前作「第九種結局」は、ハードボイルド小説に擬態し、推理合戦の過程で二つの構図が螺旋状に絡み合うというやり過ぎぶりが非常にツボだった秀霖氏の中篇がコレ。前作に比較すると、枚数があるということもあってやや落ち着いた雰囲気で物語を展開させているかと思いきや、そんな様子はマッタクなし、日本でいえばVシネ的な物語が謎解きによって人間不信と人生の虚無を暴き立てるという悲壮感溢れる快作でありました。
物語は朝飯屋の店主をしている野郎が、昔の女で現在は議員と結婚し幸せに暮らしているスケとの間に昔つくった娘の訃報を知ることにとなり、その死の真相を知ろうとするうちにトンデモない陰謀に巻き込まれて、……という話。
もう二十年以上もトンとご無沙汰だった女とその間につくった娘も含めてスケとの過去については冒頭、サラッと語られるのみで、いったいこの野郎がどうしてこうも娘の死に執着してみせるのか、その動機や理由のもろもろがなかなか見えてきません。しかしそんな読者の戸惑いをよそに、野郎はすぐさま議員サンの家に押しかけ、女に会わせろだ何だのと吠えたてるところは完全ドン引き。当然、門前払いと相成るわけですが、それでも男はあきらめず、今度は娘が亡くなったという病院に押しかけ、ここでもまた一悶着。やがて亡くなった娘の死にかかわっていたとおぼしき医者が何者かに殺され、主人公は当然のごとく怪しい輩ということで容疑者リストに加わることとなり、警察に目をつけられることになる。
元カノの現夫が議員さんということもあって、こんな怪しいゴロツキ主人公と妻との間に実は娘がいたという事実はスキャンダルの魅力十分ということで、ライバルの議員側も加わりテンヤワンヤとなっていくのですが、中盤から亡くなっていた娘について意外な事実を知らされ、そこからはドンパチも交えたVシネ風味が炸裂していきます。
正直に告白すると、中盤以降に登場するある人物とこの人物を先導するある人物の策謀は簡単に見抜くことができ、さらには件の病院での人死に絡めたフーダニットもまた、凶器の行方などからその真相にたどり着くには極めてイージーな仕上がりとなっています。
それでもこの作品が面白く読めてしまうのは、各章のタイトルにも明らかにされている通り、登場人物の誰の言葉も信用できないという底知れぬ人間不信が物語の底流にあり、それが最後の最後、件の人死にと娘の死の真相が明らかにされた瞬間、主人公の悲痛な叫びとなって読者に突きつけられるという結構によるもののような気がします。
物語はシンプルな一人称によって展開されていきますが、謎解きのあと、最悪の自己否定によって自らの言動をも反転させ、読者を突き放してみせるという破天荒さは、「第九種結局」の後半で大展開された推理合戦における真相開示を最後の最後で宙づりにしてしまうというパンキッシュな様式を彷彿とさせます。今回はベースをVシネ風の、男の悲壮感溢れる雰囲気で満たそうとしているものの、主人公の唐突に過ぎる行動形態と、自分も含めたこの世界を全否定してしまうという鬱すぎる結末に、パンピーの読者が感動するのは難易度高し、……というか個人的には苦笑してしまったのですが、さらにだめ押しとばかりに「続く」としているところがステキです。
「鬼鈴魂」と「第九種結局」いう、危うい綱渡りのような破綻スレスレの結構を確信犯でやらかしてしまった前作に比較すると、今回は映画的ともいえる定型にしたがって物語が展開されていくため読みやすいところも好感度大。「国球的眼涙」を未読の現状では、それでもやはり個人的には「第九種結局」のパンク・スタイルの方が好みでしょうか。「国球的眼涙」は第一回島田荘司推理小説賞に投じた作品で、帯には皇冠の辣腕編集者にして「アジア本格の母」であるE女史が推薦文を寄せているという一冊ゆえ、近いうちにこちらも取り上げてみたいと思います。