平山氏の最新長編、――といいながら結構、一月以上前に刊行された作品です。「メルカトル」「ミサイルマン」と超絶な短編によって開陳される平山ワールドに比較すると、長編である本作の作品世界は一見するとややフツーに見えてしまう、……とはいっても、バカ女がどうにか命を救われて辿り着いたところが殺し屋常連の奇天烈食堂、という展開はまさに平山氏ならではのトンデモなさ。
冒頭、いかにも今フウのバカ女がセレブ気分を満喫したいばかりにヤバい仕事に手をつけた挙げ句、殺されそうになるという展開は期待通りで、そこから殺し屋だけの会員制食堂にどうにか雇われることになる。「メルカトル」以降の平山ワールドであれば、女もまた鬼畜的世界へと堕ちていくか、最後にはこの世界に隠された驚きの構図がこの語り手の存在に絡めて明らかにされるという幕引きが期待されるものの、本作では、短編では仕掛けとして見られた驚きはあえて退け、鬼畜世界を覗き見る視点として語り手のバカ女を配置するとともに、世界を語る者の美しい成長譚として描き出した結構が素晴らしい。
冒頭に描かれる女のバカぶりは実話怪談は勿論のこと、平山ワールドでは定番のものながら、殺し屋が跋扈する鬼畜世界へと投げ込まれるや、そうしたノータリン女という設定は完全に無化され、冷酷非道ながらロジカル思考を持った定食屋主人と丁々発止の命のやりとりが演じられるという展開が面白い。
SF的趣向に突き抜けた「ミサイルマン」収録の短編などとは異なる、平山式「日常」を舞台に、世界の「裏」の人物たちが活写されるという物語は傑作「メルキオール」を彷彿とさせます。しかし「メルキオール」では主人公が、異様な世界の住人でありながらもある種のアウトロー的存在であり、世界を観察するものという、「おろち」フウの立ち位置を崩さなかったのに比較すると、本作では語り手のダメ女は主人との丁々発止のやりとりと殺し屋との交流を通じて、次第に異様な世界に巻き込まれていくとともに、力強く成長していく過程が美しく描かれていきます。
「メルカトル」「ミイサルマン」にも通底する、異常極まる世界における人間の悲哀と繋がりに焦点を合わせた結構の中へ、連作短編ふうに魅力的な殺し屋を登場させ、徐々に世界の背後に隠された秘密が明かされ、最後に大盛り上がりを見せるという作風も、世界の存在に絡めた反転などを最後に凝らした切れ味重視の短編に比較すると、やや緩く感じてしまう読者もいるかと推察されるものの、……確かに「メルカトル」「ミサイルマン」こそ平山ワールドの真骨頂と感じている方であれば、本作における、SFやミステリというよりはノワール風のフレーバーを鏤めたフツー恋愛小説的な風格にはやや複雑な感想を持たれるかもしれません。
しかし、これは寧ろ、連城ミステリのように長編と短編の違いと認識するべきで、「SINKER」「メルキオール」からの平山ファンであれば案外スンナリと受け入れられるのではないかと思うのですが、いかがでしょう。また、A級からZ級まで、メリケン映画のテイストがそこここに感じられるシーンや展開などは「SINKER」ではお馴染みのものでもあるし……と、実話怪談からデルモンテ平山、そして「SINKER」「メルキオール」から「メルカトル」「ミサイルマン」を通過した作品世界としては必然ともいえる、本作の「成長」は旧来のファンであれば容易に受け入れられるかと思います。
もう一つの注目点は、平山ワールドならではの毒の調合方法がやや異なっているところでありまして、従来であれば、ウップオエップとなるような鬼畜シーンをふんだんに凝らし、一見して毒と判るような劇薬を読者の前に開陳し「この毒毒しい色がダメなら引き返した方がいいヨ」と親切な看板を掲げていたところ、本作では、語り手の「成長」という「癒し」の主題と奇天烈な「ラブ・ロマンス」というオブラートに包んでその毒の効用を隠蔽しているゆえ、青酸カリ的な劇的効果こそないものの、読了したあと、果たして語り手のヒロインの「成長」という昨今流行の「癒やし」の幕引きと、通過地点であった「世界の歪み」とのギャップからもたらされる毒性がじわじわと効いてくるという遅効性の逸品ゆえ、フツーの本読みの方にも平山ワールドの魅力を多く知ってもらうという意味では、非常にオススメできる一冊といえるのではないでしょうか。