキ讀みしてしまうところなのですけど、今回ばかりはようやくブツを手に入れることが出來たありがたさに、數日をかけてチビリチビリと讀み進めていきましたよ。
収録作は、舞台上での毒死事件に黒衣の人物Xの謎を解き明かす「車引殺人事件」、佛像の盗難事件を絡めてポー風の古雅な香りが何ともいえない「尊像紛失事件」、女立形の誘拐事件に探偵の暗號解讀が秀逸な「立女形失踪事件」、田舍の芝居小屋でのコロシに戦慄の眞相が明かされる傑作「等々力座殺人事件」。
女の失踪の背後に隠された惡意の眞相「ノラ失踪事件」、團十郎の不可解な失踪事件に鮮やかな謎解きを見せる「團十郎切腹事件」、サルでも分かるアリバイトリックに大技を凝らしたコロシの「六スタ殺人事件」、探偵志願者の不當な解雇の因果を暴く「不当な解雇」、悲哀系のコロシに最後は怪異を織り交ぜた物語「奈落殺人事件」、拾ったノートに残されたフシギ暗號を讀み解く「八重歯の女」。
死の間際にも商品アピールを忘れなかった藝人の死に迫る「死んでもCM」、一枚の繪に託されたメッセージを受信した探偵によって背後の陰謀が明らかにされる「ある絵解き」、ワナビー女の悲哀死にゲス野郎の犯罪を絡めた「滝に誘う女」、傾いた芝居小屋の幽靈譚に壯快な謎解きを見せる「加納座実説」など全十八編。
何しろこれだけのブ厚さですから、イッキに讀みとおすよりも一編一編をじっくりと味わった方が愉しめると思います。さらに作者の文体には獨特のリズムがあって、これにノれるまでの前半部は些か苦労してしまったのですけども、物語の結構はいずれも事件や謎の關係者が紹介されると、續いてその人物が巻きこまれることになったいきさつが語られ、探偵雅楽がそれを解き明かすというものゆえ、非常に明解。
解説で大乱歩も言及している通り、どの作品もド派手な事件ではないものの、藝人の世界に絡めた小道具の使い方に樣々な趣向を凝らしているところが興味深く、特にその大小の道具使いを絡めた「氣付き」から推理へと流れるところの飛躍が鮮やかです。
物証からネチっこく消去法で推理を行っていくような、新本格の作風でいうと霞氏や氷川氏のような謎解きではないものの、登場人物たちのちょっとした仕草や所作に着目した「氣付き」から、意想外な推理へと流れていく展開に注目したいところです。
例えば「加納座実説」は、幽靈が出るという妙な噂がたってしまったゆえに潰れてしまった芝居小屋が舞台で、探偵雅楽がその怪異の謎を解き明かすという物語なのですけども、數度にわたって出没した幽靈のいでたちのちょっとしたところに着目して、そこから推理を引き出していく手際の良さが光ります。探偵雅楽の気遣いをさりげなく添えた幕引きもまた見事で、事件の動機にいかにも人間臭いものが絡めてあるところもマルでしょう。
「車引殺人事件」をはじめとして、舞台やその裏でコロシが發生する物語もあるとはいえ、本作に収録された短編は、暗號もの、ダイイングメッセージ、さらには失踪事件やブツの消失などバラエティに富んでいるところも愉しく、この中では役者の失踪事件が轉じて、失踪した當人からの奇妙な手紙の眞意を探偵雅楽が讀み解いていく「立女形失踪事件」がいい。
探偵を御指名で届けられた手紙であるがゆえ、そこには雅楽だからこそ居所を推理することが可能な手掛かりが添えられているところがキモ。最後にはこれまた優しい幕引きも含めて物語を締めくくる結構も素敵な一編でしょう。
「八重歯の女」も同樣に暗號ものを體裁を備えたものながら、こちらはある人物が残していったノートの記述からその女の素性を解き明かしていくというもの。未だ探偵雅楽が若かりしころの物語ゆえ、件の人物を突き止めて懲らしめてやろうという若氣の至りの幕引きが後日談として語られます。
コロシの中でもっとも強烈なのが「等々力座殺人事件」で、迷宮入りとなった殺人事件を探偵が推理する物語。コロシとほぼ時を同じくして發生した奇妙な事件に気付いた雅楽がそこからコロシとの連關を見いだしていく推理の飛躍が素敵で、最後に明かされる眞相と犯人像に戦慄してしまいます。
小泉喜美子が巻末の解説で、この物語のネタ元めいた某名作についてその名前を擧げているのですけど、これは知らない方が絶對に愉しめるでしょう。くれぐれも讀了前にこの解説には目を通さないように、ということで。
犯人の巧緻を凝らした犯罪が明かされる「車引殺人事件」や「六スタ殺人事件」のような作品ではどうしても懐かしトリックの旧さが際だってしまうきらいがある一方、ある人物のささやかな惡意が悲劇を引き起こしてしまう「松王丸変死事件」や「ノラ失踪事件」のように、樣々な事象を繋ぎ合わせて事件の背後にある眞相を推理していく物語の方が個人的にはツボで、特に「ノラ失踪事件」はかつての女優失踪事件の顛末が意外なかたちで解き明かされていく流れが素晴らしい。
コロシのトリックがアレとはいえ、手掛かりを探していく過程に重きをおいた物語の展開が後者の風格に近い「死んでもCM」あたりは、とある俳優がテレビのCMの振りつけをしたまま死んでしまうというダイイングメッセージのネタながら、こちらを横においたまま被害者のその夜の行動を追い掛けていく過程が面白い。
調査を進めていく中で、ほとんどキ印ともいうような人物の存在が浮上、最後にはタイトルにも絡めた洒落たオチを添えて幕引きとなるところも素敵、……なんですけど、死んでしまった男は當にお気の毒としかいいようのない結末は斜めから見ればアンマリ。
「奈落殺人事件」もコロシを扱った物語ながら、眞相が解き明かされたあとにちょっとした怪異が呈示され、探偵雅楽がさりげなく推理を披露してみせる結末がいい。ここでも凶器や錯覺を引き出す為の小道具使いが効果を上げています。
という譯で、非常にバラエティに富んだ短編がテンコモリ、その結構や洒落た小道具使いと推理の飛躍にポーやホームズの香りが濃厚な風格も素晴らしい一册です。しかしこれ、二卷目は果たして予定通りにリリースされるのか、そのあたりがちょっと心配ながら、今買っておいて損のない一册といえるでしょう。