意外と愉しめたんですけど、作者の漫畫のどのテイストを求めているかによって本作に對する評價は異なってくるような氣がします。
自分は稗田礼次郎・妖怪ハンターシリーズというよりは、「不安の立像」や「袋の中」のような純粋な怪奇恐怖小説を期待していたんですけど、かなり風合いは違いましたよ。
全体の主題になっているのは、異形のものに翻弄される人間、というかんじでしょうか。ふとしたことから主人公の私が異界に足を踏み入れてしまって、……という物語が殆どです。
不條理、不可解、不可思議、不安感といった雰囲気は十分に出ていて、このあたりは當に作者の漫畫そのものです。また作中に登場するキョウコもおしなべて作者の漫畫に登場する不可思議な女性像を髣髴とさせ、何処か気の弱そうな主人公の男性たちも作者の漫畫の登場人物と同じ。という譯で、人物造形は完全に漫畫の雰囲気を踏襲しています。
収録されているのは全部で五編でありまして、この中では冒頭「狂犬」と最後の「濁流」が印象に残りました。
冒頭を飾る「狂犬」は、旧試験場に向かう途中、バスの中でキョウコに声をかけられた私の語りで始まります。この私は前日に旧試験場で或ることをしてしまったのですが、キョウコはそのことを見透かしたようにネチネチと私を問いつめていきます。
前日の出來事の回想によって少しづつ私が隱している事柄が讀者の前に明かされていき、それがこの後に續く私への災難を不氣味に暗示しているあたり、短編小説としての筋運びが非常にうまい。
いつの間にか異形の世界へと踏み込んでいた私は、施設の地下室でこれまた御約束通りに化け物に追いかけられることになるのですが、このシーンは怖いです。しかしこの追跡を逃れたあと、キョウコが再び登場したところで、物語全体に漂っていた不氣味な緊張感は失速して、作者のもう一つの味であるドタバタ劇へと轉じてしまうのがちょっと惜しいですかねえ。
なので、何となく讀後感は、自分が期待していた「不安の立像」などの純粋な怪奇恐怖小説というよりは、栞と紙魚子シリーズのようなかんじといえばいいでしょうか。
續く「秘仏」は発表年代が上の「狂犬」とは異なり、十五年も前の作品です。これまたキョウコが登場して、主人公を異界へと連れて行くのですが、ここではキョウコのほかにもう一人、向こうの世界の者と思われる少女が登場します。
私はキョウコと窪川の三人で、或る寺の御開帳を見に行くのですが、そこで行われる不可解な儀式に私は卷き込まれ、彼はその祕儀の途中で禁を破ってしまいます。そして「狂犬」と同樣、私の地獄巡りが始まるという趣向でして、何か暗い虚のなかを覗き込んでいるような不安感が全体に立ちこめているあたり、なかなか味のある短篇といえるでしょう。
しかしその一方で今ひとつ物語の展開が散漫な氣もするんですよねえ。この話はキョウコを登場させずに、異世界の導き手はこの少女一人で物語を進めていった方が良かったような氣がするのですが如何。
續く「貘」はもう完全に栞と紙魚子シリーズの雰囲気そのままです。
キョウコとともに動物園に貘を見に行った私。キョウコは「貘がいなくなった」といい、一週間後に貘の居所を見つけたというキョウコに連れられて、貘のいるという博物館に向かうのだが、……という話なのですが、後半のドタバタと最後のオチのギャップが作者らしいというか。
「鶏小屋のある家」も基本は上の短篇と同じで、或る借家に越してきた私に降りかかる災難の物語です。家の敷地に不氣味に佇む鷄小屋の描写と、系列会社への出向を強いられる私の心情とを重ね合わせた心理小説ふうの構成がいい。ただここでは前半の「狂犬」や「祕仏」で見られた強迫的な展開は影を潜めて、じわじわと不安を煽っていくような物語になっています。
最後を飾る「濁流」は他作品に比較して短い乍らも、私の心理と幻想だけで物語を押し切った佳作。豪雨の中を流れる濁った川の情景と、曖昧な記憶の奔流から立ち上ってくる忌まわしい過去の出來事がうまく絡み合っていて、幻想小説として見事な效果をあげています。
諸星大二郎だったら絶對に愉しめる作品集という譯ではないのですが、全編作者らしい奇妙な味に充ち滿ちた作品に仕上がっています。稗田礼次郎のシリーズよりは、栞と紙魚子シリーズの雰囲気が好きな人におすすめしたいですねえ。