傑作、といっていいものか迷いはあるものの、個人的には胸に突き刺さる読後感からまたいつか讀みかえすであろうと思わせる物語で、堪能しました。
物語は古本屋でバイトをする凡人君が、店を訪ねてきた美女からとある小説を捜してもらいたいという依頼を受け、それを追いかけていくうちに彼女の父が関わっていたある事件を知ることになり、――という話。
凡人君が女性の依頼を受けて探すことになる物語はリドル・ストーリーで、彼女はその結末となる「最後の一行」を知っている。で、物語が発見されるたびにその内容が引用され、「最後の一行」が明かされていく、――というふうにラスト一行にこだわった構成から「儚い羊たちの祝宴」のジャケ帯にあった煽り文句を思い出してちょっと鬱になってしまったのですが、本作ではそうした「ラスト一行」に読者が過剰な期待を寄せないよう、凡人君が物語を探していく過程はある種、非常に淡々と描かれています。
リドル・ストーリー探しを中核に据えながらも、本作は過去の事件の真相を追いかけていくミステリでもあるわけで、中盤あたりからこの過去の事件の事実が明らかにされたところで、読者としてはそれが自殺なのか他殺なのか事故なのか、そうしたコロシの「謎」とその「真相」の解明を期待してしまうのですが、本作が面白いのは、そうしたミステリとしての定型的な「謎」に読者の関心を過度に引き寄せることもなく、リドル・ストーリーと過去の事件との間で絶妙なバランス感覚を維持しながら物語を展開させているところでしょうか。
ラスト一行という言葉に示される「真相」はリドル・ストーリーの全体によって表現される「謎」と対置されているため、それは本格ミステリの趣向とはやや異なり、その二つを連関するものとしての「推理」の趣向は希薄です。しかしその一方、物語全体の結構を俯瞰すれば、五つのリドル・ストーリーの「謎」と「真相」をシャッフルし、いずれの「謎」がいずれの「真相」と結びつくべきなのかを「推理」していく過程で凡人君の「推理」が展開され、それが過去の事件を物語の表層へ浮上させるための仕掛けとなっているという考え拔かれた構成が素晴らしい。
また、凡人君の立ち位置が青春時代を脱し切れておらず、また「物語」の「主人公」にもなれないという絶望的な運命を決定づけられている中で、どうにかしてリドル・ストーリー探しという「探偵」的行為によって「この(追想五断章)」物語の主人公としての地位を獲得しようとする過程が淡々と描かれながらも、そこは「秋期限定栗きんとん事件」の作者である米澤氏のことでありますから、そうそうアッサリと物語が心地よい癒しの方向へと流れていく筈がありません。
「探偵」的行為を続けていけばいくほど、過去の事件の真相が明らかにされていき、「主人公に押し上げられた男の物語」の輪郭がはっきりとしていき、それとともに自らが凡夫であることを突きつけられるという非情。「秋期限定栗きんとん事件」に比較すれば、まだ最後の最後まで凡人君が「登場人物」として本作の舞台にとどまっているゆえに、黒米澤としての風味は薄味ながら、それでも「謎―推理―真相開示」という結構がしっかりとしたかたちをなしていくにつれ、「この(追想五断章)」物語の舞台で光を当てられていた主人公が過去の事件の物語の影に壓倒されていくというふうに、――登場人物の内面描写を細密に描写するというよりは、小説としての構造によって主人公の立ち位置を剥奪していくという仕掛けが新鮮で、最後の真相開示によって過去の事件の中核にいた人物と「リドル・ストーリー」の「最後の一行」が重なる結末が見事に決まっているところも秀逸です。
また、本格ミステリの結構を見れば、「謎」「推理」、そして最後の一行を典型とする「真相」という、その構造の根幹をなしている三点への比重が、物語の進むにつれ遷移していく展開が美しく、「リドル・ストーリー」を追いかけていく前半では、その内容と結びつけられる最後の一行である「真相」に重きが置かれ、それが過去の事件が明らかにされていくと、今度は過去の事件という「謎」から、その作者がどうしてこの小説を残したのか、という心理に焦点を当てていくとともに、探偵の「推理」が進められていきます。
後半にいたって、作者の真意が明らかにされると、またもや「真相」と「謎」の比重は転倒して、過去の事件の「推理」が行われていくというふうに、本格ミステリとしての「謎」を前面に押し出すことなく、それを小説探しという流れのなかから浮上させるような書き方をしているからこそ光って見えてくる真相の苦さもいうことなし。
確かにこの苦さと非情は「ボトル・ネック」にも通じる気がするものの、個人的には本格ミステリとして「探偵」的行為の視点から「秋期限定栗きんとん事件」と比較した読みを試みるのがオススメ、でしょうか。