という譯で、このエントリで冷言氏が公開された寫眞にリンクを張っておきます。
「・吃・渠,那不是昨天的冷言桑・亨,怎麼坐在地上・希(おや、あれは昨日會った冷言さんでは。何でまた床に座っているかしら)」は、昨日の既晴氏のエッセイにもあったとおり、會場は大入りだった為、冷言氏は椅子に座ることが出來ずに、通路の前側の床に座って話を聞くことになったようです。
「前面那個同學,不可以趁老師不注意的時候偷拍・居(前に座っている趁先生、こっそり寫眞をとってはいませんよ)」を見ると、既晴氏はかなりリラックスされている樣子。
「老師今天是紅襯衫加紅帆布鞋・居(今日の先生は赤シャツに赤のスニーカーという出で立ち)」では前日の白シャツから鮮烈な赤シャツにチェンジ。
「阿no,台灣的麻將和日本麻將的規則不知道有沒有一樣・希(あの、台湾のマージャンと日本のではルールは同じなんですかね)」って、マージャンの話をしていたんでしょうか。
「這本會不會就是叫價兩千的那一本(これってもしかして、二千元するっていう例の本?)」では座談會でサインをされている綾辻先生の圖。
冷言氏もこの前日の記者會見と座談會について「綾辻老師訪台之冷言遊記」を書かれているのですけど、この中でちょっと氣になったのが「十角館の殺人」が本になるまでのいきさつについて、綾辻氏が述べられたことでありまして。
冷言氏の記事によると「座談會的内容,我印象最深刻的是關於綾辻老師處女作「殺人十角館」的出版呈程。據老師説,這本書從完成到出版,一共花了五年的時間(座談會の内容の中でもっとも印象に残ったものはというと、綾辻先生の處女作「十角館の殺人」が出版されるまでのいきさつについで、先生曰く、この本を書いてから出版に至るまで足かけ五年はかかったとのこと)」とあるんですけど、これは初めて知りましたよ。
宇山氏、島田御大の手に渡ってからは結構トントン拍子に出版までこぎ着けたという印象があったんですけど、宇山氏と島田御大のところへたどり着くまでに結構な紆余曲折があったということでしょうかね。
初めまして。こちらのブログは以前から興味深く拝読しておりました。
綾辻先生訪台に関する記事も、毎回ありがとうございます。
他サイトの中国語で書いてある記事も、漢字を眺めていれば何となく意味はとれるのですが、こちらでは日本語で紹介していただけるので、とてもありがたいです。
「十角館の殺人」、原型は先生が大学四年生の時に書かれた「追悼の島」という作品です。江戸川乱歩賞に応募したものの、あえなく落選。この頃はまだ、いわゆる「本格ミステリ」には厳しい時代だったようです。
その後先生は大学院に進学。「追悼の島」は改稿を経て、とあるエージェントの手に渡り、そこから講談社以外の出版社にも原稿が行ったようですが、出版OKが出たのは講談社の宇山さんのところだったと。そんな経緯があったので「足かけ五年」かかったようです。
mihoroさん、こんにちは。
嗚呼!「追悼の島」から考えれば確かに五年ということになりますね。スッカリ忘れておりました(爆)。
綾辻氏訪台をきっかけに、日本のミステリファンがもっと台湾ミステリに関心をもってくれると自分としては嬉しい限りです。他にも日本に紹介したい記事とか色々あるんですけど(「野葡萄」の余心樂氏の論考とか。余心樂の名前は有栖川氏のファンなら知ってるカモ)、どれほど需要があるものか分からないんですよねえ。恐らく來月の「野葡萄」は綾辻氏訪台湾の記事が大きく掲載されると思うので、そのときにはまたここで紹介したいと思います。