飛鳥部氏の最新作なんですけど、もうハチャメチャの滅茶苦茶。
本作、モダンホラーの意匠を纏った怪奇小説、ということになるんでしょうけど、これは後世まで語り繼がれる怪作ですな。
ミステリ的な要素はかろうじて殘ってはいるものの、ジャケ帶を見る限り、出版社としてはホラーとして賣りたいようです。
何しろ、帶に躍っている煽り文句ときたら「鏡を人が襲う!」「キングの恐怖、クーンツの興奮、マキャモンの感動」ですから。洋モノのモダンホラー作家の名前が躍っていますけど、実際は徹頭徹尾、和モノの怪奇小説です。
飛鳥部氏も「飛鳥部勝則美術館」で「変な本格、(戦前の)変格、生粋の怪奇党、モダン・ホラー、一時期の和製SF、が好きな人にもお勧めです。それぞれに、どこかに響く部分があるでしょうから」と書いていますけど、確かにその通りで、自分は海野十三や香山滋のあのいかがわしい雰圍氣を思い出しながら讀んでいました。
もっとも本作、讀み進めていくうちにどんどん物語の印象が變わっていくという妙な小説でありまして、冒頭、表紙繪にもなっている稲垣考二の繪に出会ったヒロインの描写から始まるプロローグ、そして第一部「葉子」の出だし、いきなりヒロインが奇妙な男に襲われる場面を過ぎたあと、幽靈が見えるという彼女の戀人が登場してきたあたりまでは、氏の端正に纏めた筆致とも相まって、何となく津原泰水の「妖都」みたいなかんじかな、なんて考えていたんですけど、物語がどんどん走り出してくるに從って、こ、これって、もしかしたら戸川昌子の「透明女」ですか!という印象に變わっていきました。
まあ、要するに物語のあらすじを説明するのが至極難しい小説であるということです。ジャケ帶の裏にあるあらすじはこんなかんじ。
帰宅途中、浮浪者ふうの男に襲われた葉子は、無我夢中で抵抗した結果、男を死に至らしめてしまう。
婚約を間近に控えた彼女は、悩んだ末、死体を海に捨てることを決意。
完璧に隱蔽をやり終えた筈だったが、翌日、友人の結婚式で彼女に声をかけてきたのは、昨日殺してしまったはずのあの男だった……。
旧家に伝わる鏡が、ひたひたと街を侵蝕する。この街には”何か”がいる……
実をいうと、これだけでは物語のホンのさわりしかふれていないことになります。本作がハジケまくって當にハチャメチャの展開になっていくのはその後。エロ、グロ、笑いのテロル、……それらの下劣な舞台装置のなかを、飛鳥部小説ではおなじみの高貴(好奇)な登場人物達が縱横無盡に驅けめぐります。
鏡、ベルメールふうの死体装飾、ボルヘス、無限世界、……そういった装飾は頗る幻想小説的ではあるんですけど、どうにもこのドタバタが、かつてのひばり書房の怪奇漫畫を髣髴とさせるというか、あの時代のコガシン先生の作品のごとき強引な展開に眩暈がしてしまうんですけど、そこは飛鳥部氏の小説ですから、どんなに物語が暴走しようともしっかり理性だけは保たれています。品の良さと一流の小説の風格を有しているのが本當に不思議。
さて飛鳥部ワールドでおなじみのハジケまくった男性キャラですが、今回は物語の謎の鍵を握っていると思われる久遠という男がそれ。ヒロインとの掛け合いがとにかくズレまくっていて、歸りの電車の中で讀んでいて笑いを堪えるのに苦勞しましたよ、本當に。
この久遠という男はヒロインの葉子を襲った男と瓜二つなのですが、彼の話によると、その男というのは鏡の向こうからやってきた自分の分身だという。彼は葉子が死体を絶壁から捨てるところを目撃していたと主張し、彼女にしつこくつきまとうのですが、頑なに知らない知らないと惚ける葉子をネチネチと追いつめていきます。
例えば、マクドナルドに入った葉子と同じテーブルに座るなり、「逃げると犯行をばらす」といって脅し、彼女が飮みかけのアイスコーヒーに手を伸ばすと、「俺、カフェイン中毒なんだ。自分のは飲んじまったから、これ、もらってもいいかね。間接キスになるかもしれないが、かまわんだろう」とかいったりするんですよ。
このほかにも葉子が勤めている会社の社員など妙な登場人物がいつになく多いのも本作を怪作たらしめている理由でしょう。とにかくまともな人間が一人も出てきません。
從って、物語の方も正常な方向に転がっていく筈もなく、最後はモダンホラーの定石通り、惡との対決ということになるのですけど、これもハチメチャ。當に繪畫的な悪夢の情景のなかをヒロインたちが立ち向かっていくのですが、いやはや何とも。このあたりはもう讀んでもらうしかありませんよ。
それでもすべてが終息し日常へと還っていったあとに續くエピローグでは、幻想のなかに唯一人取り殘されていた人物がふっと現れ、物語の狂言廻しととにもの哀しい終幕を引き立てて終わりとなるあたり、やはり物語は美しく終わるべきという飛鳥部氏の哲学を感じた次第。このラストは「冬のスフィンクス」的で結構好きです。
本作はとにかく「考える」小説ではありません。「透明女」や「偏執の芳香」と同じく、「感じる」小説でしょう。飛鳥部氏の獨特の品のあるユーモア、そしてそれとは對照的な、おふざけとしか思えないエログロナンセンスの要素が渾然一體となった怪作。
ミステリ作家としての飛鳥部氏のキャリアのなかではまさに異色でしょうが、今まで讀んだ作品のなかで一番愉しめたということを告白しておきましょう。
ミステリとして、さらにはジャケ帶に騙されてホラーとして讀まなければ、ものすごく愉しめる物語です。とにかく孤高。飛鳥部小説としてこの破天荒な物語を「感じる」ことが出來る人(要するに自分みたいな物好き)には堪りません。飛鳥部ファンは必讀、でしょう。