これまた非常に美味しい一冊でありました。世間では直木賞受賞第一作、と扱われることがほとんどかと推察されるものの、『月と蟹』がその語り口からひんやりとした刃物をのど元に突きつけられているかのような緊張感溢れる風格であったのに比較すると、本作はその逆。真打ちの「探偵」であり、ある意味「犯人」でもある主人公の語りによって描かれる物語世界は心地よく、その意味でも『月と蟹』のあとに読むにはうってつけの一冊といえるカモしれません。
収録作は、ブロンズ像が放火された奇妙な事件の絵解きに、ヘッポコ推理の反転というミステリ的趣向によって登場人物の思いをやさしく照らし出す「鵲の橋」、神木損壊事件にとある台詞の二重の意味など秀逸な仕掛けも添えて美しい構図を現出させた「蝉の川」、不可解な泥棒騒動の顛末に親子の絆という全編に通じるテーマを際立たせた「南の絆」、壊された貯金箱とささやかな事件の真相によって冒頭の春編と連関を見せて幕となる「橘の寺」の全四編。
まずはヘッポコ探偵が「チェックメイト」とうそぶいて珍妙な推理を披露するものの、実はその推理が「真相」であることの背景には、語り手を「犯人」とした絶妙なお膳立てがあって、……というのが本編の謎解きの大まかな流れでありまして、この「探偵」を支える「犯人」が、買い取ったポンコツ品をリペアして売り物へと変えてしまう職人であるという設定がまず秀逸。
「鵲の橋」は、このヘッポコ推理が開陳されたあと、その推理が明らかにした「真相」を支える背景が明らかにされ、……という謎解きの変移によって事件に関わった人物たちの心の内を解き明かしていくという展開に抜群の切れ味を見せた一編です。ブロンズ像を焼くという奇妙な動機のホワイダニットをヘッポコ推理で明らかにしながら、そのすぐあとで推理の穴をさりげなく指摘しつつ、「真犯人」を明かして見せるとともに、犯人の内心、そして別の人物の思いなどを次々に解読していく展開が素晴らしい。ブロンズ像を焼くという事件の真相が謎の本丸と思わせながら、謎解きによって真に明らかにされていくのは、事件にかかわっていた人の心とその思い、――という指向が道尾ミステリの真骨頂。
続く「蝉の川」は、そうした謎解きのプロセスへ、さらに事件の構図とタイトルにもなっている蝉というモチーフを見事に重ねた結構が素晴らしい。ある人物を惑わせたある人物のふとした台詞から、事件の動機を紐解いていく、……というなかなか粋な推理を店ながらも、収録作中、その推理のヘッポコぶりはピカ一なのが本編だったりするわけですが、その後に明かされる真相を、モチーフの蝉、――特に121pあたりでさらりと語られる「蝉の鳴き声」に託した趣向が秀逸です。個人的には収録作中、一番のお気に入り。
「南の絆」もまた、泥棒騒動における犯人の泥棒よりは、何かを隠している人物の心の内を探っていく推理の展開がいい。繰り返される親子の絆というテーマは、泥棒が誰であったかを明かしてみせることでより強度をもって語られていくのですが、ここにもまたあるもののモチーフを重ねて「絆」を際立たせた構図が美しい。またこの「絆」の後日譚を敢えて語らずに未来に希望を託してみせる語り手のさりげなさもいうことなし。
最後の「橘の寺」は、前三編の冒頭で毎度毎度ガラクタを語り手に押しつけてきた和尚が一枚咬んでいる物語で、ここではワルに見えた和尚が実は、……という真相とともに、貯金箱の損壊を明かしてみせたヘッポコ推理からさらに踏み込んで、真相ではない「真相」を受け入れてしまったある人物の内心を解き明かしていく謎解きの流れが面白い。そして和尚の話によって、ここにもあるモチーフが、この事件と謎解きをきっかけにして、親子の絆を明かしてみせるところにはチと落涙。またこのすぐ前に展開される大捕物のドタバタシーンとのコントラストがこのモチーフとの重なりをよりいっそう印象的なものにしているような気もします。
というわけで、事件の真相というよりは、謎解きの変移によって、事件にかかわった人物たちのそれぞれの思いを照射していくという趣向は、読者の視点を巧みに操りながら翻弄してみせる『ラットマン』の「仕掛け」とは異なるものの、何が謎であり、何が解き明かされるべきなのか、――というところから道尾ミステリの魅力を紐解いていくと、これもまた非常に道尾氏らしい個性の際立つ一冊といえるのではないでしょうか。
新刊が出るたびに売る側が傑作傑作と連呼する道尾小説ではありますが、正直、どの作品も傑作であることは十分に判っているので、じゃあ、どんなときにこの作品を読めばいいのか、あるいはどの作品と似ているのかが大切なんじゃないかナ、いう気もします。全編を覆う優しい雰囲気は『カラスの親指』の、例の大仕掛けが明らかにされる直前まで(ここ重要)の雰囲気に近く、ユーモラスな登場人物やドタバタもまじえた軽妙さという点では『花と流れ星』に近いかな、という感じです。
道尾小説には、悲哀と慟哭と、そしてそれにも勝る救いがあるわけですが、本作は登場人物たちが醸し出す優しい空気にほっとしながら気を楽にして読める風格でもあり、『ラットマン』や『月と蟹』で魂を抜かれたあとの清涼剤として読むのも吉。その一方で、人間の心をミステリの技巧によって解き明かしてみせる道尾氏ならではの趣向も存分に愉しめるという点では、道尾小説のビギナーも、またファンでも安心して手に取ることのできる一冊といえるのではないでしょうか。オススメ、でしょう。