キワモノをガッツリ取りそろえた「ふしぎ文学館」の中でもひときわ異彩を放っている奇蹟的な一冊、『べろべろの、母ちゃんは…』の宇野鴻一郎。『べろべろ……』の衝撃にアテられて以来、いつか読んでみたいと思っていた宇野文学でありますが、ヒョンなことから手に入れることが出来ました。で、結論から先にいってしまうと、激ヤバの短編ばかりで復刊されないのも納得、――でもデモ好事家は絶対に読んでおいて方がいい、さもないと絶対死ぬ時に後悔するからッ!という一冊でありました。
収録作は、鬼のような金貸しながら風俗女に罵ってもらうのが快感というマゾ男の暗黒ハードボイルド「孤独な鮫」、義父に手淫を仕込まれた聖幼女と再会してしまった校長先生の奈落「聖淫婦」、ジョージ秋山画伯の漫画に出てくる登場人物のような醜男の、野球に打ち込む情熱が歪んだかたちで溢れ出す珠玉のダメ男文学「快楽の球審」、ハラキリに憧れるストリッパーとアウトサイダーたちのテンヤワンヤ「腹の逸楽」、ネクラの浪人生が年増のプリマドンナに偏執的愛情を傾けた挙げ句、煉獄をさまようデカタンスの美しさ「白鳥の蜜」、レイプ魔志願の間男が夫婦との奇妙な取り決めとともに性と死の極北へと堕ちていく「王女と猿」、イチモツが大きすぎるばかりに激しい劣等感を抱く混血児が、ワケありの令嬢と出会ったばかりに地獄へと突き落とされる壮絶な傑作「屠殺部屋」の全七編。
ちなみにこの本、発行年が昭和四十三年と、もう四十年以上も昔なわけですが、これが復刊されないのは作品のハゲしさはもとより、まずもって当時はノープロブレムだったとおぼしき差別用語のオンパレードというところも理由なのかなナ、という気がします。しかしネチっこく、また時には激烈に活写された変態的、偏執的エロスは現代にも十分に通じるもので、特にマゾとフェチに関してはここまで男の妄執をリアルすぎる筆致で描き出した逸品はかなり貴重。
「孤独な鮫」は、収録作の中では一番コジンマリとまとめられた作品ながら、冒頭、イキナリ風俗嬢に「あんたって、弱い人ね」「あんたって、まるっきり駄目な人ね」と罵られるのがキモチイイ、というシーンが出てくるのですが、これとても例えばその台詞を「あんた、バカぁ?」とかに変えればドラマ化、アニメ化も可能ではないか、……などという気もします。もっとも主人公がそんなふうに風俗嬢に罵られたいという暗い欲望を抱いてしまうのにはしかるべき理由があり、それがまた本作を文学たらしめているわけですが、そんなコ難しいことは抜きにしてもこの変態ぶりだけで十二分に愉しめてしまうのが宇野文学の素晴らしさ。
「聖淫婦」は、作者とおぼしき語り手が、旅先で知り合った精神科医からある患者の奇妙な末路を聞き、……という結構で、その患者というのが件の校長先生。先生時代に、家庭事情に問題アリ、という幼女の相手をしたことがあるのですが、その幼女が美しいオンナへと成長したときに再会してしまい、という話。
旅先で見たジャインの女神とその幼女を重ね合わせることで校長とオンナの顛末が語られていくのですが、最初は、語り手の印象を通してジャインの女神のイメージとして語られていたオンナの姿が、物語の進むにつれて、校長の入れ込んでいたとある古典作品の登場人物へと変容していく展開が秀逸です。校長は確かに奈落へと堕ちていくのですが、そこには狂気ならではの法悦が含まれてい、一線を踏みこえることでしか得られることのなかった、まさに本書のタイトル通りの「逸楽」が見事に描かれているところもいい。
「快楽の球審」もまた漫画チックな主人公の造詣と、ユーモアと悲哀を絶妙にブレンドさせた調理方法がステキな一編です。醜男が妻を娶ることができたものの、当然ながらカカア天下。そんな彼が入れ込んでいるのが野球で、……というだけではフツーの小説なのですが、愛撫交合、女体のディテールのみならず、性行為へと挑むための練習風景までにもリアリズムを大胆に導入してみせるのが宇野式で、本編では、ナニが小さいと妻に嗤われた醜男の主人公が妻を満足させるため、とある「訓練」を試みる情景がかなりアレで、簡単に引用するとこんなかんじ。
妻を悦ばすため、章太郎は或る訓練を自分に課しはじめた。コップの底に水をわずかに入れ、舌先でそれを舐めとるのである。二日も練習すると、舌の下部の靱帯が痛くなったが、それなりの効果はあるようだった。
しかしそんな主人公の涙ぐましい努力も、一月経てば妻に飽きられ、「やっぱり駄目さ。そんなことは、生身の、ほんとの男でなくちゃ。……要するにあんたは、男じゃないんだよ」と人格否定までされてしまう始末。もちろんこうした主人のエロに対する劣等感は絶妙な伏線になっていて、最後の泣き笑いするしかないラスト・シーンへと流れていきます。
「腹の逸楽」は、作者とおぼしき語り手が、アングラショーの一座に取材をすることになるも、その中に腹の造詣がエロすぎるオンナが一人いて、……という話。物語はもっぱらこの一座の微笑ましい人間関係を描くことに焦点を合わせているのですが、それぞれの登場人物のキャラ造詣がこれまた微笑ましく、ほっこりするような気持ちで読み進めていくと、……最後には意外や意外、何とも壮絶なラストを見せつけてジ・エンド。
収録作の中で一番のお気に入りは、といえば「白鳥の蜜」で、ダメ男に、年上の美女、奈落行、変態エロス、偏執的フェティシズムが渾然一体となった大傑作。主人公の浪人生が金持ちのボンボンからおすすめされたバイトに手を染めることになるのですが、そのバイトというのがとあるバレエ団の運転手。バレエというだけでも十分にエロくてアレなのですが、そこの年上マドンナに恋してしまった童貞君浪人生の情念ともいえる暗いエロスがいい。そしてある事件をきっかけに一団が堕ちるところまで堕ちていきながらも、なお主人公にとって聖女は聖女であり続けるという童貞魂が炸裂する後半は見所満載。無情感溢れるラストも見事に決まっています。
「王女と猿」は、下宿先で奥様を強姦しようとした主人公が、女の説得によって和姦へと方針転換、しかし旦那のいぬ間にセックス三昧の日々を送りながらも、彼女は二人の関係を隠そうとせず、逆に二人とも好きなのよン、と旦那が留守中の出来事を洗いざらいカミングアウト。激高する旦那との修羅場が展開されるかと思いきや、三人の奇妙な生活が始まり、……と、ここからは性と死の暗く美しい交合が際立つ幕引きへと向かっていきます。収録作におけるラストの無常観という点では、「白鳥の蜜」と並ぶ美しさで、これもまた偏愛したくなる一編です。
壮絶さと激ヤバという点では最後を飾る「屠殺部屋」がピカ一で、主人公が黒人と日本人のハーフで、そこに激しい劣等感をもってい、周囲からはそのことでネチネチといじめに遭うという暗い前半生だけでもかなりアレ。今では使えない用語もフルに使って描かれる作中の風景は、舞台が地元ということもあって親近感も湧いたりするわけですが、とある少女との出会いをきっかけに、生きることへの希望を見いだした主人公が一転、嫉妬や不安にもだえ苦しみ、またとある事件を引き金に奈落へと転げ落ちていく後半は壮絶。そしてタイトルの「屠殺」のトの字もなかった展開を訝しんでいると、最後にやめてェッ! と絶叫したくなるような痛怖いシーンが炸裂。鬱になるラストという点ではこれまた鮮烈な記憶を読者の脳髄に刻み込むステキな一編といえるのではないでしょうか。
濃厚に昭和を感じさせる物語は窒息しそうなほどに暗く、また美しい。主人公たちが必ず奈落へと堕ちる幕引きの鬱っぷりは読み進めていくうち癖になり、「白鳥の蜜」あたりではそんな憂鬱な情景を美しいと感じてしまう価値観の転換にほっこりするのも一興でしょう。渡辺啓助や蘭郁二郎にも通じる変態ぶりは、文学青年のみならず、非モテでネクラなミステリファンの方でもイッパイに愉しめる逸品といえるのではないでしょうか。オススメ、でしょう。