藪蛇的展開。
ジャケ裏のあらすじとかを讀むと、誘拐をネタにしたた正調サスペンスものかと思いきや、實際は非常にひねくれた本格ものという本作、主人公は、ペンの力によってインチキ美容法で大儲けしていた人物を自殺においやってしまったフリーライター。
この自殺したインチキ野郎の娘もまた身重にありながらも遺書を残して岬から飛び降り自殺を敢行してしまうんですけど、後日、この女の旦那を名乗る人物から電話があって曰く、お前の一人息子を五日後にブチ殺すから覚悟しとけガチャン、と有無を言わせぬ処刑宣言にフリーライターは唖然呆然。
普通だったらここで誘拐犯人との身代金のやりとりなどを交えて虚々實々の騙し合いが展開されたりする筈なんですけど、何しろ誘拐犯人の眞の目的は金ではなくて「愛する者を奪われた苦しみを味わえ」というところにある譯ですから、たとえ大金をチラつかせようとも相手はマッタク聞く耳を持たない譯です。
実際、犯人の方はこちらの話も聞かずに電話を切ってしまうというテイタラクでありますから、そうなると主人公としては息子が何処にいるのか、或いは犯人は何処にいるのか、その潜伏先を探る為に奔走し、……と普通のミステリだったらこういう流れになる筈が、本作では主人公がまったく意外な行動に出るところが獨自色。
斷崖絶壁から飛び降り自殺したとされる誘拐犯人の妻の件、アレはどうやら自殺じゃなくってコロシらしい、だとしたらこちらが逆恨みされるのはまったくの筋違い、とばかりに主人公は誘拐された息子の行方を捜すことも、また犯人の居場所を突き止めることもせずに、件の身重女が飛び降りたという現場に直行、自殺を擬装して彼女を殺した「眞犯人」を突き止めようとするのだが……。
何しろ本職がフリーライターでありますから、ある意味でっち上げはその道のプロ、とりあえず身重女の周辺にいて彼女を殺す動機のある人物を三人ばかりピックアップして調べてみたりするんですけど、まずその中の二人には鐵壁のアリバイがあって犯行は絶對不可能。最後に残されたもう一人にとりあえずインタビューの場を繕ってそれとなく話を振ってみるものの、後日この男は犯行當日、海外に行っていたことが明らかに。
セレクトした容疑者のいずれにも鐵壁のアリバイがあったことで、主人公の活躍もすっかり振りだしに戻ってしまったかと思いきや、息子の世話を御願いしていた近所の独身女性と件の現場に赴いた際に思わぬ事件を解く鍵を見つけることになって、……というところから次第に眞犯人の思惑が明らかにされていく展開は秀逸です。
この作品ではド派手なアリバイトリックは皆無なんですけど、誘拐事件とリンクさせた心理トリックの大技が効いていて、以前取り上げた夏樹静子の「天使が消えていく」ほどの巧みな伏線こそないものの、後半、主人公の推理によって殺人事件の眞犯人が何を考えていたのか、そのあたりが解明されていくところは今讀んでも十分に新鮮で、冒頭さらりと言及されていた保育園での保母さん殺人事件も交えて全ての事件がひとつに収斂していくところも面白い。
また個人的には主人公に付き從っているヒロイン(?)の造詣が好みで、事件現場の雄大な景色を前にして、この女性が彼に對して自分が處女、とカミングアウトする會話も笹沢ワールド的な女性像をムンムンに漂わせていてナイス。
自分が病弱であるばかりに恋愛に對しても臆病になってしまっている彼女は主人公に一度だけ自分は人を好きになったことがある、と躊躇いながらも呟くシーンなんですけど、こんなかんじ。
「一度だけ、愛したことがあるんですか」
天知は言った。
「ええ」
顔を伏せて、真智子は頷いた。
「それでも、あなたは逃げたり、避けたりしたんですね」
「いいえ……」
「だったら結ばれたんですか」
「いいえ……」
「よく、わからないな」
「いまでも、心の底から愛しているんです。でも、それだけに留めていて……。命がけで愛すれば愛するほど、それ以上の仲に發展することが恐ろしくなるんです。具体的な関係に発展したら、愛そのものが駄目になってしまうような気がして」
「プラトニック・ラブのままで、終わらせるつもりなんですね」
「女が二十八にもなって気持が悪いと言われそうだけど、わたくしはまだ男性を経験したことがないんです」
なんてかんじで身近な女性からいわれたら、こりゃアその、彼女が好きになった男性っていうのは目の前にいる自分で、彼女がモーションかけているんだろう、ってボンクラな男だったら想像してしまうじゃないですか。実際、このあとも女性はモジモジしながら愛するだの何だのという台詞をモノローグめいた調子で繰り返すんですけど、實はこの勿體ぶった彼女の言葉の中にも仕掛けが隱されていて、……というあたりは男と女の機微を知り盡くした作者の眞骨頂、ベタながら後半に全ての事件の真相が明らかにされていくところではこのヒロインの不憫さに少しばかり胸が痛くなってしまいましたよ。
物語の骨格に誘拐事件を据えてそれらしいサスペンスを展開させることを敢えて避け、殺人事件を交えた奇天烈な構成に作者らしい心理トリックを凝らした本作、確かに登場人物たちの造詣には最近の本格ミステリからすると「らしくない」舊さを感じてしまうことも事實なんですけど、少ない主要登場人物たちの錯綜した連關が推理とともに明らかにされていくところや、誘拐事件の眞の意図の捻れっぷりなどには、新本格や連城的ともいえる趣向も感じられると思うのですが如何。
本作では強引にも見える発想を一本技の心理トリックで押し切ったところがキモなんですけど、もしこのネタで現代のミステリが書かれるとすれば、あと少しこの眞相に到る為の伏線がシッカリと書き込まれるべきかとも思ったりもします。今のミステリはこのような作品からどのような部分を洗練させてきたのか、そのあたりを考えてみるのも一興でしょう。