全編推理ゲーム、無呼吸連打。
ジャケ帶に曰く「小説の愉しみと企みに満ちた問題作」。「殺したい人間がいるから殺したのではなく、使いたいトリックがあるから殺してみた」という作中の言葉にもある通り、トリック至上主義をリアルでやってしまう登場人物たちの奇天烈ぶりは確かに問題作と呼ぶに相應しい風格ながら、その實、現代社會の斷面をシッカリと描き出して物語に厚みに添えているところなど、「葉桜」の歌野氏らしい作品ともいえるでしょう。個人的にはかなり好きな一册ですよ。
物語はダース・ベイダーのマスクをかぶった頭狂人のほか、ジェイソンやアフロ教授、カメくんなど、妙チキリンなカモフラージュを施して素性の知れない連中がウェブカムでライブチャットをやりながら推理ゲームを愉しむ、という話。
本作が普通の物語ではないのは、この連中が實際に起きた事件の謎解きをする譯ではなく、出題者に指名された中の一人がリアルでコロシを行い、それを皆で推理する、というところ。
犯人はもう分かっている譯ですから、この推理でキモとなるのはハウダニットだったり、ミッシングリンクだったりするのですけど、それぞれの殺人が首チョンパだったり、連續殺人事件だったりと陰惨なものであるのに相反して悲壯感はマッタクなし。
しかしそんな變裝連中たちの推理ゲームの場面に時折挿入される、頭狂人なる人物のシーンが印象的で、普通のボンクラ作家だったら、ライブカメラの向こうにある人物のリアルな生活を描き出すにしても、その登場人物のすべてに目を配って展開をトッ散らかしてしまうものですけど、本作では頭狂人という一人に焦點を合わせたまま物語は進みます。
これに物語の構成をスッキリさせる効果があるのは勿論のこと、後半いくつかの推理ゲームを續けていくうち、チャットに參加している人物のひとりの素性を邪推する者が出てきたりします。で、この轉換が連中の空氣に微妙な變化をもたらしていくのですけど、頭狂人のリアルでの生活がこの後半の展開に大きく絡んでくるところがまた秀逸。
物語の前半から開陳される推理ゲームのネタはそれぞれに小粒ながら、個人的には冒頭のミッシングリンクは結構お氣に入り。また首チョンパ殺人事件のトリックの奇天烈ぶりなど、どの作品のトリックにインスパイアされたのかをあれこれと推理してニヤニヤする、という愉しみ方もアリでしょう。
また、疊み掛けるように小粒な推理ゲームネタが連續して繰り出される為、物語はまったくダレることなく進むのも好印象で、自分は、中盤で生まれたリアル生活への邪推が參加者たちの疑心暗鬼を生み出してその後はイヤっぽい展開になっていくのかなア、なんて想像していたんですけど、ある意味予想を裏切る着地點へと辿り着くオチにはちょっと吃驚。
この推理ゲームの連續を本格ミステリマニアの視點から純粋に愉しむ、というのが、本作の一番素直な讀み方なんでしょうけど、本作を「葉桜」以降の歌野氏の作品として見た場合、頭狂人にスポットを當てたエピソードにも着目しつつ、この人物の人となりや、物語が後半に進むにつれて明らかにされる家族像などから、「社會派」歌野氏の描き出す現代社會の歪みに目を凝らす、という讀み方が個人的にはオススメでしょうか。
問題の出題者の順番が頭狂人に回ってきた後半、物語は急速に頭狂人を中心とした展開になっていくのですけど、この人物が手掛けたコロシと、そこから明らかにされる仕掛けもまた素晴らしい。ライブチャットというある種の色モノっぽい舞台装置が活きてくるこの仕掛け、そしてこの仕掛けを活かす為に凝らされた周到な伏線が、物語を安直なアレ系に流れるのを巧みに回避しているところもいい。
確かにライブチャットの参加者の、いかにも現代の若者を氣取った台詞回しや、「ブードゥー・チャイルド」と同樣、ベタな時流ネタを物語の仕掛けに使ってしまうところなどはアレながら、歌野氏の描き出す現代社會のリアル感は個人的にはかなりツボ。
この歌野作品の持っているリアリティ、個人的には新聞やメディアを通して登場人物たちの生活を覗き込んでいるような感覺にも似て、島田御大みたいにコブシをめいっぱいに効かせて登場人物たちのリアル感を盛り上げていくのとは大きく異なるゆえ、ここに小説的技巧の拙さを感じてしまう人もいたりするんじゃないかなア、なんて考えてしまいます。しかし案外、現代社会のリアルっていうのはこんなものではないでしょうか。
後半に描かれる頭狂人の家族は、この物語から離れて見れば、恐らく普通の人なのかもしれません。しかし頭狂人を中心に据えてこの家族を覗いてみると、いずれも何処か「普通」という尺度からは外れた歪みを持っている。
しかし推理ゲームの要所要所に挿入される頭狂人の逸話の中では、この人物が殺人推理ゲームという狂氣にのめりこんでいった原因をいたずらに家族や社會に求めていくような書き方はしません。ある種、非常に淡々とした筆致で、この人物とその周囲の輪郭を描き出していくのですけど、この距離感がいい。
最後の事件となる頭狂人の殺人に凝らされたミステリ的な仕掛けが秀逸であるのは勿論なんですけど、個人的には、終盤、殺人推理ゲームをあくまでゲームとして愉しんでいた仲間がある轉換によってその立場を脅かされるや、殺人という行為に意味を求めていこうとするヘタレぶりが印象に残りました。
そしてこの展開において、頭狂人が心に抱えている虚無がいっそう際だっているところも、何だかパッとしない幕引きとも相俟って、複雑な讀後感をもたらします。個人的には、動機なき殺人ゲームという奇天烈さよりも、このあたりに本作が問題作である所以が隠されているような氣がするのですが如何でしょう。
まア、勿論、編集者としては、この常軌を逸した殺人推理ゲームという趣向を物語の中心に据えたバカバカしさにおいて本作を問題作、と名付けたのでしょうけど、自分はそんな譯でちょっと斜めに構えた讀み方をして愉しんでしまいましたよ。
見てくれの奇天烈さとは對照的に、個人的には「葉桜」以降の歌野作品として非常に愉しむことが出來ました。全編に大開陳される推理パズルにニヤニヤするのもよし、歌野氏における「葉桜」以降の作風をその中に探るもよし、という譯で、至極マトモな本格ミステリファンは、本屋で本作とともに平積みになっている「ぐげらぼあ!」な眞正「問題作」は輕くスルーして、こちらを手に取った方が吉、でしょう。