倒錯ロジック、トンデモトリック。
この図書刊行会の探偵クラブシリーズに収録されている作家なんですけど、現在では大阪圭吉の作品は創元推理文庫で、そして惡魔主義の大家渡辺啓助と城昌幸はちくま文庫、さらに三橋一夫は決定版ともいえるふしぎ小説集成全三巻が出版芸術社からリリースされたりと、いい時代になったなあと思います。
そんななか、このシリーズ中、個人的には大いに期待しつつもその作品を未だにキチンと讀むことが出來ていないのが本作の作者、大坪砂男でありまして、収録されている「天狗」を讀んだだけでもそのハジケっぷりは凄まじく、これはもう全作讀むしかないッとか思ってしまうのですけど、現在容易に入手可能なのは自分が知っている限りではこの探偵クラブシリーズのみ。
とはいえ本作に収録されている作品に目を通すだけでも、作者のただものではない風格をうかがい知ることは可能です。女に叱られたのを逆恨みしてキ印特有の偏執的なロジックで奇天烈な殺人計畫を練り上げる「天狗」、動物虐待幼児の不氣味さと取り澄ましたキ印親父の独白が恐ろしい「立春大吉」、とある男の奸計に陥った死刑囚がキ印論理でその人物を推理する「暁に祈る」、伊豆で出會ったキ印植物學者に誘われて秘密の場所に訪れた男が聞いた話「零人」、不貞をはたらいた妻への拷問を昔話フウに語るキ印が何ともな「男井戸女井戸」など。
しかしほとんどの作品は、頭のネジが二三個はずれた人物の語りで進むために讀みにくいことこのうえない。昔讀んだもののあまり印象に残っていないというのは、ひとえにこのキ印の偏執的な論理についていけなかったからでありまして、多くのキワモノ、トンデモを讀破した今なら大丈夫だろう、と再び挑んでみたものの、……いやあ、やはりかなりの難物でありました。
イッキに讀みとおすのはさすがに無理で、少し讀んでは戻りつつを繰り返しに繰り返して、結局二日もかかってしまいましたよ。虫太郎のような惡文というわけではないんですけど、語り手が誰であれ、物語は登場人物であるキ印の思考を正確にトレースしながら進むものですから大變です。
最初を飾るのは傑作「天狗」で、キ印の一人語りフウに進むものの、實際は無人稱。しかしこれが絶妙な効果をあげていて、讀んでいるとキ印の偏執的な論理に絡め取られてこちらの頭がおかしくなってきます。
物語は、女がトイレに入っているところを覗いてしまった男が女に叱られたを逆恨みし、何としても女の脚を衆人の前に曝して大恥をかかせてやらなければいけないッと思いこみ、……という話。逆恨みというか逆ギレというか、女にバカにされただけでそんなことを考えてしまう男は完全に狂人なんですけど、キ印にはキ印特有の論理があって、男はついに思いついたトンデモトリックで、女を殺すのだが……。
とにかく物語の構成から幕引きまですべてが普通のミステリからは外れているところが凄い。奇天烈な狂人といえど常人のフィルターを通して描かれたものばかりの最近の作品に比較すれば、完全に向こうの世界にイッてしまっている文体と語り、そしてその論理。狂人の一人語りが十八番だった夢野久作よりも、もしかしたらその狂いっぷりはこちらの方が上かもしれません。あちらはその語りの文体からして狂人であることをアピールしているわけですけど、こちらはあくまで普通人を裝っているから太刀が惡い。
「立春大吉」も登場人物のそんな狂いっぷりが光る傑作で、病氣持ちの男が主人公。その妻は夫の持病を心配して、主治医の男を家に住み込みで住まわせようと進言する。で、醫者は風呂に入っている時に殺されてしまい、果たしてこの密室で犯人はどのように男を殺してみせたのか、……というふうに書くと、いかにも普通の探偵小説なんですけど、この作品も「天狗」同樣、人稱が不在のまま、ふらふらと視點の定まらないキ印の男の思考をなぞっていくものですから堪りません。
そこへ吹き矢で小鳥を打ち落としたり、蛙の皮を剥いだりして遊んでいる子供も交えて、物語は妙な具合に展開していきます。物語が進んでいく中で前面に出ているのは夫とこの不氣味少年だけで、妻と男は完全に脇役。果たして物置の中からは凶器とおぼしきものが見つかり、アリバイがないことから妻が警察に逮捕されるのだが、……何となくこの犯罪を行う動機がはっきりと見えてこないところが不氣味で、妻とこの主治医の不貞が引き金になっているとは予想出來るものの、果たしてそれだけでことでこんなふうに飄々と人が殺せるのかと思ったりしてしまう譯です。
「暁に祈る」は死刑囚の獨房にいる男の一人語りで進みます。どうやら彼は無実の罪で今まさに死刑を受けようとしているらしい。やたらと結婚を迫るストーカー女をあしらいながら本命と付き合っていた男は、ストーカー女からもらったチョコを本命女にプレゼントするのですが、何と、そのチョコには毒が入っていて本命女が死んでしまう。
男は本命女を殺したのだろう、ということで逮捕されてしまうのですが、実はこの毒入りチョコにはストーカー女にも與りしらぬところである謀略が巡らされていて、……という話。後半にこの男が自らの過去を回想しつつトンデモないことを告白するところが何ともですよ。いったいこの語り手を哀れな冤罪男と認めていいものなのか、讀者の困惑をよそに死刑を告げる足音が廊下に響き渡り、というところで物語は終わります。
「三月十三日午前二時」は、表題にもなっている時刻、或る家の庭にあるお笠井戸で奇妙な死に方をしていた母娘の謎はいかに、という物語。二人の男が手紙のやりとりをしながらこの不可解な母娘の死を推理していくのですが、第三の犠牲者が出るに至り、最後は作者らしい奇天烈機械トリックが暴かれるという趣向です。
「涅槃雪」は、私がある寺に住んでいる友人を訪れます。この寺に住んでいる友人には兄がいて、この兄貴が戦争で死んだと思って、未亡人となった兄嫁とイチャイチャしていたら何とこの坊主をやっていた兄貴が帰ってきて、……という話。ここで元兄嫁が殺されてしまうのですが、この仕掛けを暴く私と、知らん振りを決め込んでいる兄弟のギャップが何とも。
最後は真相を見破られた犯人が自棄ッパチになってその奇天烈な仕掛けを自らを実演してみせて終わりという凄まじい作品。この実演ショーの幕引きがもたらす衝撃に、自分はアルジェントの「サスペリア2」を思い出してしまいましたよ。奇天烈な理屈と奇天烈な仕掛けの組合せに反して、登場人物たちを取り巻く寺の情景が幻想的。
「零人」は天城を訪れた推理作家の語りで進むのですが、乘っていたバスが動かなくなったということで、車中で知り合った男に誘われ彼のアジトを訪れます。最初はベコニヤとかの花談議で盛り上がっていた二人でしたが、実はこの推理作家に声をかけてきた男は眞正のキ印。アジトでは樣々なベコニヤを栽培しているというんですけど、それぞれの花に名前をつけているのはまだ許せるとして、ベコニアは自分の妻だと言い出したあたりから流石に語り手の推理作家もこいつはヤバいと気がついたものの、もう引き返すことは出來ません。
しまいには「君は、人を殺した経験がありますか?」と、この時代の探偵小説ではお決まりのキ印台詞で問いかけられ、「さあねえ……」とはぐらかしてみたものの、キ印の方はそれでも得意気に妻を殺してここに埋めたみたいなことを仄めかします。
「すると、ここは奥さんの墓場なのですか?」
「そう……人間の観念ではね」
「死骸を埋めたんですね」
「死骸だって。ばかばかしい。僕は何よりも精神を尊重しているんだが」
「殺して埋めたと白状しますか?」
「愚問だなあ。殺したってやっぱり死骸にはかわりないものを……」
「だとすると……?」
「極ってるさ。女の盛りを花に変えたればこそNanaを活けたと云っているのに」
「そんなら生き埋めだ!」
「そう……形式的にはね」
キ印ロジックが炸裂し、推理作家が普通人の論理で問いつめても禅問答になるばかりで埒があかない。最後に男はあいつが来た!とか大騒ぎ、すっ裸になると密林にダイブ、でジ・エンドですよ。
今讀みかえして気がついたんですけど、この男、天城越のバスに乗っているところからずっとヘルメットをかぶっているんですよ。で、語り手の推理作家とはヘルメットをかぶったまま會話を續けていて、最後の最後で狂人特有の奇聲をあげてスッ裸になり、……とここではじめてヘルメットを脱ぐんですけど、このヘルメットってどんなやつなんでしょう。もしかしてフルフェイスなのか。だとしたら推理作家も一瞥してキ印だと分かりそうなものですけどねえ。もっとも普通のメットでもそれかぶってバスに乗っているというだけで十分にヤバい人であることは確実な譯で、推理作家にしてはあまりにこの語り手は無防備に過ぎますよ。
「男井戸女井戸」も語り手のわたしがとある家を訪ねていき、そこにいた主人のキ印男から昔話を聞くという話。その昔話というのが不貞をはたらいた妻を拷問にかける殿樣のことなんですけど、そのエピソードがキ印男の脚色だったことを見拔いたわたしは男を問いつめて、……という話。
そのほかの収録作は、探偵小説を書いている作家が行間でブツブツと獨り言を呟きながら物語を進めていく「黒子」、自分がつくった彫像の下敷きになって死んでいた友人を見つけた語り手がその友人の過去を語る「髯の美について」、通俗的な語りを交錯させながら男への私刑を描いた復讐譚「私刑」、隣室でイチャイチャしている青年と花売娘の話を聞きつけた語り手が、胡散臭い易者とともに青年を助ける倒錯人情噺「花売娘」、催眠術にかけられた猿飛佐助の奇妙な話「密偵の顏」など。
文体に一番癖があるのが「黒子」で、これは後回しして、「天狗」、「三月十三日午前二時」「涅槃雪」、「零人」あたりから取りかかるのが吉、でしょう。かなり癖があるので萬人におすすめは出來かねますが、この逆説と倒錯を極めた心理、常人を裝った狂氣と奇天烈な機械トリックは非常に個性的。またミステリだけでなく、「零人」のような幻想小説や人情噺も巧みな「花売娘」など、癖がありつつも多彩な作風を持っているところも素晴らしい。
やはりこれは三橋一夫の「ふしぎ小説集成」のような全集をリリースしていただき、是非ともこの作者の奇天烈世界をもっとモット堪能してみたいと思う次第で、ここはもう、日下センセに期待するしかありませんよ。拳をブンブンと振り上げつつ、日下センセ頑張れッ、とエールを送ってしまうのでありました。