本屋に行ったら光文社文庫から「刺青殺人事件」の新装版がリリースされていて平積みになってましたよ。昨日取り上げた寿行センセの「君よ憤怒の河を渉れ」もそうでしたが、最近は新装版というかたちで舊作を復刊するのが流行っているんでしょうかねえ。
さて、確かに「刺青殺人事件」は作者の代表作のひとつではあるんですけど、推理小説としての完成度だったら本作の方が上だと思うんですけど如何でしょう。「刺青殺人事件」と同樣、探偵をつとめるは天才神津恭介、……なんですが、本作での神津は金田一もかくやというばかりにヘマばかりしでかして、第二、第三の殺人を見逃してしまいます。特に第二の殺人などは、京都に向かっている最中、車中でワトソン役の松下から電報まで受け取っていたのに、學會の方を優先した結果、狡猾な犯人にまんまと裏をかかれてしまうんですよ。周囲から常日頃天才天才とおだてられていた神津恭介がブチ切れるところも本作の見所でしょうかねえ。こんな恭介見たことない、というかんじです。
今讀んでみると、登場人物のすべてが舞台俳優めいたものいいで些か笑ってしまうところもありますが、正史の傑作群と同樣、折り目正しい正統派のミステリのお手本のような作品です。また「序奏」と題した大袈裟な手出しも勇ましく、冒頭から讀者諸君への挑戦の言葉を掲げているところなど、本作における作者の自信のほどが窺えます。
舞台となるのは手品を愛する魔術協會で、第一幕「斷頭台の女王」ではマジックの小道具である首がケースの中から盜まれ、そのあとに舞台道具の斷頭臺で首を切断された女の死体が発見されます。生首のかわりに置かれていたのが、盜まれた小道具の首だったことから、犯人はどうやってマジックの會場から首を持ち去り、そして何故切断された首の代わりに人形の首を置いていったのかが問われます。
魔術協會の會員たちはそれぞれに個性的な人物ばかりなのですが、その中でも特に異彩を放っているのが瘻の詩人の男でして、「ひひひひひ……ひひひひ……」と薄氣味惡い笑い聲をあげながら、こちらがカチンとくるような棘のある物言いで周囲の人間を苛々させる個性的な輩なのですが、第二の殺人が行われたあと眞相を見拔いたばかりに殺されてしまう、というのも御約束でしょうかねえ。
本作で最も光っているのが第二の殺人で、第一の殺人と同樣、ここでも人形が「殺された」あと、死体が発見されます。第一の殺人では斷頭臺が使われましたが、ここでは人形が電車に轢死されるかたちで見つかり、そのあとすぐに女の死体がこれまた人形と同樣の轢死體となって発見されます。ここで犯人が用いたトリックはなかなかのものなのですが、意外と今のミステリマニアだったら逆にこの第二の殺人で犯人が分かってしまうかもしれません。何故犯人は人形を殺すのかという點に着目すれば、犯人を指摘するのはそれほど難しくはないと思います。
續いて魔術協會の會員たちが降霊術めいたことを行って、殺された二人の霊から犯人の名前を聞き出そうとするのですが、そこで今度は件の瘻の男が毒殺されます。さて、犯人は誰かとここで讀者への挑戰状が挿入されて解決編となるのですが、この大時代的な構成も今讀み返してみると、あまりにミステリの基本構成に忠実であるが故に、ちょっと赤面してしまいます。學生時代は素直に興奮出來たんですけど、……まあ、自分も歳をとったということでしょうか。
ちょっと笑ってしまったのが、探偵神津が犯人に向かって決定的な証據を突きつけ、犯人はおまえだ、とやる場面。グウの聲も出なくなってしまった犯人は不氣味な薄笑いを浮かべて負けを宣言するんですけど、その時に「メイファーズ!」って絶叫するんですよ。ワルプルギスの夜の場面が云々とかファウストの引用などもあるものですから、これを獨逸語かと思う方もいるでしょうがさにあらず、これは「沒法子」という中國語でありまして「どうしようもない」という意味なんですけど、何故犯人がここで中國語を使うのか意味不明ですよ。ちなみに「沒法子」ってかなり時代がかった言い方で臺灣では聞いたことがありません。大陸のロートルとかは未だに「沒法子!」なんていうんでしょうか。
本作、いっときはハルキ文庫でリリースされていたみたいなんですけど、アマゾンで檢索した限りではまたももや絶版の憂き目にあってしまっているようで。「刺青殺人事件」が復刊されたのであれば次はこれでしょう。
いかにも大袈裟なものいい、大時代的な地の文、そして曰くありげな登場人物と當事の推理小説の雰囲気を濃厚に宿した傑作です。
懐かしい作品です。私は小学校の頃に中島河太郎氏の「推理小説の読み方」なんて
読んでしまっていたため、第二の殺人で神津恭介が京都駅に着いた時点で犯人が
分かってしまい、存分に味わえたわけではありません・・・・、がその名トリックを
抜きにしても結構楽しめましたよ。個人的には第一の殺人の諸々のトリックが好き
ですが。
wanさん、こんにちは。
小學生で中島河太郎を讀んでいるって相当な強者とお見受けしました(^^;)。
第二の殺人での犯人の行動はあまりにあからさまなので、最近のミステリ讀みだったらヤマカンでもこの人物が犯人だろうと分かってしまうと思うんですよねえ。第一の殺人絡みだと、推理のなかでは結構さらりと書かれているんですけど、ギロチンで切り落とした首の隱し方がオエッってかんじで個人的にはツボでした。