探偵行為の禁じられた「もう一つの日本」を舞台にした物語。北海道は独立しソ連と近しい、とくればロートル世代は自然と東西冷戦をイメージし、舞台となる「もう一つの日本」の方は自由社会という対比をつけてくるのだろうナ、と考えてしまうわけですが、舞台設定はそう単純なものではありません。探偵行為が禁じられた国家というところからも明らかな通り、物語の登場人物たちはYA!世代を射程に据えたものらしく学生だったりするわけですが、物語全体から立ちのぼる何ともいえない息苦しさが尋常ではありません。
独立した北海道とは冷戦が続いてい、どうやら「北」のスパイが暗躍しているらしく、そんな中で死体が見つかり、殺人事件の調査へと流れていくわけですが、何しろ探偵行為が禁じられているゆえ、登場人物たちもそうそう大っぴらに探偵ごっこができるはずもなく、……というところからも、本格ミステリの定石として展開は必然的に抑止されたものとなり全体のトーンは重く、暗いものとなっています。
さらに物語世界の現在から見た過去となる時代には多くの自由があり、ここまで閉塞的な社会ではなかったことが登場人物たちの口から語られることによって「現在」と「過去」が対比され、この物語全体に立ちこめる息苦しいトーンがより強められるという結構ゆえ、アリス式小説世界の瑞々しさを期待して本作を手に取った読者はかなりの違和感に眩暈がしてしまうのではないでしょうか。
スパイの影から二国の冷戦状態がもたらす重苦しくも切迫した雰囲気を盛り上げるとともに、そうした閉塞感に対してささやかな抵抗を試みる娘っ子やボーイたちの活躍を活写する、――というのがおそらくはミステリーYA!に読者が期待する風格ではないかと推察されるものの、本作では物語が進み本格ミステリとしての骨格を明らかにしていくにつれ、そうした若者世代の躍動感よりは、むしろ過去と未来に重ねるかたちで父子の絆を鮮やかに描き出す物語へと変じていきます。
本格ミステリとして見ると、事件の構図においては「もう一つの日本」というパラレルワールドものでありながら、むしろそうした作品としての構成を逆手にとった誤導が際立ち、国家的陰謀としての事件の構図が警察権力ではなく、市井の人である登場人物たちによって読み解かれた結果、真の動機と虐げられた者たちの姿があぶり出されるという構成が秀逸です。
異世界を構築し、その中で本格ミステリとしての趣向を見事に活かした傑作としては石持氏の「この国。」がありますが、本作ではこうした「もう一つの日本」という多重世界の設定は、一見すると本格ミステリの趣向として有効に活用されていないように見えます。
しかし事件の真相が明らかにされた後、最後の最後にある人物が口にする事実こそは、現代本格ならではの技巧の一つであり、探偵行為が禁じられた世界において、ヒロインが探偵行為を行うにいたった端緒はもとより、物語の舞台となっているような閉塞社会においてこうもトントンとうまくいく筈がない展開など、探偵の自由が作品世界においては必然として認められている「本格ミステリ」世界においては没問題ともいえるべき流れを、探偵行為が禁じられているという異世界ゆえに読者が気がついてしかるべき違和感へと変容させ、それがまた「本格ミステリ」として読む読者にとっては大きな盲点となってしまうという企みが秀逸です。
コロシに使われるトリックについては、いかにもテツらしいニヤニヤしてしまうものなのですが、個人的にはむしろこのトリックが探偵行為によって解明された後、アリバイ崩しへと傾斜した刹那、その不可能性から真犯人をイッキに指摘する推理が美しいと感じました。
そして真相が明かされたあと、これがフツーの本格ミステリであれば爽やかな気持ちに落ち着けるところが、探偵行為を禁じられた物語世界においては真相解明がそのまま悲劇となってしまうという残酷な幕引きが待っているところが何とも切ない。
物語の閉塞感に窒息しそうなところを耐えに耐えて爽快な結末を待ち望んでいた読者には何ともでありますが、有栖川氏のあとがきによれば本作は「始まりの物語」でもあり、夜明け前がもっとも暗いという定石通りにこのダークな幕引きに悶々としながら「読者の中で何かが始ま」ることが期待された小説、ということで、ミステリーYA!の中ではかなりの異色作と感じた次第です。ただ、冷戦とかいってもあんまりピン、とこないYA!世代が読んだらまた違った感想を持たれるのカモしれません。いずれにしろ、アリス式ミステリに青春の瑞々しさを期待されている読者ほど、かなりの覚悟で読まれた方がよろしいような気がします。取り扱い注意、ということで。