今週末に全国ロードショーを控えている映画版『少女たちの羅針盤』ですが、原作の方でも書き下ろし短編「ムーンウォーク」が特別収録された新装版が刊行ということで、試写会で観た映画の感想とともに、新装版で原作を再読しての印象を簡単ながらまとめておきます。
映画を観たあと再読して判ったのは、映画版が思いのほか原作の流れを忠実に再現していたことでありまして、原作は「誰が殺されるのか」そして「誰がその犯人なのか」という二つのフーダニットがあるわけですが、映画版は現代編よりも学生時代に焦点を合わせた結構にまとめつつ、絶妙なカメラワークによって現代のシーンでちらちらと映し出される「犯人」が誰なのかを判らないようにしている技法がまず秀逸。
配役からすると、我らが成海璃子タンが一番メジャーでもあるし、他の三人より目立ってしまうのではないかというのが観る前の予想だったのですが、これはいい意味で裏切られました。たとえば冒頭、非常に大仰な演技を見せる璃子タンが前景に出過ぎているような気がしたものの、これがちょっと陰のある蘭役の忽那汐里が登場した瞬間、画面の雰囲気がさっと変わる。このシーンで瑠美と蘭の対比を絶妙なコントラストで描き出すとともに、こうして四人が出会ったところから、カメラはひとりに偏ることなく彼女たち四人の瑞々しい姿を活写していくという流れも素晴らしい。
こうしたカメラワークによって彼女たちの印象を絶妙に変化させるフックはほかにもあって、たとえば成海璃子演じる瑠美と森田彩華演じるバタ。バタ役の森田彩華はショートカットから連想される、いかにもバタにふさわしい男性的な雰囲気を全身から漂わせているわけですが、一方、成海璃子はアップで見ると意外と男性的なたくましい顔つきであることに気がつきます。
瑠美が寝ているところにバタがキスをし、それからというもの、瑠美は微妙にバタから距離をおいてしまう。そしてバタもまたそのことに煩悶する、……という流れがあり、そこからステージバトルフェスティバル当日へといたるわけですが、いよいよ本番前というときに会場へと続くトンネルの中で、バタと瑠美がお互いの思いをぶつけあうシーンがいい。ここで二人に一悶着あって、バタはその場にしゃがみ込み、それを瑠美が見下ろすようなかたちになるのですが、ここでは、しなだれるように座り込んでいるバタの、鎖骨からやわらかい胸許へのラインをやや斜め上から映し出したアングルに注目、でしょう。このシーンにおけるバタは普段の男性っぽい雰囲気とはまったく逆で、非常に女性的。男性的なバタに対するおきゃんながらもネコに相当する瑠美という関係の巧妙な転倒を、このワンシーンだけでさらりと語ってみせるところがうまい。
こうしたワンショットだけですべてを語ってしまうという見所はほかにもあって、――ややネタバレになるので多くを語るのは差し控えますが、犯人が殺意を抱くにいたった「ある瞬間」は、原作にもない印象的なシーンといえるのではないでしょうか。
原作を読んでいない人には、冒頭から巧妙な誤導を凝らしたフーダニットだけで十分に驚けると思うし、過去編に注力したことで、青春物語でありながら四人を偏りなく映し出す構成がミステリ的なフーダニットの仕掛けにも活かされているところなど、原作を既読ながら、映画版も非常に愉しめた次第です。
そうした本格ミステリならではのフーダニッドに留意しつつ、見事なカメラワークを見せているところも映画版ならではの魅力ながら、映画版最大の見所は、ステージバトルフェスティバルでの四人の舞台シーンではないでしょうか。この劇中劇は原作にはないところで、「生死のサカイ」というタイトルのあらすじだけがざっと語られているのみ。それを映画では見事な舞台劇として見せてくれています。正直、このステージでの四人の演技を通しですべて見てみたいな、と感じた次第ながら、もちろん映画で見られるのはそのほんの一部に過ぎません。DVD化された時には是非とも、この舞台ならではの四人の迫真の演技の全編収録を、と切望します。
しかし抜粋とはいえ、原作で明らかにされている「生死のサカイ」の結構はそのまま採られていて、「隣り合うビルの屋上でため息をつく女がふたり……」(「新装版」では171p)から始まる舞台は、原作を読んだことのない観客からすれば、「隣り合うビルの屋上」で同時進行される二つのシーンに、いったい何が何やら……と感じてしまうことは必定ながら、映画では、ある人物が一言を発したまさにその瞬間、この同時進行する二つのシーンが見事に繋がるという外連が用意されてい、これは必見、というか、このシーンだけでも原作を既読の方も観る価値あり、といえるのではないでしょうか。
そして、映画版と原作を照らし合わせつつ、新装版に収録された「ムーンウォーク」と『少女たちの羅針盤』の続編である『かいぶつのまち』という流れを俯瞰するとさらに興味深いことが見えてくるような気もします。
「ムーンウォーク」は、瑠美とバタとの出会いに、あるストーカー事件のフーダニットを絡めた短編なのですが、『少女たちの羅針盤』を初読したときの瑠美と、「ムーンウォーク」に登場する瑠美は、……これはあくまでは個人的な印象に過ぎないのかもしれませんが、やや異なった雰囲気であるのが意外で、原作『少女たちの羅針盤』ではそれほど尖った性格には感じられなかった瑠美は、上にも述べた通り、映画版では冒頭から登場早々かなりエキセントリックなキャラとして描かれてい、一方、バタの視点から描かれた「ムーンウォーク」では、バタに「なんだ? あのオーバーアクションな子は」と語らせています。
しかし映画を観たあと「ムーンウォーク」を読むと、このバタの瑠美に対する印象は妙に納得できてしまう。こんなふうに原作を読み、映画を観、さらに原作を再読しつつ、「ムーンウォーク」へと読み進めていくと、登場人物の知らなかった個性を見つけることができるのでは、と思うのですがいかがでしょう。
さらにいうと、『少女たちの羅針盤』に続く『かいぶつのまち』は舞台劇のシーンを前面に押し出し、舞台劇での物語が本格ミステリにおける謎―推理―解決という結構をとりながら、その流れにどこか神話的な趣さえ感じさせる変容を描き出した作品です。これは映画版で、原作にはないステージバトルフェスティバルのシーンを観たあとになって感じたのですが、『少女たちの羅針盤』では鮮やかな描き出すことのできなかったものを、作者は『かいぶつのまち』において活写しようとしたのではないか、……と感じた考えた次第です。
というわけで、映画はもちろんオススメながら、映画版『少女たちの羅針盤』を観たあと、新装版の原作と『かいぶつのまち』を読むことで、登場人物たちのまた違った一面を見つけることができるのでは、ということで、新装版とともに個人的には『かいぶつのまち』を未読の方にはこちらを強くオススメしたいと思います。