傑作。「ノヴァーリスの引用」「葦と百合」「バナールな印象」といった初期作の風格を彷彿とさせる逸品で堪能しました。
神童ボーイに憧れる音大受験生の「わたし」が学生時代を回想するかたちで物語は進んでいくのですが、このきっかけとなるのが、――指を失い、ピアノを弾けなくなったという神童ボーイが外国で再びピアノを弾いていたところを目撃したという旧友からの手紙でありまして、ここから果たして友人が目撃したのは本当に神童ボーイだったのか、だとしたら指が再生したという彼の不可解な発言の真意は、……など、神童ボーイの「今」にまつわる謎がまず提示され、語り手の回想によって彼らの過去が繙かれていくなか、卒業式の夜に女子高生殺人事件へと巻き込まれた経緯が綴られていきます。
女子高生殺人事件と神童ボーイの指の消失は一見すると大きくリンクするものではないし、実際に冒頭から過去語りが進む中で、指の消失と再生に関わる謎は完全に放擲され、物語は神童ボーイに同性愛的憧れを持った語り手のネチっこい視線も絡めて進められていきます。
前半はいかにも神童、といったかんじの素晴らしい逸話と、語り手が耳にしたという彼の演奏の素晴らしさと重ねてシューマンの音楽の本質が暴かれていくのですが、この殺人事件の発生をきっかけに、後半はあたかもこの神童の反芸術的な振る舞いが明らかにされていくという転調がキモ。また殺人事件の発生と同時に登場したプチコニー女への激しい嫉妬など、語り手の粘液質的な語りが半端ないところがキワモノマニア的には好感度大。
このプチコニー女についての語り手の印象をざっと引用してみると、
背が高く、体つきは豊満、といえば聞こえはいいが、ようするに太っているので、ことに脚が太くて、膝がカブトガニみたいに大きいのが目立ち、全体にいかにも質量がありそうだった。色は確かに白いけれど、七難を隠すまでには至っておらず、つまり難の力が強すぎた。しかも、その膚の白さは、日陰の毒茸を想わせる、嫌な白さなのだ。眼は大きいが、いくぶん飛び出し気味で、鼻はいわゆる団子鼻、顔の面積が大きいに比して額が不愉快なほど狭小だった。しかし、なによりの問題は口元で、喋るたびに唇が四角く歪み、歯茎があらわになるのが下品で、笑ったりすると、正視に耐えぬほどの下卑た印象が顔面全体を支配し、さすがに本人も気にしているのか、頻繁に口元を手で隠す仕草を繰り返すのが、かえって嫌らしかった。
この後もことあるたびに語り手のプチコニーに対する呪詛の言葉が吐き散らされるのですが、冷静に語っているようでいて、ネチっこさを隠すことのできないある種の狂気が本作全体の結構に隠された仕掛けに繋がっているところも秀逸です。
本格ミステリとして見ると、冒頭に提示される謎の様態ははっきりしていて、すわなち指の再生などということは果たして可能なのか、あるいは実際に旧友が目にした演奏者というのは本当に神童ボーイだったのか、というあたりになるかと思うのですが、上にも述べた通り、この魅力的な謎は早々に放擲され、読者は語り手の回想語りに委ねたまま、もう一つの本格ミステリ的な事件、――すなわち卒業式の夜に起こった殺人事件へと連れ去られていきます。
しかしこちらもまた事件について詳細な謎解きがその場でなされるわけではなく、こちらもまたやや曖昧なかたちで後半に入ってから語り手が「犯人」をズバリと指摘してみせるのですが、本格ミステリの定式からは逸脱した本作の展開から見えてくるのは、語り手の目を通して暴かれていく神童ボーイの二面性で、同時にこの神童ボーイの頭を通して開陳されていく音楽というもののの本質です。
本作ではその音楽はシューマンということになっていて、ここにも神童ボーイの名前「修人」との奇妙な符号が隠されてい、これが最後の最後、語り手の「わたし」から離れたところですべての謎の真相が解き明かされるという構成も素晴らしい。ある意味、語り手の想いに託して語られていた様々な事象がそれによって見事にひっくり返されるこの結構は、現代本格として見ればおなじみのものとはいえ、本作の優れているところは、この真相開示によって音楽の消失という「犯人」の体験と登場人物の消失が見事な重なりを見せるところでありまして、それによって今まで神々しく鳴り響いていたシューマンの音楽が、不気味なものへと転化する趣向も素晴らしい。
「たくさんのお話」、「運命への復讐」、「音楽は必ずしも音にならなくてよい」「音楽がない――」。語り手を通して記述されるシューマンの音楽と神童ボーイの思想がこの小説全体と、この物語そのものを表しているところなど、語りと小説であることを意識した「ノヴァーリス」や「葦」にも通じる奥泉様式は本作においてよりいっそう洗練され、この二作に見られた現実と幻想のあわいを漂うな酩酊感よりはむしろ、読んでいる間は意識をはっきりさせたまま白昼夢を見ているような不思議な感覚にとらわれっぱなしだったことを告白しておきます。
本格ミステリではない、ということを判っていながらも、本格ミステリ的なものを期待して読みつつ、その本格ミステリ的ではない結構と展開に「本作は本格ミステリではない」という感想を抱いてしまうかもしれません。しかしそれこそはこの物語が孕むひとつの罠であり、その批判は同時に、作中のわたしがあるシーンで、神童ボーイの演奏に「音楽がない」と呟いてみせることとの同じ陥穽に陥る仕掛けが用意されているところなど、二重三重に凝らされた構図の妙にも注目でしょう。オススメです。