アンチ・ダイイングメッセージでクイーンに眞っ向勝負。
さて、「台湾ミステリを知る」第十二回となる今回は、前回紹介した寵物先生の「名為殺意的觀察報告」と同樣、明日便利書の一册として最近リリースされた林斯諺の「霧影莊殺人事件」を取り上げてみたいと思いますよ。
表題作は「霧影莊殺人事件」となっているものの、実際はこの表題作のほか、既にここでも紹介した「羽球場的亡靈」も同時収録。作者の林氏はこの「霧影莊殺人事件」で第1屆人狼城推理文學獎の佳作を受賞、その後第2屆人狼城推理文學獎に「羽球場的亡靈」を投じて見事首獎を勝ち取る譯ですが、佳作となった表題作の完成度もなかなかのもので、確信犯的に「嵐の山荘」を舞台に据えつつ、登場人物には探偵小説家たちを排してダイイングメッセージをネタにクイーンに眞っ向勝負を挑んだ意欲作、こちらも見逃せない作品に仕上がっています。
探偵若平をはじめ、美人編集者や刑事、さらにはゴーマン日本人などが招待された山荘でその家の主人である探偵小説家が銃殺されます。果たして嵐の山荘と化した邸の中に部外者が侵入して犯行を犯すとは考えがたく、密室状態の部屋の中で見つかった主人の死體の右手には、邸に招待されたなかの一人の名前が記されていた。
すわ、犯人はこいつに違いない、と單細胞の刑事がいきまくものの、推理作家やゴーマン日本人は異議あり、とばかりに己の推理を開陳する。しかしそのいずれもが些細な事実誤認から生じた妄想であることが判明、果たして真犯人は誰なのか。探偵若平は、被害者が握りしめていた紙片から犯人を推理するのだが、……という話。
殺された主人が握りしめていた紙片には名前がバッチリ書かれてあるので、もうこれで話は終わりかと思えばそんな筈はなく、ここには勿論犯人の狡猾な奸計が潛んでいる譯で、推理小説家や刑事が勢揃いの舞台において犯人がこの状況を利用しないテはありません。果たしてその紙片に仕組まれた仕掛けを探偵若平が精緻な論理で解き明かしていくのですが、ダイイングメッセージものかと思わせておいて、そこから推理の視點をずらしていく後半の展開が素晴らしい。
前半、事件が始まるまでは、後々の犯人と疑われる男の動機にも絡んでくる盗作問題なども絡めてやや冗漫に話が進むのですが、雨が降りしぶく朝になって密室状態の部屋から死體が見つかるや、話は一氣に進みます。被害者の手の中から男の名前を記した紙片が見つかり、さらにその名前の男の部屋から凶器と思われる拳銃が發見されるに至っても、この探偵揃い踐みの状況において事件がアッサリ解決する筈もありません。
果たして探偵を買って出た男二人が推理を披露するも、それらはいずれもちょっとした事実誤認を元にした假説に過ぎず、あっさりダメだしされてしまう。その推理を外してしまう男の一人がゴーマン日本人なのが何ともなんですけど、ちょっと興味深いのは日本と台湾のミステリを絡めて、この被害者となる推理作家を述べたところでありまして、ここでは「台湾的推理小説才漸漸興盛起來、雖然還不能與日本的推理文化相比」なんて書いているんですけど、日台双方の最近の作品を讀みくらべている自分からいわせてもらえば、この作品が書かれた数年前とは異なり、今では謎解きを中心に据えた本格ミステリにおいては既に台湾ミステリの方が上だと思いますけどねえ。
で、ダメ出しされた探偵志願の二人(ゴーマン日本人含)はあっさり退場、眞打ちとなる探偵若平が二人の推理はまずもってその出発点となる假説からしてダメだと喝破すると、被害者が握りしめていた紙片のある點に着目してそこから緻密な推理を展開させていきます。ありきたりのダイイングメッセージものから乖離したロジックの冴えを見せる展開を経て、犯人が指摘されるのですが、果たしてそれで事件が終わりかと思いきや、……。
確かにロジックの鋭さという點ではこの後の作品になる「羽球場的亡靈」の方が上で、精緻な論理を透徹する為に構築された細かな状況設定のうまさが光るあの作品に比較すればまだまだという氣もするものの、作者である林氏のクイーンに對するこだわりぶりがビンビンに傳わってくる作風は處女作とはいえ流石。特にこの紙片に奸計を織り交ぜてミスリードさせようとする犯人の些細な見落としを見拔いて推理が展開されるあたりは面白い。
特に本作の場合、「羽球場的亡靈」以上に消去法が冴えているところに注目で、嵐の山荘だのダイイングメッセージといった定番アイテムを使っても物語のキモはやはりロジック。台湾ミステリではクイーン派の最先端を行く作者の處女作だけあって、現場の手懸かりから推論を繰り出していく探偵若平の推理シーンが執拗に展開される後半は素晴らしい。
そして敢えて悲愴な幕引きを避けているところも作者の風格で、風景描写にも詩的な美しさを見せる文体とともに前半のやや冗長な導入部を除けば完成度は高いと思います。安楽椅子探偵に徹して全編これ推理とロジックで押しまくる「羽球場的亡靈」の方が自分の好みではありますけど、古典をそのまま踏襲した構成ゆえ、本格ミステリにも小説的な物語的展開を求める方には本作の方が愉しめるかもしれません。
これで作者が「推理雜誌」に精力的に発表している短篇が一册に纏めてリリースされると嬉しいんですけどねえ。