惹句は「最新にして最恐の実話集」。ただ、怖さは人それぞれだしなア、……という事を差し引いてもそれほど怖い話は個人的にはありませんでした。その所以は実話ということよりも、怪異と見せ方が実話であるがゆえに、その怪異の体験を自らの中で咀嚼せずにドキュメントとして記してしまったり、あるいは取材の話をそのまま聞いた通りに並べてしまったがゆえの、――いうなれば技巧の問題であるような気がしているのですが、実際のところはよく判りません。
そんな中、個人的には、「怪談実話系」の卷末に収録されていた「入れ子の人形」の作者、戸神重明氏の「赤い車に関する記憶」は、新耳袋系とでもいうべき不思議な話で印象に残りました。怪異の樣態そのものは写真ネタだし、結構ありふれているとは思うのですが、選考會で福澤氏が指摘している通りに「写真に写っているのが車というのが、意味不明で怖い」。
定番であればここは車ではなくて人の顔とかだろう、と頭で考えてしまうところの期待からの「ずれ」と、この車はいったい何なのか、という不気味さが混淆するかたちでこのような怖さを引き起こしていると思うのですが、このどこか居心地の悪い感覚は、最後の記憶に絡めたオチも效いているような気がするのですが、いかがでしょう。
「入れ子の人形」も、強烈な怪異の樣態とともに、その構成に自分は大変惹かれたのですが、本編も同じで、語りの巧さが他の収録作に比較すると光っているように感じました。
全体的に評価の高い「黒四」もまた、文体も含めた語りの巧さが光る逸品ながら、三輪氏の作品では、こちらより「あなたのうしろにへびがいる」の方がいい。というのも、様々な怪異が最後に伏線であったことが明らかにされる構成がうまいし、敢えてツッコミを入れるとすれば、「これって要するに怪談語りにかこつけたリア充のオノロケ話……だよね?」と苦笑してしまいたくなるところでありまして、このオチは何とも微笑ましい。
怖さというか不気味さという点で面白かったのは、宍戸レイ氏の「壁」で、選考會でもシッカリとツッコミが入っていますが、「膿の間違い」には吹き出してしまいました。何かこれもどこか平山怪談にも通じるネタながら、最後の最後でこの場所がアレだったという事実が、怪異との連關を退けるかたちでやや唐突に明かされるところが怖い。描こうとしていたものの「海」と、この最後に明かされるものは水ということでは繋がりがあるし、何かしらの因縁があったのか、……と読後に読者の想像を喚起するところも秀逸です。
西園寺リュカ氏の「タキシード」は、いくつかの怪異が鏤められているのですが、ミステリ読みとしては、例えば柄刀ミステリでも同じ謎を見たことがあるなあ、という既視感があったりして、この中のいくつかはフツーに種明かしが出来るような気もします。実体驗として、踏切の音や電車の通過音などは、冬の朝であれば、何キロも離れたところの音を聞いたこともあるし、深夜に貨物列車や、あるいは場所によっては寝台列車や臨時列車だって、……なんて色々と推理してしまうのはミステリ読みの性、でしょうか。
それぞれの話の質感はまった異なるゆえ、一冊まとめてオススメというわけにはいかないのですが、個人的には戸神氏の新しい話が読めただけで大満足、実話を条件とした縛りがあるからこそ問われる怪談の技巧というものについて色々と考えたくなる一冊でありました。
[05/11/10: 追記] あの怪異は、折原氏の作品ではなく、柄刀氏の某作でありました。訂正。