異界幻想譚變容、老獪さここに極まる。
傑作。個人的には恒川氏の處女作「夜市」はそのあまりの老獪さに、うまいけど何か騙されているような氣がしたりして、素直には愉しめないなア、なんてゲスな感想を持ってしまったんですけど、本作もその老獪さは健在乍ら、隠れ里幻想譚にビルドゥング・ロマンス的な色彩を添えて、さらには冒險物語やミステリ的ともいえる仕掛けを凝らした構成など、その完成度の高さにはもう完全にノックアウトですよ。
短編としての「夜市」の完成度の高さからして、恒川氏の次作においては成長とか深化とか、そういうものとは無縁の作品になるのでは、なんて考えていたんですけど、本作では「夜市」における完璧な結構を敢えて崩そうとしているところに個人的には注目、でしょうか。
物語は基本的に本作の主人公であり語り手でもある賢也と、茜という娘の二つのパートから成り立っておりまして、賢也というのは外界から隠れ里たる異界へやってきたという少年で、前半は餘所者だったゆえにいじめられっ子だった彼と、ボーイッシュ娘たちとの交流を描きつつ、物語はゆったりと流れていきます。
もっともゆったり、といいつつ、彼の姉が雷季に突然失踪していることが語られたり、或いは風わいわいなる謎の霊體に男の子が憑依されていたりと、すでに不穏な雰圍氣はそこここに感じられ、これが中盤以降の転換に大きく關わってくる譯です。
この隠という隠れ里の舞台設定がまた見事で、現世と切り離された完全なる閉鎖世界という譯でもなく、下界と隠を行き來する商人の存在もあったりと二つの世界は地續きながら、その一方では村の隣に死者の世界があったりする。
前半に展開される隠の場面は、さながら時間が停止したかのようなかんじで物語は悠然と進むのですが、薄汚いリアル世界を離れて精靈めいた雰圍氣さえ感じられる隠の住人はいいひとばっかりなのかなア、なんて感じて讀みすすめていると、中盤、主人公がホの字だったボーイッシュ娘の兄キがとんでもないゲス野郎であったことが発覺、ここから物語内の時間が一氣に進み出す變轉は本當に見事。
やがへ隠を追われることになった主人公は彼に憑依している風わいわいなる霊體とともに現實世界を目指すのですけど、この中盤から茜という娘っ子の物語が併行して語られていきます。
こういう構成だとやはり男の子とこの娘っ子が最後にどういうふうに絡んでくるのかなア、というところが氣になってしまう譯ですけど、實は自分、すっかり勘違いしておりまして。自分は風わいわいなる存在が女性であったところから、この茜というのがアレだったんじゃないか、なんて考えてしまいまして、この茜と男の子の關係が明らかにされていく後半ではそんな譯で、何か作者の仕掛けたトリックに騙されたような感じて吃驚、……というか、こんな勘違いをして本作を讀みすすめてしまったボンクラは自分だけだと思いますが(爆)。
現實世界のパートともいえる茜の章では、DVとかいじめとか、一家皆殺しとかシリアルキラーとか拉致監禁とか、とにかく現代的な出來事が描かれるのですけど、それでも作者の靜かな筆致は決してぶれることはありません。
男の子のパートに登場する風わいわいの宿敵ともいえるゲス野郎の容赦ない鬼畜ぶりを描くにしてもやたらと讀者の感情をあおり立てることはなく、終盤、いよいよ少年たちとこの宿敵たる鬼畜男との鬪いが始まるぞッ、という大盛り上がりの展開に突入するところでも、作者はさながら讀者へ肩透かしを喰らわせるように語り手をこの鬼畜野郎のモノローグへと切り替えてしまいます。
この終盤の構成には賛否両論あったりするのでは、なんて氣がするんですけど、うますぎる定番の構成に、感動を満喫しながらも何だか作者の掌で躍らされているような妙な違和感を抱いてしまった「夜市」に比較すると、讀者の期待を反らしながらも意外性を凝らしてみせたこの展開、自分的としてはマルでしたよ。
天上界の絶對者を気どって鬼畜行為を繰り返すこの宿敵は、下界と隠れ里たる異世界である「隠」の間に現れた歪みにも感じられ、こいつが隠れ里パートの男の子と、現實世界の場面に登場する娘っ子を繋げる役回りを持っているという、考え拔かれた人物配置も素晴らしい。
「夜市」に比較すると、登場人物の配置や物語の舞台である異世界の設定など、かなりこねくりまわしたところも感じられるんですけど、風わいわいといった存在や、ゲス野郎の仕事ぶり、さらには雷の季節といったアイテムや趣向はそれだけで魅力的。
敢えて「夜市」ではめいっぱいに展開させた、感動や泣きといった風格を後退させ、そこへ冒險譚やミステリ的ともいえる仕掛け(っていうかこれは多分自分の勘違いカモ)、さらには現代に於ける社会問題などもシッカリと添えてみせたところなど、この「夜市」からの作風の變化を長編小説ゆえの趣向とみるか、それとも作者の新たな試みとするか、このあたりの評價はとりあえず保留でしょうか。
それとこれは本作の物語とはズレるんですけど、何だか本作の舞台となっている「隠」と、「夜市」の異世界、そして「風の古道」で出てきた場所が何処かで繋がっているように感じられるのは自分だけでしょうかね。
これって、何だか半村良の伝奇小説を讀んだ時の感覺に似ているんですよ。鬼道衆とヒ、そして嘘部たちは、それぞれが独立した物語の中だけの話ではなくて、同じ虚構の歴史の中に併存していたのではないかなア、なんていふうに思ってしまうんですけど、それと同じように、例えば「風の古道」は本作の隠にも通じているのでは、なんてことを考えては一人ニヤニヤとしてしまったのでありました。
落ち着いた筆遣いから醸し出される叙情性や幻想的な風格はさらに極まり、物語としても一級品の貫禄を感じさせる本作、幻想小説ファンに広くおすすめしたいと思います。