さて、昨日に引き續き、渡辺啓助御大のベストセレクト集ともいえる本作の紹介をしたいと思います。
昨日は「変身術師」までのあらすじを書いたので、次は各節のタイトルからしてハジケまくっている「愛慾埃及(エジプト)学」となる譯ですが、とりあえず各節の名前を竝べてみますと、「喜次郎と月子」「木乃伊製造人マユミ」「蛆虫事件」「哀しきカイロ通信」と、もうこれ見ただけで何だかスバラシイ物語であることは皆さんにも御理解頂けるかと思います。
喜次郎というのは考古学者の愛弟子である男の名前で、月子というのはついこの間までフロリダで踊っていた踊り子にして、最近喜次郎の妻になったという女。
で、この元踊り子の月子というのはコケティッシュな魅力のある美女乍ら、いかにもインテリ喜次郎の妻にはふさわしくない、ひところのアイドルを思わせる少し頭の足りない女でありますから、當然喜次郎の師匠である老博士も二人の結婚に大贊成とはいきません。妻となった月子は喜次郎とともに女弟子として老博士の元で学門をいそしむことになるのですが、何故弟子と結婚したらその妻も師匠に弟子入りしなければならないのかはよく分かりません。とにかくそういう展開なんだよッ、と御大にいわれればここは讀者の我々も素直に從うしかありませんよねえ。
で、この月子は、そのコケティッシュな美貌と男に甘える仕草で老博士をもメロメロにしてしまう譯です。しかしそんな月子を面白く思っていない女性が一人おりまして、それが老博士の一人娘マユミ。
研究室に女が二人いて、新入りの頭の足りない娘がチヤホヤされていて気持のいい筈がありません。マユミは月子に嫉妬と敵愾心をメラメラと燃やすに至り、さらにそこへ決定的な事件が勃發。喜次郎の不在の間、何と自分の父親である老博士が下着姿の月子とイチャイチャしているところを目撃してしまったからさあ大變。マユミはついにブチ切れて、この美少女を銃殺してしまいます。
さてこの突發的な殺人の後に困るのが死体の処理。しかしそこは埃及学(エジプト学)にいそしむマユミでありますから、この屋敷に研究材料として持ち込まれたエジプトの木乃伊と月子の死体をすり替えるという暴挙に出ます。
月子の死体を包帯でグルグル巻きにして柩に詰めれば作業完了と、歸國した喜次郎には月子は失踪したと嘘を告げ、老博士もマユミもしらばっくれていたのですが、ここに節のタイトルにもなっていた「蛆虫事件」が発生、腐亂した月子の死体に蛆虫がわいて、……とこのあとは頭の足りない中国人の少年が月子に死姦を試みたりとメチャクチャな展開が炸裂します。
勧善懲悪、因果應報というにはアンマリなこの物語、御大の作品にしては珍しく濕っぽい雰圍氣で終わるのですが、この事件の犯人マユミがちよっと、というか、かなり可愛そうですよ。
續く「美しき皮膚病」は恩師の嗣子を殺してしまった小市民男の物語。この恩師の嗣子、貫次郎は主人公の殿村とは正反對の男でありまして、「私立も三流どころの中学を、それも裏側からの付け届けで、二十歳過ぎてやっと、卒業したくらいの男」。ウスノロの貫次郎は女にだらしなく、主人公の殿村は、貫次郎がいれあげている町藝者菊弥を使って彼を陥れる計畫を打ち立てます。
菊弥というのがこれまた感傷的な少女でありまして、主人公はこの菊弥とたびたび逢瀬を繰り返しながら、自分に心を開かせていき、最後には菊弥を殺し、同時に貫次郎をも殺して二人を心中に見せかけようとする譯です。いよいよ主人公が菊弥を殺すと、死体を見た貫次郎は氣がおかしくなって自殺。してやったりと菊弥の死体を確かめた主人公は、しかしそこで呆然としてしまいます。
菊弥の二の腕には「俊さま命」と自分の名前が彫り込んであったから大變ですよ。心中に見せかけた女の死体の傍らで死んでいる男とは違う名前の彫り物を入れているとあってはたまりません。そこで主人公がとった行動とは、……という話。
殺した女の二の腕から、自分の名前を記したタトゥーが現れる場面は相當に笑えるのですが、主人公が啓助ワールドの魔の世界へ堕ちていくかと思いきや、この主人公の更に上を行く最低なロクデナシが後半に登場しまして、物語は主人公にとっては泣き笑いにも似た幕引きを迎えます。これまた御大の悪魔主義の容赦ない展開が素晴らしい作品でありますが、しかし悪魔主義ということでいえば、次の表題作「地獄横丁」が一番でしょう。
主人公は美男の文藝評論家で、彼のところに病院から死体引取人として、自分の名前が指名されていると告げる電話がかかってくる。その自分を名指してきた男というのが、悪魔主義の作風として知られる小説家で、主人公はかつてこの作家の書いた小説をコッ酷く批判したことがあるのです。で、この亡くなった小説家は自分の死体を引き取ってもらうとともに、彼の書いた遺作がリリースされるので讀んでみてくれ、という遺書を殘しています。その「地獄横丁」という小説家の遺作には、凄慘な殺人のことが記されており、彼がその小説の舞台となっている空き家を訪ねていくと、果たして小説通りの死体が見つかって……。
とにかく本作では健気な女だろうがお構いなし、啓助ワールドの住人はすべからく地獄へ堕ちるべし、という御大の執念が素晴らしい傑作。皆樣におかれましては、この御大の容赦ない鬼畜ぶりをこの掌編でタップリと堪能していただければと思いますよ。
……なんてまたダラダラ書いていたらかなりの長文になってしまったので、以下は強力におすすめしたい「塗込められた洋次郎」と「聖悪魔」の二編だけを取り上げて終わりにしたいと思います。嗚呼。
「塗込められた洋次郎」は「愛慾埃及学」と同樣、エジプト絡みのお話で、こちらは語り手の私の一人稱で話が進みます。私は砂原洋二郎という男を連れて、王の墓の谷の研究の為、リビヤ沙漠へと赴くのですが、どうやらこの洋二郎という若者は私の妻と浮気をしているらしい。そして私は、洋二郎を、王の墓の中に仕掛けられたブービートラップへと誘導し、マンマとその罠に掛かって閉じこめられた洋二郎を壁の中に塗り込めてしまいます。
しかし歸國した私のもとに、突然、洋二郎がやってきます。しかもその洋二郎の變わり樣が凄まじく、引用させてもらいますと、
そう云う声の主は跛足だった。びっこで、その上、顏と来たら——私は、その顏が、自分目蒐けて飛びかかって来そうな気がして、全く均斉を失って左右顏が互いに上下にズレて喰っついているように見えた。上唇が剥れ上がっていて、隆々たる歯茎が露れていて、憎々しげにも、またつねに、哄笑しているようにも見えた。一眼は完全に肉の中にめり込んでしまっていて、もう一つの眼だけが、眼窩の底からキラキラと硝子玉のように私を瞶ているのが分かった。
そんな醜男フリークスに變貌を遂げた洋二郎が「せ——せんせい——先生!」なんて絶叫しながら詰め寄ってくるんですから堪りません。
いや——モウ、お、おわかりにならないのが、——マサにほんとうなことで、ございますが、ああたくしが、あたくし自身が、ヘエヘヘヘ……自分自身に砂原洋二郎だと云って聞かせるのが骨なくらい、ひ、ひどいかわり方をしちゃいやがって——とうとう、くたばり損なって、こう云う、しゅう、醜態を曝すような次第で。
なんてかんじで、ベラベラしゃべり散らす醜男のイヤらしさは、平山センセも顏負けの凄まじさです。果たしてこの醜男に變わり果てた洋二郎が私の前に現れたことがカタストロフを引き起こしてという期待通りの展開を見せるのですが、着地點はまったく違うところに落ち着くところが面白い。果たして本當の鬼畜は誰だったのか、ここは是非とも皆さんの目で確かめていただければと。
もうひとつの「聖悪魔」は「復讐芸人」と同樣、牧師の私が語り手となって話は進みます。この牧師は他人の前ではいかにも敬虔な、汚れなき神の子を気どっているのでありますが、そんな演技に疲れて、表の顏とは正反對の鬼畜ぶりを小説仕立てにした日記に書き付けているのです。しかしそれを教会にやってきた少年に見つけられてしまい、……とここから語り手の私の手記を巡ってトンデモない展開になってきます。この私の裏表ありまくのキャラが秀逸で、またそんな牧師をけしかける少年の小惡人ぶりもいい味を出しています。そして物語は小市民が啓助ワールドの魔道に足を踏み入れた最惡の結末で締めくくります。
その他のおすすめは、極惡な夫婦にたぶらかされた小市民の夫婦が魔道へと堕ちていく、ちょっぴり寿行センセや綺羅光ワールドを髣髴とさせる展開の「血痕二重奏」、小栗虫太郎の「白蟻」ふうに炭鉱事故がきっかけとなって、包帯男の正体がミステリの仕掛けで展開される「屍くずれ」、飄々とした惡魔が體育会系の右翼バカを驅逐する幕引きに、文化系氣弱少年たちも大滿足の「決闘記」など、一編たりとも讀み逃せない傑作がテンコモリです。
邪悪、鬼畜、悪魔、妄執、狂氣と當にあの時代の怪奇探偵小説のエッセンスをギュッと濃縮して素晴らしい物語へと昇華させた作品集、キワモノ好きは勿論、硬質な文體から釀しだされる獨特の香氣は當に麻薬。多くのキワモノミステリファンにも手にとっていただきたい傑作です。