奇天烈玩具箱、孤島に出現。
ジャケ帶の「ペダンティック、アクロバティック、ファンタスティック これが本格ミステリだ!」という煽り文句が刺激的な本作、端正に仕上げたミステリ乍ら實をいえば非常に地味。自分としてはあとがきで作者が挙げているジョナサン・キャロル風のダークファンタジーとして愉しませてもらいましたよ。
「あまりにも奇妙で、異常で、それでいて確かに私たち人間の世界でしか起こり得ない物語の幕を上げるに先立ち……」という、語り手の有栖川有栖らしくない、ものものしげな前口上で始まる物語は、本格ミステリというよりはゴシック風味。
船頭のカン違いで目的の島とは違うところへたどり着いてしまった有栖川有栖と火村の御一考は、この孤島で何やら譯ありに隱遁生活を送っている有名作家やその周囲に參集したこれまた譯ありの人間たちを交えての殺人事件に遭遇、果たして犯人は誰なのか、そして彼らがこの島に集まった目的は、……という話。
鳥島に烏島なんていかにも間違えそうな島の名前が冒頭に出てきたものですから、スッカリここに例のトリックがあるんだろう、なんて思ってしまったんですけど、本作の仕掛けはまったく別のところにありまして、その構造が本作を本格ミステリというよりは、ダークファンタジー風の物語に見せていると思うのですが如何でしょう。
前半、この譯ありの作家を交えて展開されるポーの大鴉のアレが虚無マニアには堪らないところでありまして、インテリ火村とこの隱遁作家の二人が雰圍氣イッパイに盛り上げる前半は素晴らしい。しかし本作には赤い唇にニヤニヤ笑いを浮かべた氷沼紅司は登場せず、その代わりといっては何なんですけど、事件の舞台となる孤島にヘリコプターの爆音を響かせて御登場いただいたのがオタク長者の成金社長。
こいつがまた有栖川ワールドでは必ず一人や二人は出てきそうなイヤ感をプンプンに醸し出しているトンデモ野郎でありまして、この男の愛稱というのが「黄金の指を持つオタク」通稱ハッシー。「バイバイ、よろしくぅ」とか「テレビで見るよりイケてると思わない?」「いつでもウェルカム」とか、とにかくため口で粹がった言葉を吐き散らすキャラがこれまた痛い。
皆の前でネオ・ジパングだのクール・ジャパンだのミダス・タッチだの妙な持論をブチ上げる怪しさはかなりのもの、しかし語り手のアリスはこの山師の、「日本のエンターテイメント小説も世界に向けて発信したい」という甘言にスッカリ惑わされてしまいます。この山師のセールストークを簡單に引用してみますとこんなかんじ。
僕は、日本のエンターテイメント小説も世界に向けて発信したい。その駒のひとつとして、推理小説がふさわしいと考えています。特に目をつけたのは、日本風に味つけされた本格ミステリです。名探偵がトリックを見破り、華麗な推理で犯人を名指しする、という古典的なスタイルの推理小説は、日本の十八番になっているんでしょ?本場のアメリカや英国では、そういうのは流行らないと聞いています。アングロ・サクソンが創った本格ミステリを日本人が書いて、ばんばん彼らに売りつけてやろうじゃないですか。痛快ですよ、これは。
アリスも人の子、というべきか、もっともリアルワールドでも「日本では絶版となってしまった私の小説が海外で飜譯されるッ!法事ッ(意味不明)!」ということが嬉しくて嬉しくてもうタマラなくて、あたかも自分の書いている小説ジャンルがその国で大流行になっているかのような妙チキリンな發言を繰り返している作家もいるくらいですから、小説の世界ではいわずもがな、ここは語り手の有栖川を嗤うべきではないでしょう。
このキャラからしてまず最初に死体となるのはこいつだろう、なんてかんじで讀み進めていくとその予想を裏切るように、屋敷の一人物が撲殺死体となって発見されます。それと時を同じくしてIT長者の山師野郎は失踪、犯人は彼なのかと思っていると、この香具師もまた崖下で無残な鳥葬死体となって見つかります。果たしてこの二つの殺人事件の犯人は、……。
クローン技術に人口授精といった二十一世紀本格的な要素とポーの大鴉の異樣な融合が、一向に明らかにされない事件の背後で、さながら通奏低音のごとくに鳴り響いている雰圍氣は、ダークファンタジーの風合いに近く、後半、本格ミステリの手法によって讀者の前に啓示される異樣な眞相と、俗物根性丸だしの或る人物の行動の対比が更に物語の歪んだ構造を際だたせています。
作者もあとがきで述べている通り、本作の特徴は「本来はそこから書き始めるべきであろう起点が隱蔽され」ているところにありまして、それ故に孤島ものという言葉から期待されるオーソドックスな本格ミステリの風合いは稀薄。
このあたりをマイナスと見るか、それとも「SFでもなし、恋愛小説でもなし、ジョナサン・キャロルのようなダーク・ファンタジー」でもない歪な物語を「らしくない」と見るか、このあたりで評価が分かれるような氣もしますねえ。
「そこから書き始めるであろう起点が隱蔽」されているという特異な構造ゆえ、正直謎解きは一つ一つの事件の伏線も含めてもどかしさは感じられるものの、途中で展開される時計のロジックに對する執拗なこだわりぶりは相當に讀ませます。このあたりはやはりうまいなあ、と思いました。
それと自分としては、作者のあとがきで、藍霄氏の名前が挙げられていたことに吃驚ですよ。何でも「作中に登場する先端科学技術について、藍霄氏にいくつかのご質問をして、アドバイスを頂戴した」とのこと。恐らく本作で事件の重要な鍵を握るクローン技術や人工授精についての話題だと思うんですけど、余心樂氏を日本に紹介したのも有栖川氏でしたし、こんなかたちで日台のミステリ作家が交流をもっと深めてくれれば、雙方のミステリを愛する自分としては嬉しい限りですよ。
事件の外観は單純ながら、その背後に隱蔽された異樣な動機と異樣な眞相。孤島ものの定番からは大きく外れた破格の構造を持つ本作、作者らしい本格ミステリとしてよりは、大鴉の呪縛が醸し出すダーク・ファンタジーとして讀んだ方が、語り手が前口上で述べている「奇妙で、異常で、それでいて確かに私たち人間たちの世界でしか起こり得ない物語」を堪能出來るような氣がします。