この本の表紙にもなっているマユゲ犬の逸話も素晴らしいけど、自分にとってもっとも印象に殘っているのは帶の後ろに鮮烈な寫眞となっている残されている猫の話である。
「私が病死の猫を飼い続けたのは他人が思うように、自分に慈悲心があるからではなく、その猫の存在によって自分の中に眠っている慈悲の気持が引き出されたからである。つまり逆に考えればその猫は自らが病むという犧牲を払って、他者に慈悲の心を与えてくれたということだ。」
もうこの文章だけでも強烈なインパクトがある。この言葉とともに掲載された、數多の花に飾られた猫の亡骸の寫眞が尚鮮烈である。「ある野良猫の短い生涯について」という短い言葉が添えられ、ちいさな籐籠に眸を剥いて横たわる小猫の体には、黄色い水仙がいっぱいに載せられている。この寫眞が良いんだなあ。
とにかく藤原新也の寫眞は強烈な色彩をもっていて、この寫眞も構図などは粗っぽいと思うのだけども、そのモチーフとともに忘れがたい印象を残してくれる。
藤原新也のなかでもっとも好きな作品は、という質問にはおそらく「新東洋街道」か「何も願わない手を合わせる」と応えると思うのだけども(あくまで現時點では)、この「藤原悪魔」は最初の「マユゲ犬」の逸話といい、この猫の話といい、ふと讀み返してみたくなる話が多いと思う。「新東洋」や「何も願わない」はちょっと氣合いを入れて、最初から最後まで、一册を讀み返さないと落ち着かないのだけども、この本はそんな意味でも氣輕に立ち歸ることも出來る一册といえる。