とにかく読む前から巷では問題作と大評判で、実際のブツの裏にも「麻耶ワールド全開の問題作」とあるものの、実をいうとこれまた巷の評価評判とは裏腹に『隻眼の少女』をアンマリ愉しめなかった自分としてはそれほどのモノと期待してはいなかったのもまた事実。
しかしながらこれは完敗でありました。本格ミステリの結末にあるべき「お約束」を導き出す武器となる完璧なロジックでもって、その「お約束」そのものを木っ端微塵にしてしまうという邪悪さは、まさに麻耶ミステリの極北ともいえる代物で、ビギナーには読むことを厳禁すべきという壮絶な一冊でありました。
収録作は、かつての転落死の真相を暴こうと召還された極悪探偵が、これまた極悪なロジックによって黒すぎる真相を生成してしまう「死人を起こす」、データをクラッシュさせてしまった謝罪にと極悪探偵が開陳したネタの行き着く先は「九州旅行」、怪しげな宗教屋敷にやってきた極悪探偵たちが巻き込まれたコロシの構図に鎮座する消去法の黒さに、苦笑を通り越して沈黙するしかない傑作「収束」、精緻なロジックによって紐解かれる怒濤の犯人限定の流れが行き着く先の虚無「答えのない絵本」、突然現れた死体を巡ってワトソンと探偵だけという限定されたフーダニットの華麗なる卓袱台返し「密室荘」の全五編。
いずれも、動機や犯行方法などもろもろが明らかにされ最後に探偵が、……という、本格ミステリに期待される「定型」を完全に破壊してしまった黒さが際立つ作品ばかりながら、この破壊が本格ミステリではこれまた必須とされる高度なロジックという道具によってなされている趣向が素晴らしい。
ここで高度なロジックもヘッタクレもなく、ただ単に件のある真相を明らかにしないままジ・エンド、となってはダメミス、クズミスの烙印を押されてしまうのが必定ながら、ここでは怒濤の消去法から犯人ではなくあるものに着目した消去法など、様々な仕掛けを凝らして精緻な論理を展開していく謎解きのプロセスも秀逸です。
冒頭の「死人を起こす」からして、すでに本作に収録された作品に横溢する趣向はシッカリと開陳されていながらも、こちらは探偵の手になる事件の構図の「生成」が行われるという、以前から読み慣れた黒麻耶節の小節をきかせた一編ゆえ、まだまだ期待通り、というか想定内。それでも、探偵とワトソンが巻き込まれたあるアクシデントがこの生成の絶妙な伏線へと最後に転化する趣向など、作者の黒さが際立つ幕引きがステキです。
「九州旅行」は、この一冊の中の一編とすると中盤でけっこうアッサリと本作に通底する趣向に反する形でそのものが特定され、事件現場に鏤められた断片に整合性を持たせるべく次々とロジックを繰り出していくという展開なのですが、その結論としてこのあとすぐにある事象が発生するという緊張感からラスト一ページに至ったあとの虚脱感が半端ない。
続く「収束」は、冒頭から何やら不穏な殺人シーンが連続して描かれるという結構から度肝を抜かれてしまうわけですが、ある意味いつも通りの精緻なロジックを極めた見せ場の中にもうひとつ異様な消去法を開陳した趣向がいい。確かに極悪探偵の言葉通りだと、コロシの犯人はピタリと当てられる筈が実は、……と冒頭のシーンを振り返ると頭を抱えてしまう怪作にして傑作。
一瞬倒叙ものを錯覚させる冒頭からある種のずらしを用いた消去法の結果として捻れた幕引きが冴えている「収束」だけでもかなりのものですが、「答えのない絵本」は消去法においても数で勝負というやりすぎぶりがステキで、すれっからしの読者をニヤけさせてくれるのかと思いきや、緻密な論理的展開によって次々と犯人候補が消えていく暁に、暗黒へと堕ちてしまう結末には完全に口アングリ。
非情にもこれで幕としてしまうオチのつけかたに、定型しか認めない原理主義者はいったいどのような感想を持たれたのか、大変興味のあるところなわけですが、極悪探偵にして事件の構図に自ら手をくわえて生成してしまうメルカトルにしてみればこのロジックの帰結にも何かしらのもくろみがあるのではないか、……と考えてしまうところでしょう。
最後を締めくくる「密室荘」は、収録作の中ではもっともシンプルかつ控えめともいえる長さながら、本作の一編という視点から読むと、どちらかが犯人というもっともシンプルなものでありながら、この宙づりの結果が導かれたそもそもの前提をアレしてしまうという、真相の生成以上にさらなる捻りをくわえた邪道ぶりが炸裂します。
いずれにしても「そもそも本格ミステリというのは、謎があって最後に真相が云々……」とムツかしい顔をしながらその結構に大いなる縛りを与えた創作を吉とする原理主義者の方にしてみれば、本作の趣向は最後に最後に添えられるべきアレが欠如しているという外観ゆえ、最高の壁本認定をなされるべき一冊ではないかと推察されるものの、本作ではこの欠如が導かれるまでのプロセスが完璧ともいえる緻密さゆえ、そうした真っ正面からの反論がマッタク通用しないというひねくれぶり。
この真相の欠如という趣向の極北をズラリと取りそろえて極悪邪道ぶりを見せつけてくれる風格ゆえ、本格ミステリーとは定型に従って構築された小説で云々、――という優等生的読みだけで精一杯というビギナーには絶対にオススメできないものながら、逸脱こそが現代本格のキモと確信する読み手には最高の逸品ともいえる一冊ではないでしょうか。あくまで厳重取り扱い注意、ということで。