人工美を極めた幻想ミステリ、或いは反戀愛小説。
最近連城作品ばかりを取り上げている譯ですが、本作はミステリというよりはどちらかというと氏の得意とされているもうひとつの分野、乃ち戀愛小説の風格を全面に押しだした短篇集。
とはいってもそこは氏の作品でありますから仕掛けを凝らし、……というか凝らしすぎてトンデモないことになってしまっているところが完全に自分好みでありまして、純愛というよりは爛熟を極めた濃厚さとそこから釀し出される妄執と幻視が強烈な印象を残します。なまじミステリとしての規正がないぶん、氏の過剩さはどの作品集よりも際だっているとこがマニアには堪りませんよ。
最終話の「その終焉に」も含めた全十二話は雨月物語に触発されて仕上げたということですが、そのいずれもが登場人物たちの幻想妄想を話の中核に据え、時にはそこに見事な仕掛けでどんでん返しを見せてくれる驚愕の掌編ばかりです。
全話をここで取り上げるのは流石にアレなので氣に入ったものだけを紹介いたしますと、まず第一話の「忘れ草」は女の手紙という語りの趣向を存分にいかした幻想譚で、遠い昔に家を出て行った夫が歸ってきたときの出來事を、その夫に向けて綴ったという手紙の體裁で話は進みます。
中盤に物語はあたかも現実と靈界のあわいに溶け込んでいくかのような展開を見せるのですが、これが最後にいかにも氏らしい仕掛けで幻想へと転化する幕引きが見事。時にくどいぐらいに女の獨り言が繰り出される風格は洒落っ氣を裝った凡百の戀愛小説とは一線を画し、やりすき感が極まった最後に、オシャレな戀愛小説を期待していた文學少女を奈落の底へと突き落とす幕引きが見事。
續く第二話の「陰火」は時折氏の主題に取り上げられるホモもので、妻とともに夜行列車に乘って白馬に向かう男が過去を回想する場面から始まります。男は毎年、この夜行列車で男との逢瀬を續けていたのですが、……って何だか李安の最新作の映画みたいな物語ですよ。で、男は結婚して、今年は妻とともに毎年彼と逢瀬をしていた夜行列車に乗りこむのだが、……という話。何ともいえない悪魔的な結末に同性愛に殉じた男の美を見るか、それとも氏の心の暗黒面を垣間見るか、それは讀者の自由でありましょう。
第三話の「露ばかりの」は、年増女が年下の男に惚れてしまうのですが、その男には同世代の可愛い彼女がいて、……という話。それを年増女の視点から描いていくのですが、この男がまた最低の輩でありまして、年増女を騙しまくって金品を卷き上げていく譯です。
しかし一方の年増女はそれを知ってて、自分が大切にしている宝石なども男に差し出していくのですがこれで終わる筈がありません。最後は平山センセ風の仕掛けで、悪辣男を地獄に突き落とすという結末がナイス。
美文調で綴られる女の哀しさを際だたせ、普通の戀愛小説を裝ってはいますけど、キワモノマニアが見ればこれはどう見たって鬼畜系。直木賞作家の戀愛小説だろ、なんていって普通の小説だと思って敬遠している御仁にこそ讀んでいただきたい佳作でしょう。
廼四話の「春は花の下に」は何処となく皆川博子の作品を髣髴とさせる、これまた女の狂氣と妄執が靜謐をもって語られる雰囲気が素晴らしい。舞い狂う櫻の花辨に燃えさかる炎という幻影が語り手の女の目の前に立ち現れては消えていく前半と、記憶の底に眠っていた眞相が明らかにされていく後半との対比がいい。いじめられっ子だった主人公がかつて慘事のあったその場所を再び訪れ、當事の記憶を思い起こしていくにつれ、幻影と妄想が絡み合い、最後にはその境目を曖昧にして終わる幕引きが美しい。
第五話「ゆめの裏に」は入院した姉の看病を行っている妹を主人公に据えた物語で、流産をきっかけに衰弱し、ついには入院することになってしまった姉が自らの死期を悟り、薬による幻覚とも妄想ともつかない譫言を繰り返すのですが、その一言に義兄の秘密がほのめかされます。些細な言葉の眞意を妹は推理するのものの、そこに答は見つかりません。とりとめのない妄想の中へ宙吊りにされたまま終わる結末が印象的ですねえ。
第七話「熱き嘘」は夫のある女と不倫をしていた男が、死ぬ前に女が綴った手紙を繙くという話。女の手紙、手記といえば氏のミステリでは定番のアイテムでありますが、ここでも女の嘘が二転三転を繰り返す展開で讀者を幻惑する手際が素晴らしい。最後に女の夫だったという男が登場し、女が手紙で述べていた内容が再びひっくり返され、主人公の男はここでも答のない妄想のなかに佇んだまま物語は幕を閉じます。
第九話「紅の舌」は、ストーカー女に惱まされる夫を持った妻から依頼を受けた私が、ストーカー女を訪ねていくという物語。ケバケバしい女は彼が結婚した後も執拗につきまとい、逃げても逃げても追いかけてくるというのですが、一方のストーカー女の話はまったくの逆で、自分に惚れているのはあの男の方で、彼は結婚したあとも妾のことが忘れられないのさ、なんていうものだから私の頭は大混乱。
事件の真相はこれまた逆説に滿ちた氏らしいもので、最後のどんでん返しに仕掛けを凝らした傑作でしょう。戀愛小説めいた話に纏めようとも、ミステリ作家としての性がそこに仕掛けを施さずにはいられない。そんな氏の執念を感じてしまうのでありました。
第十話の「化鳥」は恐ろしい幻想小説。幼兒の死体が発見されたという淡々とした文章から始まるものの、子供をなくした母親が受け取った電波文が開陳されるに到り、物語はミステリらしい出だしから一転して、幻想小説へと傾斜していきます。
老婆の妄執がネチっこい文章で延々と綴られた手紙は完全に電波。自分が幼少の頃に助けたという鳥が大きくなって、自分をイジめた人間は一人殘らずこの怪鳥の餌食になるんじゃフヘヘヘヘエという怪文書を、氏はいつもの美文調で書き綴ります。特に東京大空襲の時に巨大な怪鳥が大空を羽ばたき乍らその羽を落としていくという幻視力は素晴らしい。収録作の中ではこれが一番好きですかねえ。
最終話となる「その終焉に」も、語り手の僕が幼少の頃に見たというある男のことを語る話なのですが、この男の正体が實話怪談フウの怪異を示して終わるのかと思いきや、これまた物語の眞相を曖昧にして幻想のなかへと収斂していく幕引きが淡い餘韻を残して終わります。
薄い乍らもかなり濃厚な掌編揃い。しかし解説で小森収が述べているように、ミステリマニアからも戀愛小説ファンからも敬遠されてしまいそうな鵺的な作風が難しいところですかねえ。寧ろ本作は幻想小説ファンにおすすめしたいですよ。「怪鳥」の牧野センセばりの幻視力や、皆川博子フウの幻想と妄想が絡み合う「春は花の下に」など、幻想小説と見れば一級品の風格を持った掌編でしょう。
「連城三紀彦の書くものは、ミステリとしても恋愛小説としても、破格であってユニークである」という小森氏の指摘は當にその通り、しかしそこがまた氏の作品の問題でもあるんですよねえ、と溜息をついてしまうのでありました。この「やりすぎ感」が自分には堪らないんですけど、普通の小説を讀みなれた読者はこの過剩さについていけないのでしょう。本當に勿体ないですよ。
という譯で、純愛を求めている恋愛小説ファンが「恋文」の作風を期待するとイタい目に遭うものの、幻想小説マニアには隱れた名品といえましょう。ミステリ度は他の作品集に比較すれば薄めですが、ミステリ的な「仕掛け」にこだわる方であれば愉しめると思います。