二階堂黎人氏のサイトの掲示板において繰り廣げられていた活發な議論をきっかけに、ここ最近、氏が示している「本格推理小説」とはどのようなものなのかを必死に理解しようとしているんですけど、頭の惡い自分にはこれが思いのほか難しくて正直、行き詰まってます。
で、氏は日記のなかで自分の本格推理小説の何たるかをもっと知りたければ光文社文庫の「本格推理15」を參照のこと、なんて書いていたので早速ゲットしましたよ。それでこれを昨日から讀んでいるんですけど、……やはりよく分かりません。というか困ったことに、氏が日誌で展開されておられる「本格を成り立たせる条件」と「本格推理15」で挙げられている内容を氏の実作に適用してみると、それらは盡く本格推理小説ではないということになってしまうんですよ(爆)。
……いや、笑い事じゃなくて。
これって絶對におかしいじゃないですか。本格推理小説とはこのようなものですよ、と示している氏の実作が、その本格推理小説じゃないって一體、……コントじゃないんですから。だとすると自分の適用方法が間違っているに違いなく、一体全体何処で自分は間違えてしまったのか。それをウンウンと考えている譯ですが、やはり生來がキワモノばかりに手をつけて本格推理とは何たるかなんていう、壯大で難解で哲学的で思索的なことなど突き詰めて考えたこともない自分にはなかなかうまい具合に氏の考えを理解することが出來ませんで。
自分は「容疑者Xの献身」は讀んでいないので、この作品が氏の定義における本格推理小説に當たるものなのか否かというのは正直よく分かりません。しかし同時に氏は12月4日の日記で「犬はどこだ」は本格推理小説じゃないといっているじゃないですか。自分はこれに引っかかってしまいまして。自分としては「犬はどこだ」は本格ミステリだと思っていたものですから、氏がこの作品を私立探偵小説であるといって本格推理小説ではないと斷じているところからして、何でそうなるのかがサッパリ分からないんですよ。
というのも、この「犬はどこだ」、自分的には「私立探偵小説」でありかつ「本格推理小説」でもあると思っていたもので。そこで氏の本格推理小説とは何ぞや、ということも勿論重要ではありますが、まずは氏にとって本格推理小説と私立探偵小説はまったく相容れないものなのだ、というところから理解していかないとマズいと氣がつきまして、これは參ったなあ、と。
そこで本作「本格推理15」な譯ですが、これによると、氏はミステリを大きく二種類に分類しています。曰わく、「推理型の小説」と「捜査型の小説」でありまして、どうやら、というか恐らく「捜査型の小説」の中に「私立探偵小説」というサブカテゴリがあって、「犬はどこだ」はこれに属するということらしい、……っていうか、これで間違っていませんか。もし間違っているとしたら、以下の自分の理解は全滅なんですが(爆)。
そこで興味があるのは、氏が「犬はどこだ」を「私立探偵小説」に分類した理由ですよ。まさか主人公が私立探偵だからってことはないですよねえ。蘭子だって私立探偵の一人な譯ですから。それとも自分で事務所を持っている探偵が主人公だったら「私立探偵小説」になるんでしょうか。それだったら芦辺氏の森江春策が活躍するシリーズものはすべて本格推理小説ではなく、私立探偵小説になってしまうし、……ということでとにかく頭がグルグルしっぱなしなのであります。
「犬はどこだ」は以前レビューした通り、古文書探しとストーカーという二つのテーマが併行して進み、それが後半に至って鏤められていた全てのピースが嵌った刹那、事件の構図が見えてくるという仕掛けになっています。ネタバレになってしまうので詳しくは語れませんが、この後半で探偵が事件の構図を明らかにしていくところが當に「本格推理小説的」だと思うんですけど違うんでしょうか。
氏がサイトで展開されている本格推理小説のの1番目、「文学的意義」においても、「犬はどこだ」はその要件を十分に満たしていると自分は感じたんですが、既にここで躓いているんでしょうかね。また「本格魂」という點に關していえば、事件の構図が探偵の推理によって反転し、今までとまったく違った見え方が提示されるというところでは充分に驚かせてもらったし、ここに濃厚な「本格魂」が込められていると自分は感じたんですけど、もしかしてこれもダメだっていうことなんでしょうか。謎ですよ。
では、第三番目の「ジャンル的技術」というやつに抵触したからなのかということになりますが、果たしてそうなのか。この三番目の要件は「容疑者X」を論じた時にも問題となったものではありますが、しかしもう一度氏の発言をよくよく讀み返してみると、氏は「犬はどこだ」は本格推理小説ではなく、私立探偵小説だと述べています。つまり「容疑者X」とは理由が違うと思んですよ。第三番目の要件を満たしていないから「容疑者X」は本格推理小説ではないと斷じ、その一方「犬はどこだ」は私立探偵小説であるから本格離推理小説ではない、といっているように自分には讀めるのですが如何。シツコいようですが、勿論第三番目の要件を滿たさないから私立探偵小説に該当する譯でもありません念のため。
だとするとですよ、「犬はどこだ」が本格推理小説ではなく、私立探偵小説であると氏が斷じるのにはこの第三番目の要件とは違った、まったく別の理由があるに違いない、と思うのです。しかしそれが何なのかって、いうとまったく分かっていないんですよ。
どなたか「キワモノ探偵小説マニアでも分かる、二階堂黎人氏の本格推理小説論」とかいうのをものにしてくれませんかねえ。
何か凄く長くなってしまったので、エントリを二つに分けますよ。以下次號。