久しぶりに讀み返してみて吃驚してしまいました。アレ系のミステリだったとは自分もすっかり忘れていましたよ。山田正紀のキャリアのなかでは、明確にアレ系の仕掛けを凝らした本作は當に異色作といえるでしょうが、世田谷のテニスクラブで発生した焼死事件の情景や、物語全体に通底している白鳥の湖の主題といい、作者らしい構成が光る佳作であります。
物語はアリバイトリックを凝らした「犯罪」を語るいくつかの断章から始まります。この「犯人」は列車と飛行機を驅使して或る「犯罪」を遂げようとするのですが、その「犯罪」がどのようなものであるのか、ここではまだ明かされません。
この昭和四十五年という過去の「犯罪」を語る断章に續く「第一の手記」では一転して、世田谷のテニスクラブで発生した焼死事件が、現場に居合わせた稲垣という刑事の視點から語られます。この稲垣が事件を追っていくうちに、焼死したのは十七年前に謎の失踪を遂げていた橋淵亜矢子という女性であることが判明します。
この稲垣刑事の場面を經て、續く二節では、病弱の妻を持つ桑野が語り手となります。桑野は新聞社を辞めて、自費出版の会社を経営しているのですが、橋淵亜矢子の思い出を綴る文集の出版を行うべく、當事の關係者に手記の執筆を依頼して回っているのですが、この過程で亜矢子の失踪事件の眞相が明かされていくという趣向です。
當事の關係者のなかには桑野の妻、恵子の含まれているのですが、この各の手記を讀み比べていくうちに、何となく違和感を感じます。そしてこれは登場人物のひとりである桑野も同樣で、彼もまたこの違和感を頼りに過去の事件の眞相へと辿りつきます。
この物語の外にいる讀者もこの眞相には意外と容易に行き着くことが出來ると思うのですが、さらにこの外層に仕掛けられたアレ系のトリックには再讀乍ら自分もまんまと騙されてしまいましたよ。
この仕掛けの見事なところは、アレ系のトリックではお馴染みの手記というアイテムが、事件の真相を暴く手掛かりになっていながら、それ自體は作者が仕掛けたアレ系のトリックとはまったく連關していないというところでしょう。この手記を中心に展開する物語のさらに外側にさりげなく仕掛けが凝らされているものですから、すっかり氣にも留めずに讀み進めてしまうのですよ。ここがうまい。
本作の「犯行」の中心をなしているアリバイトリックは実のところ、ミステリの謎解きとはまったく關係ないところで成り立っています。從ってアリバイトリックが使われていることが明かされていながら、本作の趣向はそれとはまったく關係のないところにあるというところもまた異色といえるでしょう。このアリバイトリックを仕掛ける動機が捩れているあたり、いかにも作者らしいともいえるかもしれません。
そして全ての眞相が明かされたあとに添えられた「犯人」の手記がまた何ともいえない哀しい餘韻を殘すところが、いい。チラチラと物語の要所要所に姿を見せていつつも、事件を追っていくなかではまったく表に出て來なかったこの人物がその「犯行」を告白し、さらアレ系の仕掛けが明らかにされたあと、再び冒頭の断章から世田谷の焼死事件のまでの場面を讀み返してみたときの切なさといったら。この餘韻もまた本作を傑作たらしめている理由のひとつといえるでしょう。
歪んだ世界觀が構築された最近の山田正紀の作品群とは相違して、いかにも小さく纏まったかんじはあるのですが、それがまた普通の人間による「犯行」であることをより一雙引き立てて、心にしみる讀後感を与えてくれるんですよねえ。
作者の初期ミステリとしてはエポックメイキングともいえる素晴らしい作品。折原一のように本作を「山田正紀が書いたミステリの最高作である」なんていうつもりはありませんが、「妖鳥」や「神曲法廷」のような濃厚な作品とはまた違った良さを持つ佳作でしょう。