黄金期の視點。
既晴氏とともに現在の台湾ミステリを牽引している藍霄氏の作品、長編ではこのブログで台湾ミステリの第一彈として紹介した「錯置體」のほか、「光與影」と「天人菊殺人事件」がリリースされているのですが、今まで取り上げていませんでした。これではいけない、ということで、今日は「天人菊殺人事件」を紹介したいと思います。え?今日は例の「アレ」を取り上げるんじゃなかったの、という方、スミマセン。
「錯置體」が藍霄氏の十八番である密室殺人を扱いながらも、ほとんど幻想ミステリに突き拔けてしまったといってもいい異樣なプロットと展開、さらにはフーダニットに軸足を置きつつもその「仕掛け」がこれまた讀者の想像の斜め上をゆくところが個人的には完全にツボだったのですけど、本作はそういった藍霄氏の、現代の本格ミステリに對するアプローチがまだ開化する前の作品、と位置づけることが出來るかもしれません。
本作の物語は、解剖室での三重密室殺人事件を扱った前編と、天人菊島で發生した洞窟内の密室殺人事件が展開される後編に分けられます。事件に對する仕掛けの重量感という點ではやり前半に大展開される解剖室での密室殺人が壓卷で、ミステリ研のマニア君が解剖室の、更に奥にある冷凍庫の中、獻體死體を浸したホルマリン池の傍らでブッ斃れていた、というもの。
解剖室に入るにはカードが必要で、マニア君が失踪した日から死體發見の日付まで、この部屋に入った人物の記録はシッカリと残されている。果たして男はいつ、何処で殺されたのか、そしてその犯人は、……という話。
ここに物語の記述者であるblueこと藍霄と名探偵である秦博士も含めたクラスメートたちが關係者たちに聞き込みを行いつつ事件の謎を探っていくのですけど、物語の開始早々、死體が發見され、現場の状況がつまびらかにされるとはいえ、その後は專らこの聞き込み調査に頁が費やされるという、黄金期のミステリを髣髴とさせる展開は今讀むとある種のレトロさを感じさせます。
しかしこの前半に數々の圖解とともに開陳される手掛かりの量がまた膨大で、各人のカードに記された入室記録から、解剖室の現場圖、さらにはドアの鍵の形状までが圖解によって讀者に明らかにされます。そして解決篇の前に讀者への挑戰状が添えられるという構成もまた藍霄氏の推理ゲームに對する意気込みと、この謎に對する自信が感じられてマル。
実際、この三重密室の事件はある種、非常にシンプルなトリックに支えられてい、それとはまったく違う推理方法でこの膨大なデータから犯人を當ててやろうと腕捲りで挑んだ自分は完敗でしたよ。そしてその煩雜にさえ感じられるデータの間隙を突いたともいえるこの非常に單純な仕掛けに騙される為にも、前半で冗長にさえ感じられる關係者の証言はひとまずシッカリと目を通しておいた方がいいかもしれません。
後半は舞台を天人菊なる孤島に移して、ヒョンなことから野球部のメンバーに選抜されてしまったクラスメートとblueが嵐の孤島で殺人事件に卷き込まれるのですけど、個人的にはこの第二、第三の殺人で使われたトリックは非常にお氣に入り。
野球部メンバーが合宿にと意氣込んで船に乗りこんだものの、生憎の雨、というか、もうノッケからのドシャ降りで海は時化まくるわ、メンバーは船酔いでゲロ吐くはともう大變。
クタクタになって島に到着早々メンバーの一人が失踪して、島中を搜し回るものの結局行方不明ということになってはもう、野球の練習どころではありません。で、翌日には島の洞窟の中でまた別の人間が死體となって發見され、そのあと失踪していた人物もまた溺死体で見つかったとあれば、未解決の解剖室の密室殺人事件との關連を疑うのは當然。
地元警察のボンクラが間拔けな捜査と推理を働かせるのもこれまた黄金期ミステリの御約束で、最後にはマッタクの無實君を貴樣が犯人だ、と指摘。そこへ異議あり、と声を上げた秦博士は半年前の解剖室の三重密室殺人事件とともに、天人菊での殺人事件の謎解きをしてみせる、……。
卷末に掲載されている楊之果氏の推薦文によると、前編の解剖室の密室事件は、以前に「推理雜誌」に掲載された「迎新舞會殺人事件」で使われたものとのことで、本作ではこの事件をリライトして長編へと展開させたとのこと。
それ故か、前編と後編は大きく分断されてしまっている印象があったりするんですけど、そんな事件の構成から離れたところで全編を通して感じられるのは、青春ミステリとしての風格で、醫學生たちの會話のやりとりは愉しく、何となくこのあたり、有栖川氏の學生アリスシリーズのような雰圍氣が感じられます。
探偵役となる秦博士の全身黒衣のブラックジャックを髣髴とさせる風體と、どこかユーモラスさえ感じさせる記述者blueやそのクラスメートたちとの對比もまた面白く、「錯置體」で全編に漂っていた不穩な雰圍氣は希薄、自分が期待している幻想ミステリ的な風格は「錯置體」や「光與影」に比較すると物足りないものの、黄金期のミステリが持っている鷹揚さや、殺人事件を核にして物語を展開させていく忠実な構成は、古典派にも十分にアピール出來るのではないでしょうか。
幻想ミステリのファンとしてはやはり「錯置體」をイチオシとしたいところなんですけど、解剖室の三重密室における外觀の複雜さとその仕掛けの鮮やかさの對比は見事で、またこの密室とは大きく雰圍氣を異にする後半での天人菊島での事件の展開も興味深い、という譯で、やはりミステリといえば黄金期の古典の風格がないと、……という方には藍霄氏の長編中、本作が一番愉しめるかもしれません。
……と、手堅く纏めたところで、これからまたまた「天帝」に再挑戦しようと思います。一応、半分くらいまでは耐性がついてきたので、勢いをつけてあとはイッキにいきたいのですけど果たしてどうなるか。