重奏されるエピソードが釀し出す極上のアンチ探偵物語。
これはいい。乙一の傑作は数あれど、小さな逸話を積み重ねて、樣々な讀みも可能な、深みのある物語へ昇華させたという點では隨一。センチメンタルな風格こそないものの、この重厚な雰圍氣は乙一の作品の中では非常に貴重ではないでしょうか。とはいいつつ、しっかりと從來からの作風も繼承しているところがまた素晴らしい。
物語は、GODIVAという名前の綴られたカードを犯行現場においていく怪盜ゴディバのエピソードから始まります。そのあと、語り手のぼくは胡椒を買いに父と一緒に市場へと赴き、そこで曰く付き聖書を手に入れるという逸話が語られるのですが、この聖書が後になって物語の重要な伏線となっていくという仕掛けが秀逸。
やがて父は亡くなり、世間では名探偵ロイズが怪盜ゴディバを追いかけている。そんなある日、語り手のぼくは友人から怪盜が犯行現場に残していくカードに件の署名のほか、風車小屋の繪が描かれていることを聞き出します。
で、その怪盜のトレードマークともいえる風車小屋の繪というのが、実は件の聖書にはさまれていた地図に描かれていた図柄と同じであると知ったぼくは、そのことを探偵ロイズに知らせようと手紙をしたためる。果たして繪描きに変装したロイズがこっそりぼくの元を訪ねてきたから、ぼくはすっかり有頂天。探偵ロイズに地図を渡したものの、ほどなくしてその地図は何者かに盗まれてしまう。果たして、……という話。
この聖書のエピソード、そして怪盜ゴディバの仕業によるいくつかの事件、さらには語り手のぼくの母、そして祖父や父といった登場人物に絡めたものも含めて、物語の要所要所にさりげなく挿入された逸話が物語全体に深みを與えているところがうまいなあ、と思いましたよ。
語り手のぼくと母親、そして彼といじめっこの關係など、ジュブナイルには定番の成長物語としての結構もそなえつつ、物語は中盤から、小狡い大人たちに裏切られた語り手の僕といじめっ子が手を組んで、地図の謎を追いかけていくという冒險譚へと変わっていく。でもこれ、ある意味、アンチ探偵物語としても讀めませんかねえ。
ジャケには「名探偵ロイズはぼくらのヒーロー!」なんて書いてあるんですけど、この惹句がことごとく裏切られていく中盤以降の展開が何ともですよ。ぼくらのヒーローがとんでもないゲス野郎だったことが明らかにされるわ、その助手のチキンボーイは探偵のさらに上をいくクズ男だったりと、世渡りに巧みな大人の汚らしさもニヤニヤと描きつつ、しかし物語の軸はあくまで宝探しに据えながら、ぼくといじめっ子の仲直りも織り交ぜてジュブナイルの定番通りの進み方を見せていきます。
実をいえば、怪盜ゴディバの正体というのは、注意深く讀んでいればおおよそ察しがついてしまうのではないでしょうかねえ、というか期待通りでしたよこの眞相は。語り手のぼくと母との關係、さらには祖父の家で語られるいくつかの逸話に目を凝らせば、この物語のある個所で語られた事件が後の展開に大きく關係していることは分かってしまいます。
しかしこの正体が分かったからといって、謎がすべて解かれてしまったという譯では決してなく、このほかにも樣々なミステリ的な趣向を添えて、ところどころで謎解きが開陳されるというサービスぶりが堪らない。
例えばぼくが探偵に渡した地図が何者かに盗まれてしまうのですが、この謎解きを行うのがくだんのいじめっ子。で、これを転機に語り手とのいじめっ子二人の關係が微妙に変化していき、それと同時に名探偵の実相が明らかとなって、物語はビルドゥング・ロマンスの香氣をそなえつつも、ミステリとしてみればアンチ探偵物語めいた風格を見せていくという仕掛けも冴えています。
後半に展開される冒險譚はもう、ミステリーランドでは定番の展開でこちらも安心して讀んでいられるわけですが、ついに怪盜の居場所を突き止めた語り手たちがそこに辿り着き、ゲス野郎たちと丁々發止の騙しあいを行いながら窮地を逃れようとする場面もいい。個人的には探偵の助手であるチキンボーイの豹変ぶりがナイス。
特にグッときたのは、この冒險譚の最後で、ぼくがいじめっ子に對する心の迷いに搖れつつも、最後にはそれを受け容れるシーンでしょうか。こういうところは本當にうまいなあ、と思いましたよ。
この冒險譚が終わったところでようやく怪盜の正体の謎解きとなるのですが、ここにも語り手のぼくの母親や、探偵を絡めてのいくつかの仕掛けが開陳されるというサービスぶりで、ミステリの小技を次々と繰りだしながら讀者を驚かせようという稚気も見せるところがこれまたいい。
という譯で、ミステリーランドに定番のビルドゥングロマンス、子供たちの冒險譚、また樣々な技を活かしたミステリとして、さらには探偵の堕落を描いたアンチ探偵物語としての讀み方も可能、といかなるマニアにも対応可能な風格が素晴らしい。
讀みやすい文体にまかせてミステリーランドらしい物語世界を堪能するもよし、繰り出されるミステリの仕掛けに感心するもよし、さらには大人のゲス野郎ぶりにニヤニヤしながらアンチ探偵物語として讀むというマニアっぽい愉しみかたも出來るでしょう。
いくらでも深讀みが出來てしまうという點で、非常にお得感も感じられる本作、「びっくり館」でミステリーランドって割高じゃないの、と感じてしまった方にも手にとっていただきたい大傑作、……って今度は流石に普通の本讀みの方も傑作だと認定してくれますよねえ。勿論おすすめ、ですよ。