難解本格蒸餾。
前に「渡辺温―嘘吐きの彗星 叢書 新青年」を取り上げた時、ずっと前に讀了していたにも關わらずまだレビューをしていないことに氣がつきました。というのも、本作、とにかく莫迦な自分にとっては難解な代物でありまして。
今回再讀してみて、やはり難しいなあ、と思った次第です。とにかく一切の無駄を廢したストイックな掌編は、物語から推理パズルへに堕するギリギリの線でとどまっていて、讀む側としては一文たりとも決して疎かには出來ません。從って短篇とはいえ非常に讀むのに力がいる譯ですよ。
この傾向は前半の「密室犯罪教程」に顯著で、いずれも下手をしたら頁數にして五頁にも滿たない掌編ばかりなのですが、それでいてその中に登場人物の人間關係から事件の現場状況などをさらりさらりと短い文章に纏めてしまっている故、少し氣を拔いて讀んでいるとモウ何が何だかという状況に陥ってしまうという譯です。
ただ一篇一篇の切れ味は相當に鋭く、前半の「密室犯罪教程」の中では「朝凪の悲歌」と「恨みが浦」が好み。
「朝凪の悲歌」は強盗殺人の隱れ家を急襲した刑事が犯人の二人組みを逃してしまう。その二人組みを射殺した女性は二十三年前の殺人事件に關係した人物で、……という話。
事件の調書から昔の事件のいきさつが語られ、女の哀しい過去が明らかにされる謎解きが冴えています。前半を占めていた掌編に比較してある程度の長さがある為か、短い中にも人間のドラマが過不足なく展開されていて、それがまた現在と過去の事件の接點から浮かび上がるという構成が光っています。
こういう物語をさらりと書けてしまうのに敢えて、ワントリックで切れ味鋭い掌編を書いてしまう作者の、本格に賭ける気迫が傳わってくる前半部に比較して、後半の「毒草/摩耶の場合」は島崎警部と摩耶の掛け合い萬才にも似たやりとりが愉しい。しかし前半部ではなかなかの切れ者ぶりを見せていた島崎警部補が、摩耶を相手にはがなり立てるだけのボンクラ警部補になってしまっているのかいかがなものか(爆)。
現場でわあわあと騷ぎたてる島崎に、ニヤニヤ笑っている摩耶という対比が何たか妙におかしいんですけど、事件と謎解きの方は、前半部よりさらに鋭さを増したものばかりでありまして、特にそのトリックと物語の構成が究極の高みにまで達しているのが「高天原の犯罪」。
奇人摩耶のものいいもナイスで、更にキ印右翼にトンデモ思想が合体した新興宗教の連中が何とも間拔けな振る舞いを見せつけていて素晴らしい。
トンデモ宗教團體の生神樣が密室状況で殺害されるのですが、ここに、この生神樣から「未來のユダ」認定された末、林の中の掘っ立て小屋に抛擲された男や、尊の第一の使いだと喚き散らす御姫さまなど、いかにもな容疑者を交えて、島崎と摩耶の推理が炸裂します。
ここでも島崎はボンクラ警部補の役回りで、容疑者を逮捕したあと、摩耶にニヤニヤ嘲笑されてしまうのでありますが、このあとの密室講義を交えた推理が素晴らしい。トンデモ宗教團體という特殊な状況下でしか成立しない特殊な犯罪に使われたトリックには脱帽ですよ。個人的には収録作の中ではこれが一番でしょうかねえ。
異色作では「盗まれた手紙」が凄い。「犯罪捜査とはなんであるか?」とか「手懸かりとは何か?」みたいな、摩耶の例によって難解な講説の合間に、事件の概要が語られ、警察の捜査が滯っている理由が明かされます。内容の殆どはこの摩耶の犯罪捜査と事件に關する講釈にさかれていて、最後の最後に事件の樣相が一変するという仕掛けが面白い。この論文めいた構成だからこそ、この一発ネタが何ともいえない凄みを持って迫ってくるという趣向です。
續く「ポツダム犯罪」の完成度もかなりのもので、島崎と摩耶がいる屋敷の中で起こった犯罪を二人がボケとツッコミを交えて、凶器となりえるいくつかの品物の中で犯人がそれを選んだ理由や足跡の謎など、摩耶の見事な推理が披露されます。そしてその推理の果てに明らかにされた犯人の哀切がいい。前半の「朝凪の悲歌」と同樣、これだけの短い短篇の中に人間ドラマを見せてしまう構成が素晴らしいですねえ。
という譯で本作は後半に到るほど、物語の結構は明確になり、また摩耶と島崎のやりとりなど小説としてのおもしろみも増してきます。こういった装飾部分をそぎ落として、トリックと仕掛け、そして解決のみで掌編に仕上げてしまった前半の作品もいいんですけど、頭の悪い自分はやはり後半に収録されている摩耶ものに目がいってしまうのでありました。
中盤に収録されている「密室犯罪教程」も面白いんですけど、理論と実践とかコ難しいことは考えずに後半の摩耶ものを愉しむというのもアリだと思うんですよ。邪道でしょうかねえこういうのは。とはいっても眞ん中にこの理論篇ともいえる「密室犯罪教程」を挾んで、前半後半に作例を竝べ、最後にまた「密室作法」で作者の技の冴えを再確認する、という構成は洒落ていて、作者自身の手になる解説も力が入っています。
短篇のキレは勿論ですけど、摩耶と島崎というキャラ、そして事件の渦中におかれた登場人物たちとの洒脱な會話も愉しめる作品集。前半は辛いので、少し讀んでみてこれは厳しいと思った方は、まず後半の摩耶ものから入り、「密室犯罪教程」、そして前半の島崎ものという順番で讀み進めていくのが吉。
再讀した時にはこの順番でやってみたんですけど、摩耶もので作者の作風のテンポに頭を馴らして挑んだ前半の掌編も今回はなかなか愉しめました。かなりアクが強い作品集ではありますが、挑戦する價値はあると思います、なんていうとまた尻込みしてしまう人がいるかもしれませんねえ。まあ、肩の力を抜いてニヤニヤ笑う摩耶の性格悪そうなキャラと島崎警部補の二人によるボケとツッコミを愉しむのというのもいいと思います。