もうずっと昔、ノベルズで讀んだ本作、あらためて讀み返してみて、牧場智久探偵シリーズのひとつだったことに氣がつきました。というか、ジャケ裏の解説を見てもそんなことは全然書いてありません。もっともノッケから智久探偵が登場する譯ではないので、これはこれでいいんですかねえ。
本作の讀みどころはネチネチとした地の文からもたらされるイヤ感にあるのではないでしょうか。
舞台は築六十年という樹影莊で、これが元々は産婦人科病院だった建物を改築してアパートにしつらえた洋館というところがキモ。建物の描写たるや小栗虫太郎の「白蟻」を髣髴とさせるネチッこさでおどろおどろしい雰圍氣をあおり立てています。まずこれが、いい。
そしてここの住人である登場人物というのがまたイヤな雰圍氣を釀し出しているものばかりなんですよ。特に「虚無への供物」の八田皓吉がモデルじゃないかと思わせる小野田という男が強烈。とにかく關西弁をまくしたてるさまが、陰鬱とした舞台の雰圍氣から完全に遊離していて、これがまた妙なかんじを釀し出しています。この關西弁の小野田の上をいくのが、楢津木という刑事です。
「捩れた唇から覗く齒」を見せながら、「ニチャニチャとした」口調で話し、喫茶店では探偵を前にして「藪睨みの眼を見据えたまま、ストローをコップの底でズルズルと鳴らし」ながら自分のことを「あたし」といい、「へっへ。面目ない」「氣を惡くされると困っちまいますなァ」なんてかんじで話しかけてくるんですよ。
何というかこのイヤ感出しまくりのキャラって、竹本健治的、というよりは、平山夢明的です。まあ、嫌いじゃないんですけど、生理的な嫌惡感をもたらす強烈なキャラたちに押されて正直、立て續けに起こる事件も物語の片隅に押しやられてしまっているような氣がします。というか、何だかこの小野田と楢津木のキャラの印象ばかりが頭に残っていて、事件のことなどすっかり忘れてしまいましたよ。
最後にとんでもない事態が発生し、探偵は間一髮のところで助かるのですが、事件が終息したあとも何となく煮え切らない思いだけが殘ります。
狂氣をテーマとしているという點では「トランプ殺人事件」に近いかもしれませんが、本作は寧ろ事件云々よりも、力のこもった、というか力みすぎたともいえる脅迫的な文体、そこから釀し出されるイヤーな雰圍氣を堪能すべき小説でしょう。ミステリというよりはホラーに近いです。
竹本健治が好きなひとというよりは、平山夢明リスペクトのひとに是非とも讀んでいただきたい一册。
ただ、今は亡き辰巳四郎の手による角川文庫のジャケはちょっとなまぬるいですねえ。講談社ノベルズのジャケのほうがこの小説の雰圍氣をよく顯していると思います。