物語の呪縛、虚構の劇場。
無類の讀みやすさとベタっぽいエンタメぶりに相反して、ミステリとしては一癖も二癖もある柳ミステリの創元推理文庫版。何だかアマゾンの著者略歴を見ると、本作が處女作みたいなんですけど、初期の作品とはいえ某作家の歴史的作品に呪縛された殺人事件といい、中盤に展開される逆転の推理劇といい、ミステリ的な讀みどころもイッパイの一册に仕上がっています。
一應、主人公はシュリーマンってことになっているんですけど、語り手は彼の妻であるソフィアで、本作はこのシュリーマン夫妻がトロイアで黄金探しを行っている最中に發生した不可解な殺人事件の顛末を語る、という物語。
キ印スレスレのキャラであるシュリーマンや、ひひひひ……なんて不氣味な薄笑いで周囲からはドン引きされている修道士、さらには隠れセレブの監督官だの、脇役も含めてとにかく怪しいヤツばかりというところも素晴らしく、そこへ黄金を絡めた陰謀劇が大展開されるというのが本作の大きな結構です。
黄金が見つかるや、それを作業員たちに盜まれてはたまらない、と守錢奴シュリーマンがその寶物をひっそり隠すと、早速コロシが發生します。発掘が行われている危険地帯において司祭が犬神家状態で發見されると、續いて作業員がこれまた奇妙な密室の中から死體となって見つかります。
誰が犯人だ、なんて内輪でああでもないこうでもないと議論していると、監督官が犯人逮捕に參上、本作の見所はここからで、まず監督官がシュリーマンの仲間の一人をコロシの犯人だと喝破するや、今度はその推理を覆すように語り手のソフィアが次なる推理を繰り出すというかんじで、謎解きが行われるたびにこの場所に參集した連中の正体が暴かれていくという趣向です。
展開される推理はそれぞれに小粒といえばその通りなんですけど、何しろ黄金を巡って列強國が樣々な陰謀を巡らせているゆえ、この場所に集まった連中のいずれもが腹に一物あるようなものばかり、そこへトルコと西洋という對比も絡めてミステリと神話がその手法の相違を際だたせていく推理劇は秀逸です。
さらには柳氏が得意とするベタ描寫を驅使して、登場人物たちを呪縛している神話の體系を無形化してしまう後半の展開が素晴らしく、これによって明らかにされる犯人の異樣な動機や、犯人の狂氣を推理という近代的手法によって解体していくところなどに、京極夏彦を思い浮かべてしまったのは自分だけではないと思うのですが如何でしょう。
衒學と奇矯なキャラが暴れまくる京極作品に比較すると、確かに本作のベタっぽい物語世界は大きく異なるとはいえ、その「仕込み」においては京極氏の作風に非常に近しいと感じました。
巻末の解説で、巽氏は「判で押したような」「紋切り型」という言葉を交えて、本作における推理=物語=解釈という結構を解析しているのですけど、これまた達人の技が光る素晴らしいもので、自分が柳氏の風格でベタと感じるものの更に奥にある作者の意図について、詳しく述べているあたり、自分と同様、柳氏の話ってどうもベタっぽくない?なんて感じておられる方にこの解説は必讀といえるかもしれません。
原理主義者には垂涎ものの密室殺人もあるにはあるものの、ここで開陳されるトリックはアッサリ風味。寧ろ、このトリックを敷延するのに歴史的作品であるアレを持ち出して探偵シュリーマンが得意氣に近代を語るところが個人的にはツボで、神話まみれのキ印とシュリーマンが、歴史對ミステリという構図で鬪いを交える後半の推理劇にはニヤニヤ笑いがとまりませんでした。
そしてミステリとしての謎解きが物語の終焉を意味しないところも幻想ミステリの怪作「新世界」と同樣で、本作では語り手によって事件の後日談が語られるものの、それによって物的証拠や「見た」ものが無化されてしまう。結局事件もまた一つの虚構として物語世界に取り込まれてしまうという結構も秀逸です。
そんな譯で、ミステリの原点を多分に意識しつつ、その實ミステリ小説としての枠組みの外にはみ出してしまった作品という意味ではやはり本作もまた普通の本格ミステリというよりは異色作、問題作なのだと思います。
犬神家や謎女の出現など、シュリーマンの脳内妄想がリアルになるような幻想小説めいた風格もあるとはいえ、それほど大きく幻想に偏ったものではない為、「新世界」よりは取っつきやすく、狂氣の割合もほどほどゆえ、普通に愉しめるのではないでしょうか。
柳ミステリにハズレなし、ということで、本作も個人的にはかなりのお氣に入り、本作より先に創元推理文庫でリリースされている「はじまりの島」は幸いなことに未讀なので、これから讀むのが愉しみです。