「龍臥亭幻想」を讀み終えて後、以前挫折した本作に再挑戦。讀了しました。
ベタなタイトルからしてまず驚かされますが、内容の方も何というか、ミステリじゃないです。ミステリの素材を使って島田文學を体現したというかんじ。何となく物語のもつ場の雰圍氣が水上勉の名作、「飢餓海峽」に近いような印象がありました。
しかし以前挫折した上卷は、ちょっとつらかった。まず道子の痛々しい幼少期の話しに長々と付き合わなければいけないことがひとつ。それと道子の幻想的ともいえる不可解な記憶がひとつの謎になっているのだけども、奇拔な殺人事件が提示される譯でもなく、吉敷の章では老婆が冤罪を訴える演説をこれまた長々とブッたりする。
テンポの良さというものはなく、話のすすみ具合ももっさりとしているのが、以前挫折した原因のひとつであったことをあらためて思い出す。
しかし道子の子供時代の記憶、というのが、何というか、自分のような昭和の高度成長期に学生時代を過ごした人間には妙にリアル。例えばフォークダンスの逸話とか、怖いくらいである。
まあ、冤罪を扱うというのがこの作品の重要なポイントですから、そもそも「龍臥亭幻想」のような展開を期待してはいけないのであって、ここは島田莊司の重厚な書きっぷりに付き合わなくてはいけない。ここのあたりを前半できっちりと讀み込んだかどうかで、下卷の後半における感動の度合いが異なってくるような氣がする。
とはいえ、上にも述べた通り、事件が大きく展開を見せてくるのは後半に至ってからなので、ミステリとして、また道子の幼少時の記憶の斷片や体驗と事件との關連性を早く知りたい人は、早く下卷へと進んだ方が吉である。