幻妖トラウマ時代劇。
超絶アンソロジスト東雅夫氏が、最近自身のブログ「幻妖ブックブログ」で久方ぶりに「伝奇ノ匣」の話をしておりました。「夢野久作ドグラマグラ幻戯」の素晴らしい構成など、自分も非常に氣に入っているこのシリーズが再開されることを願いつつ、今日はこの企畫の第一彈、「国枝史郎ベスト・セレクション」の中から「八ヶ嶽の魔神」を取り上げてみたいと思いますよ。
魔神、なんていかにもおどろおどろしいタイトルがついていますけど、この物語の主人公である件の魔神の正体は、下界のゲス野郎とこの男に騙された山人娘の間に生まれた野生兒で、魔神とは名ばかりの、実をいえばたいした神通力も持っていない一般人。
彼の父親というのが、山人に傳わる黄金の甲冑を盜み出す為だけに部族の娘をたぶらかしたという盜人で、この犧牲者の娘というのが魔神の母親。許嫁がいながらも「都会はいいぜエ」なんて甘い言葉に誑かされ、このゲス野郎に惚れてしまったのが運の尽き、マンマと甲冑を盗み出したこの男は、衒いもせずに仲間の男へ彼女を味見したそのようすを滔々と語ってみせるという按排で、
「……窩人々々で城下の奴らが鬼のように恐れているその窩人の娘とあっては、ちょっと好奇心も起ころうというものだ。それに容貌だって相当踏める。変わった味だってあるだろう。当座の弄みにゃ持って来いだ。お前だってそうだろう」
「ところで味はよかったかな」
「俺にとっちゃ初物だった。第一体がよかったよ。色の白さと柔らかさと羽二重というより真綿だね。それに情愛の劇しさと来たら、ヒヒヒヒ、何と云おうかな」
で、こんな俗物に騙された山人娘なんですけど、男に捨てられた時にはすでに子供を身ごもっておりまして、その子供が生まれるや、父親を憎みまくるようにと日ごとに呪いの言葉を滔々と言い含めていたというから穩やかじゃない。さらに臨終の際には、父親への復讐を決して忘れることのないようにと、子供の腕へ自分の齒形を殘していくという周到振り。
そんな娘の非業の死を語り終えたあと話は飛んで、物語はとある侍の、十一歳になる息子が病に斃れてしまう場面に移ります。その武家に拾われた葉之助こと件の魔神は以後、記憶を喪ってこの武家の息子として育てられのですけど、最初の方は劍術も滅法強くていかにも主人公らしく、常人とは違うところを披露するものの、歳を経るにつれてその力が明らかにパワーダウンしていくのは如何なものか。
ある日、葉之助は父に請われて、妖怪魔物に取り憑かれたという武家屋敷を訪れのですけど、この屋敷の主人というのが実は彼の父親。つまりこいつは山人の秘宝である黄金の甲冑を売り捌いた金で今や大金持ちとなっていた譯です。で、この父親は屋敷を訪ねてきた葉之助が捨てた山人娘に劇似だったから吃驚ですよ。しかし當の葉之助は父親を前にして何かおかしいなア、なんて感じながらも氣がつかない。
すわ妖怪退治が始まるのかと思いきや、「ここで物語は一変する」という作者の仕切りによって舞台は再び過去へとワープ、ここから山人族の宿敵、水狐族のことが語られるのですけど、ここで初めて冒頭の「邪宗縁起」でほのめかされていた、お姫樣と殘忍兄貴の許嫁、そしてその弟の三人で展開された三角関係の謎が明かされる。
このあたりの過去と現在を迷走する構成が煩雜乍ら、物語の核となる二大勢力の構図の説明を終えたあとは作者の筆もノッてきます。
ここで葉之助の宿敵となる水狐族の妖怪婆が登場、主人公と相まみえた妖婆は劍術で挑み掛かる葉之助を相手に、片腕を空にかかげてグルグル回すという奇妙な幻術で應戦、ここでは山人の血が入っていながら何の超能力を驅使せずに呆氣なくやられてしまう葉之助ではありましたが、勿論このままで終わる筈がありません。
このあと、自らを善人と名乗るいかにも怪しい白衣のオジサンに導かれて、葉之助は山人に傳わる天狗の槍を掻っ拂うと、オジサンの「婆を倒したら一生に呪われるよ」という忠告もきかずに婆の潜伏アジトへと全力疾走、またもや空中に片手を掲げてグルグル回す幻術を仕掛けてきた婆をくだんの槍で一突き、婆は呪いの言葉を殘して他愛もなく死んでしまいます。
山人族と相対する水狐族の首領である婆が葉之助の宿敵となって物語を最後まで牽引していくのかと思いきや、まだ頁が半分にも滿たないところで婆がこうも簡單に死んでしまったものですから、一体この後どうなるかと思っていると案の定、ここからは主人公の迷走が始まります。
呪われていた武家の男は婆の呪いが解けたことですっかり恢復したものの、死に際に婆が仕掛けた呪いにアタって、葉之助は夜な夜な暗い辻道にさまよい出てはバッサバッサと人を斬りまくる悪鬼へと変貌、しかしこの辻斬り鬼の噂は町中にアッという間に廣まって、父親から直々にこの鬼を退治しろといいつけられた葉之助は、実は自分がその殺人鬼で、……とカミングアウトする機会を逸してしまう。
しかし結局は父親に犯行現場を目撃されてしまい、父親はショックのあまり切腹、葉之助はときおり聞こえてくる母親の声の幻聽に惱まされることになる。
そんななか、江戸市中では、八ヶ嶽からやってきたという見世物小屋が下界の人間を小馬鹿にしながら熊と相撲をとるという興業を開催していて、実をいえばこの連中は葉之助のゲス親父に盗まれた黄金の甲冑を取り戻す為、江戸へ上がってきたという山人族。そして葉之助の祖父にあたる老人は遠くから主人公の迷走ぶりを見守っている譯です。
で、辻斬り事件も親父の切腹によって一段落したのもつかの間、今度はとある武家屋敷で世繼ぎの男が不審死を遂げるという殺人事件が発生、どうやらこの事件の背後には奇妙な白い粉を使って毒殺をはかる怪しい蘭學醫が暗躍しているとかぎつけた葉之助は、その屋敷を訪れるのですけど、ここで件の蘭學者が神妙な面持ちで登場し、葉之助へ執拗にお茶をすすめます。
俺が毒見をしてやるから大丈夫だ、ささ、早く飮んで飮んで、なんて自分から進んで毒見をするあたりがムチャクチャ怪し過ぎるんですけど、純粋眞っ直ぐな葉之助はこのお茶をグビクビと飮み干してしまう。
案の定、そのお茶には痺れ藥が仕込まれていて、葉之助は囚われの身となってしまう譯ですが、幽閉された地下通路を通ってどうにか脱出した彼は、そこで水狐族主宰の宗教イベントに遭遇、敵の潜入にあわてふためく水狐の連中は彼をブチ殺そうと奔走するものの、ここで葉之助は再び捕まってしまいます、……って本當に弱すぎですよ主人公。
魔神というタイトルはいったい何なんだよ、なんて讀者が苛々しているとついにここで葉之助の祕められた能力が發動、ローマのコロシアムに見立てた競技場へ引き立てられた葉之助は、ここで獰猛な熊を相手に闘うことになるんですけど、何しろ葉之助には山人の血が流れています。凶暴熊は葉之助を一目見るなり急にサーカスの熊みたいにヘナヘナになってしまったから、敵方の連中は吃驚仰天。
これこそがいかな野生動物でも手懷けてしまうという山人の妖術のひとつなんですけど、主人公の場合、術をかけているという自覚もないし、また自分の意志でかけられるというものでもないところが何ともですよ。しかしここでようやく自らの潜在能力に目覺めた葉之助は屋敷に飼われていた動物をいっせいに手懷けて反撃に出る。
一方水狐の連中は屋敷に火をつけるという暴擧に出て葉之助を追いつめていくものの、江戸ではそれと時を同じくして山人族が蜂起、果たして水狐族と山人族は、そして葉之助の命運はいかに、……という話なんですけど、このハジケまくったクライマックスが終わって物語は幕引きを迎えるのかと思いきや、葉之助はまたもや辻斬り男に身を堕としてしまう。
もっともそこは国枝伝奇小説でありますから、こんなトラウマのオチで終わる筈もなく、最後の最後に作者自らが登場して、不老不死の力を得た葉之助の現在をほのめかして物語は靜かに幕を閉じます。
主人公の迷走ぶりと構成の破綻がかえって物語に力を添えてしまうところが国枝マジックで、作者の伝奇小説では定番ともいえる、後半のハチャメチャなハジケっぷりは愉しめるものの、この主人公葉之助の悲哀ぶりはちょっとトラウマ、ですかねえ。
何だかこの主人公の葉之助、自分の母親からは呪いの言葉を聞きながら育てられるわ、水狐の妖術婆の呪いはうけまくるわで、実をいえばかなり可愛そうな役回り。だからこそこの主人公の半生にケリをつける為に作者自らが登場してこの物語を締めくくる必要があったのかなア、なんて考えてしまったのでありました。
作者の代表作だけあって、妖術婆にチャンバラシーン、江戸市中に展開される大活劇と作者らしいテイストがテンコモリの本作、「神州纐纈城」が入手困難な今、作者の伝奇小説を氣輕に愉しみたいというのであればまず本作から、ということになるでしょう。