あの美術探偵、神永が帰ってきたッ! みたいな惹句であおり立ててみたいものの、門井氏の最近の作品に比較すると、シリーズ前作となる「天才たちの値段」はややマイナー、――というか、自分も「人形の部屋」の素晴らしさで門井氏を知り、そのあとで手にとったというものでありますから、そもそも神永の存在を知らない方が結構いるのではないかと推察されるのですが、いかがでしょう。
シリーズ二作目となる本作では、神永は確かに活躍するものの、「値段」の派手さに比較すると、今回は隱密裡に行動して、その行動の背景に超絶技巧を凝らした作品など、現代本格としても非常に読み所の多い一冊となっています。
収録作は、本当にお偉いさんの隠れた作品なのか、という眞贋の謎かけそのものに、このシリーズならではのずらした真相が際だつ表題作「天才までの距離」、文庫本の例の紋樣からあるブツの実作者の眞贋推理にいたるまで、ある人物の隠れた操りにモチーフの連関という構築美が光る傑作「文庫本今昔」。
神永の舌の能力の底力とひめやかな愛を美しく描き出した佳作「マリーさんの時計」、レンホーもかくやとナーンセンスな売國女と奇天烈娘との熾烈な舌戦に、ある人物の超絶な操りと采配が際だつ「どちらが属国」、語り手のある人物への思いをレンブラントの光に託して描き出した幕引きがシリーズものならではの極美へと昇華された逸品「レンブラント光線」の全六編。
本シリーズの場合、神永の舌に託して、ブツの眞贋推理が想像の斜め上を行く真相を導き出す、という結構ながら、実をいうとある種の定型があって、「果たしてこのブツは本当にAが書いたものなのか否か」という謎に対して、「確かにAが描いたものじゃないケド実は……」みたいな「ずらし」が極上の妙味を醸し出しているのが表題作「天才までの距離」で、このあたりは実をいうと、前作を讀了済の読者にしてみれば、ちょっとした前菜みたいなもので、門井氏の超絶技巧が発揮されるのはそのすぐあとに続く「文庫本今昔」から。
「文庫本今昔」は、大阪に引っ越した語り手が、あるブツの真贋問題に件の人物の落ち込みの所以を絡めて語り出すという展開ながら、ここでは神永を中立的なところに配して、件の語り手の機転を利かせた行動が推理の序盤で明らかにされるという展開が面白い。もちろんある真相をあっさりと開示して、それまでのはっとする流れをイッキに裏返してしまうという見せ方も勿論あって、そこからブツの真贋に対して意想外な真相が明かされるという結構も見事なら、個人的には大阪の地ならではの「大阪の街なみの持つ美的感覚」を隠れたモチーフにして、テーマと巧みに繋げてみせた構図が素晴らしいと感じました。収録作の中では一番好きな作品です。
「マリーさんの時計」では、真贋を見極めるブツが時計とあって、果たして神永の舌が見る真贋は、美術品だけではなく「メカ」にも通用するのか、もし通用するのであれば、その真贋の意味するところは、――というこのシリーズの設定に絡めた謎の提示がまず面白い。そしてブツとなる時計をプレゼントにした意味と、そこに託されたある人物の心情を、真贋推理によって解き明かしていくという見せ方がいい。
「どちらが属国」では、「文庫本今昔」でも、さらりと描かれていた現代本格ならではのある趣向を、神永の超絶技巧に託して描き出した逸品で、あるブツをネタにして、日本は中国の属国なのか、はたまたその逆で中国が日本の属国なのか、みたいな、一見すると民族色も濃厚になりがちな論争の流れを、レンホーみたいな指弾ババアと本作のヒロイン(?)である奇天烈娘との、――いわゆる「女同士の戦い」という俗っぽい色を添えて描き出したところが笑えます。
絵という芸術の審美眼を必要とするところを端緒としながらも、そこに用いられているものの技巧そのものも含めて、どちらが凄いか、みたいな熾烈な論争をみせながら、その実、この論争そのものが実は、……という真相もステキだし、何よりこの細やかな操りを「棋譜」にたとえてみせたところも面白い。推理によって明らかにされる真相は勿論のこと、その推理の「流れ」や「見せ方」に新味を持たせたところなど、昨年リリースされた現代本格では一番ブッ飛んでいた「うまや怪談」を彷彿とさせ、個人的には好感度大。
最後の「レンブラント光線」は神永の父親のことなどが物語の構図にさりげなく盛り込まれ、最後の最後にタイトルにもなっているレンブラント光線によって語り手の想いをしっとりと描き出したところなど、書き下ろしにしてシリーズものならではの愉しみどころを押さえた風格がいい。真贋推理に関しては、収録作の中では描かれている「もの」に焦点を当てた、――このシリーズのものとしてはオーソドックスなもので、明かされる真相もシリーズの定型に則ったスマートなものになっています。
「人形の部屋」に見られた超絶ペダントリーはやや控えめにしながら、モチーフを透かした構図の組み立て方や、推理の見せ方そのものに趣向を凝らした風格は、門井ミステリのファンであれば文句なしに愉しめるのではないでしょうか。外連という点では前作「天才たちの値段」のほうが分かりやすく仕上がっているものの、構図に込められた技巧の数々ではこちらの方が上、でしょう。個人的には「人形の部屋」「天才たちの値段」と並ぶ、お気に入りの一冊になりそうです。