傑作。ただ、前作に比較すると、「一見」ごくフツーの本格ミステリとしては「弱い」ように感じられてしまうという構造に、――おそらくは現代本格の骨法を意識しながら意図的に――仕上げてあるため、人によってはあんまりピン、とこないかもしれません。このあたりについては後述します。
収録作は、音楽室への侵入者とある一人の娘っ子の不可解という二つの「謎」を並置させる「謎の分散」と一点の真相を開示する構図の見せ方に外連が光る「スプリングラフィ」、地学研究会にまつわる謎を前面に押し出しつつ、その背後に隠されたもう一つの謎を後景に並置させる「謎の隱蔽」によって劇的な構図を見せる「周波数は77.4MHz」。
三度も行われた不可解な席替えに転倒したフーダニットの趣向を添えて、推理イコール、極上のセラピーというこのシリーズならではの「泣きの本格」の風格をイッパイに押し出した傑作「アスモデウスの視線」、ファンタジーが入りまくった昔の初恋話の背後に隠された隱微な事件の顛末を描き出した「初恋ソムリエ」の全四編。
本作に収録された四編のうち、探偵君の真相開示によって「劇的」という言葉をつけてもいいくらいに涙腺を刺激する人間ドラマを持たせた作品は「周波数は77.4MHz」と「アスモデウスの視線」くらい、という一冊ゆえ、後半の劇的な展開で本格ミステリファンを驚喜させつつ「泣かしてくれなきゃ小説じゃないッ」という昨今の大波に乗って出版界を「癒し」一色に染めてしまった「女子」をも満足させてくれた前作「退出ゲーム」に比較すると、本作は一見すると、たとえば「謎解き」「伏線」といった、本格ミステリにおいては基本中の基本でもあり構成要素の中でも最も重要なもののひとつとされている部分が希釈されているゆえ、その点をもってして「ゲラゲラ。やっぱり二作目は凡作に成り下がったな」という感想を持たれてしまう方がいるかもしれません。
確かに「謎解き」が弱くなっているという点については自分も同意は出来るものの、その点だけで本作を「退出ゲーム」よりも下、というふうにしてしまうのはどうかなア、と感じた次第でありまして、本作には前作とはまた違った、現代本格ならではの実験的要素もシッカリと盛り込まれている一冊ゆえ、原理主義者ではない現代本格のファンではあれば、やはりそのあたりの妙味をシッカリと堪能しながら愉しみたいところです。
最初を飾る「スプリングラフィ」は、収録作の中ではもっとも気楽に読める一編ながら、なぜこうもすらすらっと讀み流せてしまうのか、という点について少しばかり考えてみると、気楽に読める背後には、現代本格ならではの戦略が見えてくるわけで、――これは本編のみならず、収録作すべてに多かれ少なかれ感じられる趣向でもあったりするわけですが、簡単にいってしまうと、本作は本格ミステリの構成要素「謎の提示」「推理」「真相開示」というなかでは「推理」の側面とそれに伴う要素をやや薄くして、「謎の提示」の部分に最大限の仕掛けを凝らしながら「真相開示」によって明らかにされる構図の見せ方に極上の外連を持たせた作品集といえるのではないでしょうか。
「スプリングラフィ」では、冒頭、さりげない会話から明かされる謎の樣態は音楽室への侵入者へとフォーカスされており、これだけではそもそも謎としても弱い、というか、日常の謎にさえなっていないような緩さながら、その後に次々とエピソードとして流されていく様々な謎、――たとえばクラリネットを吹いている件の娘っ子はどうしてスランプに陥ったのか、などそうしたものはあまりにさりげなく語り「流されて」いき、それが「伏線」なのか「謎」なのかさえ曖昧なまま、後半、やや唐突なかたちで娘っ子への「死刑宣告」が開陳されるという結構となっています。
この物語では、冒頭に音楽室への不審者の「謎」を提示しながら、そのあとで娘っ子のスランプというもうひとつの「謎」を並置するかたちで読者に示しつつ、最後にその二つが、探偵のたった一言のつぶやきから心の内で語り手が「推理」した真相によって連関されるという結構を持っています。
殺人が起きなければこれすべて日常の謎、――のような昨今の緩い日常の謎系の作品を読むにつけ、本格ミステリといえども、「謎」の樣態がハッキリしていて冒頭に描かれた謎の外連でまず読者を惹きつけるという、本格ミステリとしては基本中の基本の構造にも見直し、……というと大袈裟ですが、そうした基本構造を改めて、高度な技法を内包しながらもそうした技巧を悟られない洗練された風格が現代本格に求められているような気がするのですが、いかがでしょう。
そのように考えてみると、「五十円玉二十枚の謎」に代表されるような、日常の中で発生した明らかに不可解な状況「そのもの」が持っている魅力によって読者を惹きつける手法を敢えて採らずに、音楽室への侵入者と娘っ子のスランプというふうに、一見すると本格ミステリ的な謎にさえなっていないような「謎」を並置し、連関によって現出する構図の見せ方に注力した本作の場合、意図的に「謎」の強さを二つに分散して並置することでさりげなさを装っているという戦略が見えてくるわけで、構図の見せ方という外連の強化を狙った結果の副作用として、本格ミステリとしては重要な中間点となる「推理」が弱くなってしまったのかな、という気がします。
ただ、個人的には構図の見せ方を強化するという「戦略」においてははこうしたやりかたも現代本格では十分にアリかな、とは思うのですが、原理主義的な視点からしか現代本格を読むことができないマニアにはやや納得出来ない一編といえるかもしれません。
謎の分散は同時に、二つの謎が一方に重心を置くと、もう一方は隠された構図を明らかにするための伏線へと転じるという面白い効果が見られることが本作の結構を精査していくと見えてくるのですが、ちょっとこの一編だけでもいささか多くを語りすぎたので次に進みます。
「周波数は77.4MHz」も、複数の謎を並置し、その重心を作中で遷移させていくことによって劇的な構図の開陳を行う、という趣向の光る一編で、語り手がお気に入りのラジオ番組に微笑ましいエピソードを添えて、この番組に「隠されている」「謎」を読者に気取らせないという戦略がいい。
こうした「謎の隱蔽」は同時に真相開示による構図の現出による外連を非常に効果的に見せるという反面、上にも述べた通り、その中間點となる「推理」の要素が弱くなるという副作用も持っているわけですが、本編の場合、隠された宝石のトリックなど、原理主義的視点からも「トリック」単体として評価できる要素をシッカリと添えてあるところが好印象。またこの真相によって、「スプリングラフィ」がこの作品のプロローグであったことが明かされるところなど、何となく「1/2の騎士」と構造が似ているところも面白いと感じました。
個人的に収録作中、一番のお気に入りは、「アスモデウスの視線」で、三度にわたる席替えと教師の謹慎の背後にある真相はいかに、という物語ながら、タイトルにもあからさまなかたちで仄めかされているあることから正直、席替えの謎はほとんどの読者が中盤で見抜いてしまうのではないでしょうか。
実際、自分もそうだったのですが、これがむしろ作者が凝らした素晴らしい仕掛けでもありまして、この「犯人」搜しというフーダニットが教師の謹慎の真相を推理していく過程で、まったく違う「あるもの」、――ネタバレせずに語るとすれば、言葉はちょっとヘンなのですが、「転倒した」フーダニットへと変ずるという趣向が素晴らしい。
そして、探偵が謎解きをしているまさにその場所で、この「転倒した」フーダニットの帰結が、これまでに席替えと謹慎処分という「謎」解きの過程ではまったく語られていなかったある人物へと旋回していくという結構、さらにはそれがまた極上のセラピーとなっているというこのシリーズならではの、謎解きイコール、セラピーという趣向が最大限に発揮されているところにも注目でしょう。
「初恋ソムリエ」は、その緩すぎる「キュート」なタイトルからは予想も出来ないようなダークな真相が明かされるという点では収録作中、やや異色に感じられる一編です。初恋の味を「初恋ソムリエ」という名の興信所に依頼した一件が、ファンタジーっぽいエピソードとして語られた初恋物語の謎解きによって黒い事件へと転ずるという結構は、幻想的な謎を論理によって解体するという本格ミステリーの基本的骨格を、昨今の緩ーい「癒し」の風格を際だたせた日常の謎系へと変奏させたもの、というふうに見ることもできるカモしれません。
ファンタジー初恋物語の奧底に隠されていたエピソードの「事件性」が語られながらも、それが「初恋」という幻想であるがゆえに、登場人物たちの現在からは分断されているという構図が、何となくすっきりしない、ふわふわとした読後感を持たせるという異色作で、確かに作中でも言及されている通り、初恋ソムリエはオモイデマクラにも通じるトンデモぶりながら、オモイデマクラのような明快さを退けた構図と読後感を敢えて除けているところが興味深い。
「本格ミステリは一に推理、二に推理、三四も推理で、五も推理」と、コ難しい哲学やら社会学やら何やらボンクラにはサッパリ判らないような専門用語と引用文をタップリ凝らして「推理が駄目なら本格ミステリとしてもダメ」としてしまう昨今の評価軸からすれば、推理の部分が一見すると弱く感じられる本作は「本格ミステリとしては前作より後退している」というフウにいわれてしまうのカモしれません。
しかし、本格ミステリのもうひとつの重要な構成要素のひとつである「謎」について、本作ではどのような技巧を凝らしているのか、――そうした部分と、推理が弱く感じられる外観との必然性を意識した現代本格的な読みが求められる一編ながら、一方、そうしたところを離れて、「ったく。そうやってマニアにおもねっているだけじゃ本は売れないんだよっ。「女子」の市場も狙うとすれば、むしろガチッぽい本格ミステリの見てくれは回避して、普通で軽めの青春ミステリに擬態しないと売れないっていうのが、どうしてマニアの皆さんには判らないかねえ……」というような編集者氏の嘆きも感じられるわけで、そうしたところにも目を配りながらの深い読みをプロの評論家の方々には期待したいところです。
個人的には前作同様、非常に愉しめた一冊ながら、「本格ミステリとして」現代本格を読むときの柔軟性を求められるという点では、前作からのファンであればあるほど評価が分かれるような気がします。