鬼才、狩久の傑作選。お値段はちょっとはりますが、ボリューム満点、その奇才を遺憾なく発揮した素晴らしい短編がミッチリと詰まっていて、大いに堪能しました。
収録作は、巧妙な気付きによって足跡の謎を繙いてみせる瀬折研吉・風呂出亜久子シリーズの一編「見えない足跡」、逆説まみれの奇妙なコロシに泡坂風味のロジックが冴える「呼ぶと逃げる犬」、一癖も二癖もあるミステリマニアどもが揃って死に際の伝言に残されたタンポポの謎解きに興じる「たんぽぽ物語」、逆密室の構図から人間心理の機微を二転三転する華麗な論理によって描き出した「虎よ、虎よ、爛々と――」。
女心の「文学的」心理に不可能趣味を重ねて男女の隠された恋模様を仄かにたちのぼらせる「落石」、狩久的な大人の男女の隠微な關係に毒殺トリックの巧妙さが照射される「氷山」、強盗野郎の突然の闖入に男女のミステリ的な駆け引きが鮮やかに描かれた「ひまつぶし」、陰気な病弱野郎の巧妙な完全犯罪と神の手による転倒した幕引きの対比が秀逸な「すとりっぷと・まい・しん」、太った山女魚への疑問からグロテスクな犯罪が暴かれる展開に添えられた軽妙なオチ「山女魚」。
船内のコロシに複数人物の点描から細やかな技巧によって犯罪構図が繙かれるロジックが秀逸な「佐渡冗話」、なまめかしい人妻の虜となった男たちの企みから浮かび上がる戦慄すべき犯罪の情景「恋囚」、昔の恋人との邂逅から狩久ワールドに鏤められた暗号が怒濤のごとく明らかにされていく私小説的探偵小説の傑作「訣別」、一人の女に許婚、そしてもう一人の男という隠微な男女の三角関係が描き出す大人の男女のたくらみ「共犯者」ほか、評論・随筆の八編。
狩久といえば、特徴的な文体に隠微なエロティシズム、華麗な犯罪構図と読みどころも多い奇才なわけですが、編者の横井氏曰く、本作は、「梶龍雄のいわゆる「幅広い智性に裏付けされたはてしない論理の世界」を描いた作品を中心」に編まれたものゆえ、エロいかんじはやや控えめ。ただ、横井氏は同時に「本書が好評をもって迎えられたならば「比較的セックスの匂い強い作品群」……の刊行も可能」と述べているので、こちらの方を是非とも期待したいところです。
何でもありで技巧の洗練を重ねて深化を遂げた現代本格に比較すると、比較的おとなしい作品ばかり、――では全然なくて、たとえば「呼ぶと逃げる犬」などは、奇妙な逆説ばかりを唱えている男の死と、奇妙な現場の樣子といったところは泡坂ミステリ的でもあり、犯人の決め手となるささやかな気付きもまた巧妙。ロジックの端緒のなるこうした気付きに注力したロジック開陳の手さばきなど、現代本格として読んでもマッタク古さを感じさせないところも素晴らしい。
「虎よ、虎よ、爛々と――」も、犯人とおぼしき人物が密室に閉じこめられているという、これまた逆説的な現場がキモで、ここに狩久ワールドならではの蠱惑的な美女が容疑者としてクローズアップされるとともに、一癖ありそうな個性的な男どもがその周りを取り囲んでいるという人物構図もいい。
収録作の中では冒頭に並べられた、探偵役となる風呂出亜久子は、ヘソだしルックで靨が可愛いという魅力的な女性でありますが、「虎よ、虎よ、爛々と――」の江川蘭子や、「恋囚」の由加里夫人など、どうしてこうも狩久ワールドの女は男を惹きつけてやまないのか、台詞回しからちょっとした挙措まで、その素晴らしい人物造詣にも注目でしょう。
そしてまた、そうした女の魅力の虜となってしまったのをきっかけとして、隠微な犯罪が進行していくというのが狩久ミステリの特徴でもあるわけですが、犯罪の隠微さという点では「すとりっぷと・まい・しん」が印象に残ります。
収録作の中でもよく見られる毒殺ものの一編ながら、あるものを用いて可能性の犯罪に賭けようとする男の執念が淡々とした筆致で描かれていきます。倒叙フウに描かれたこの犯罪が成功し、――といったところで、この可能性の犯罪に神の手がどのように作用したのか、ということを仄めかすオチが効いています。
「ひまつぶし」は、事件といっても強盗の闖入に絡めて未亡人と青年とのロジックの応酬を活写した一編で、狩久らしい軽妙さと明るさをイッパイに感じられる素晴らしい一編です。これ読んで何となく「丸太町ルヴォワール」の第一章を思い出してしまいました。
悪魔的な奸計に歪んだ人間心理、そして男女の恋愛が絡み合って戦慄すべき犯罪が起こる、――という展開の優れている傑作が「恋囚」で、病気持ちの陰気な夫、美しすぎる妻、陰気な夫の血をひいた悪魔君にその家庭教師と、登場人物の配置も盤石で、そこに妻のかつての恋人が不慮の事故で死亡した謎が添えられ、……そんななか、病気の旦那が不可解な自殺を遂げる。
読者は当然、妻か家庭教師を疑うのが定石で、実際、謎解きもその通りに進行していくのですが、本作が面白いところは、この魅力的な妻と家庭教師の双方を「探偵」に据えながら、二人の心理描写も拔かりなく、丁寧に描いているところでしょう。真相はフーダニットという点ではこの技法からいけば予想の範疇におさまるものであるとはいえ、その悪魔的なトリックと冒頭に添えられたエピソードが強烈な連關を見せる結構が素晴らしい。
人物描写に工夫を凝らして、事件の構図の開陳をうまく見せているのは、「佐渡冗話」も同様で、全体を俯瞰するとやや冗長に感じられるものの、船に乗り込んだ個々の人物を点描していく方法は、最後に探偵が明かしてみせる構図に説得力をもたせるため、そして伏線を作品全体に均質に鏤めるための必然であったことが判ります。
このあたりの技法は現代本格にも充分通じるものがあると思うし、また「呼ぶと逃げる犬」の逆説ロジックや、「落石」に登場する人物の異常な心理などは、現代本格的な読みを用いるからこそ輝いてくるもののような気もします。特に「落石」に登場する女の心理について、狩久が「訣別」の中で「文学的」と述べているところが個人的には興味深い。現代本格的な視点で見ると、これこそは「本格ミステリ」の真髄ともいえるものながら、狩久はこれを「文学」と「ミステリ」と對處させて、むしろ「本格ミステリ」とは逆のベクトルを向いたものとして意識しています。このあたりに時代を感じるか、あるいは「文学的」と対比しながらも、むしろ対比することによって、その心理の異常さを活かして本格ミステリを構築しようとしたところに奇才ならではの技巧を見るか、――このあたりは人それぞれだと思います。
「らいふ&です・おぶQ&ナイン」みたいなナンセンスを極めたキワモノ風味こそ薄味ながら、「訣別」のような狩久でしか書けないようなヘンテコに過ぎる作品もシッカリ収録されているし、ロートル的には、平成の「萌え」とは異なる、昭和風味の蠱惑的な女性たちの造詣だけでも本作は大いに買い、……というか、本作がシッカリ売れてくれないと、本丸ともいえる「比較的セックスの匂い強い作品群」を読むことができないので、ここは是非ともマニアのみならず、ウブなヤングにも購入いただき、ムンムンとエロティシズムのたちのぼる次作の刊行に繋げていただきたい、と願ってしまうのでありました。オススメ、でしょう。