実は久々の鈴木光司の小説。かなりの重量級で力作といっていい物語ながら、個人的にはちょっと不思議な構成の小説、という印象もあったりして、――というあたりは後述します。
物語は、仕事先で知り合った人妻の素人モデルと不倫中のテレビディレクターが、エッチの最中に特攻隊の姿を幻視。彼はそこに何か意味があるとの天啓を受け、生き残った元特攻隊員のことを調べはじめるのだが、……という話。
物語の時間軸はバブル崩壊後の日本と、戦中と大きく二つに分かれているのですが、バブル崩壊時のシーンの主人公であるテレビディレクターと、戦中のある人物が、ディレクターの彼の父親の逸話を介することで繋がりを見せていくという前半の展開が素晴らしい。彼の父が影響を受けたという人物が、特攻隊の生き残りであろうというのは大方予想がつく展開ではあるのですが、それが明らかにされるちょうど中盤が本作の大きなクライマックスといってもいいくらい、奇跡的な盛り上がりを見せていきます。
この中盤のクライマックスを迎えてからはやや物語は緩やかな展開を見せていきます。目標が定められ、今度はその人物の現在を探しあてていく後半は、戦中の出来事を中心に描かれていくのですが、現代のテレビ・ディレクターと戦中の特攻隊員という、一見するとマッタク繋がりがないように見られる二人の人物像がやがて不思議な重なりを見せていく流れも盤石ながら、人によってはバブル崩壊時を舞台にした現代に生きる主人公の軽さと、特攻隊員の重さがこうした重なりを見せる展開にやや違和感を抱かれる方もいるのではないかな、という気もします。
というのも、ディレクターたる彼は深刻な罪悪感もなくカジュアルに不倫しているし、またその相手である人妻も、子供をとるか男をとるかと悩んでは見せるものの、旦那は人生の落伍者にしてキ印という強烈さで、どうにもそうした現代的な軽さの横溢したバブル崩壊時の世界に生きる主人公が、命を賭して生きた特攻隊員のイメージには重ならない、……というのも一応は頷けるところ。とはいえ、バブルからその崩壊にかけてフツーにリーマンをしていてあの時代の空気を知っている方であればまた違った感想を持たれるのではないでしょうか。
現代社会において、戦中のような命をやりとりを描こうとすれば、必然それは異国を舞台に求めるよりほかなく、あるいは一般社会から遊離した生活を描くというのが定石ながら、現代に生きることの真剣さを描こうとするのであれば、畢竟、そうした軽さの中に生きる主人公を描く必要があり、またそれによって過去との対比が際立つという本作の狙いも見えてくるわけで、個人的には、あまり評判のよろしくない登場人物である人妻の振る舞いにもそれほど違和感はありませんでした。
さらにいえば、主人公が最後に彼女を守るために見せた決断は、ある意味、あるものの命を賭していたともいえるわけで、ここで選択を誤れば「最悪の選択」を行う可能性もあったことを考えれば、現代における軽さの中の命のやりとりは、戦中とはまた違ったかたちで現れているともいえるわけで、これはこれでアリ、……というか、人妻がいるからこそ、戦中編では描かれることのなかったエロスが濃密に描けたという見方も可能なわけで、こんな鈴木ワールド見たことないッ! というほどに激しくキワどいエロスのシーンは、これだけでも要注目。
不倫相手と温泉旅行の挙げ句、窓の外ではスッ裸の中年男どもが露天風呂に歓声を上げているのを背中越しに見ながら、人妻に口淫してもらったり、小狭いビジネスホテルで旦那の目を盗んでひとときの逢瀬を重ねたりと、こうしたエロスのシーンを目的に本作を手にしても十二分に満足できるのでは、というほどに濃密な描写がテンコモリ。
一方、一般的な娯楽小説の風格を装いながら、読了後感じたのは、元特攻隊員の現在とその正体を探っていくミステリとしても読めるということでありまして、謎の人物の正体が最後の最後に明かされる吃驚の展開や、随所に作者の日本人論が鏤められ、それが作品を推進していく大きな原動力になっているところ、さらにはそうした謎の人物の正体を探っていく主軸に、主人公の受難を添えてみせた結構など、――は御大の『写楽』にも似ています。
もっともあちらは主人公の受難については投げっぱなしといってもいい終わり方をしていて、そうした伏線の回収が続編へと受け継がれていったのに比較すると、本作では不倫の後始末という軽さが、主人公の決断によって、特攻隊の重い生き様と最後の最後に見事な重なりを見せるという展開が秀逸で、これからの物語を予感させる幕引きも印象的。
圧倒的な筆力によって描かれた男オトコワールドに読了後はお腹イッパイという一冊で、読み切ったという爽快感を味わいたいという方には絶好の娯楽小説といえるのではないでしょうか。元特攻隊員の正体を巡るミステリとしても読める本作、これについてはさりげなーく伏線も凝らされていたりするので、ミステリ読みにもちょっとだけ、オススメしておきたいと思います。