不思議な小説。というか、後ろには「背徳の本格」とあるからには、少なくとも読者はこの作品を本格ミステリとして讀み進めていくだろうけども、着地點はミステリというよりはSFとか怪奇小説の範疇にはいるのではないか。
もっとも、西澤保彦をはじめとして近年は日常から逸脱した舞台をあらかじめて設定し、その中でミステリな仕掛けを行う、というのが當たり前のように行われているし、その意味ではこれも本格ミステリなのかな、と思いつつ、やはりちょっと違うのかなと感じてしまう譯です。
その理由というのは、やはり上に書いたようなSF的な舞台設定が隱されているから。いや、勿論プロローグにもあるように、この小説の舞台というのは、UMAが目撃されるような世の中で、要するに怪物怪獸の類が存在していてもおかしくない世界という説明はされていますよ、しかしそもそもUMAってもの自體、自分たち……この小説世界から離れた讀者たちにしてみれば、存在するかしないのか分からない不可解なものな譯じゃないですか。んで、このプロローグに書かれてある「事実」自體も、(つまりUMAが存在するということ)不確定なものなのではないか、と考えてしまうのは當たり前でしょう。半村良の小説を讀み始めるのとは、根本的にその「心構え」が異なる。
しかしここが罠、というか。さらに作者の仕掛けは周到で、連続殺人事件が展開する舞台がいわゆる雪の中の山莊めいた密室だから、これはもう、この小説で定義されている舞台というのは乃ち自分たちミステリを讀むものにおなじみの世界であると考えてしまって当然じゃないですか。
……とそういう仕掛けを施しておいて、この物語はSF的というか怪奇小説めいたところに着地する。そういえば飛鳥部氏の前作「バラバラの方へ」もミステリではあったけども、
終わり方はミステリではなかったし、今後はこういう方向に突っ走っていくのだろうか。
またタイトルの「ラミア虐殺」というものがこれまた一つの仕掛けになっているところも興味深いところ。ラミアめいた人物が登場するので、「なるほど、こいつが犯人かな」とか讀みみ進めていくのだけども、これがもう、完全に作者の仕掛けにやられてしまいましたよ。タイトルのラミアは別の人物を指してしたのか、はたまたここでいうラミアというのはこの小説の登場人物たちの相稱であるのか分からないけども、なかなか面白いタイトルだなと感じました。
とにかく破天荒な「本格」ではあるけども、どんな奇矯な人物が登場しようとも、またどんなにミステリ的なところから逸脱しようとも、何か小説のたたずまいが凄く端正なものに感じられるのは何故でしょうか。毒がない、というか。これは以前作者の「砂漠の薔薇」を讀んだ時も同樣に感じたものでしたけども、これがまた飛鳥部氏の持ち味なんでしょう。