そろそろ積読状態の本やら読んでもここでは取り上げていない本やらを片付けていかないといけない、――というわけで、まずは道尾氏の新作短編集から。真備シリーズということで、道尾ミステリ的な強度の誤導を効かせた超絶な物語よりは、仕掛けの方はやや控えめにしながらも、真相開示によって人間の心の奥の奥に光をあてるという、これまた道尾ミステリならではの優しさが光る好篇を集めた一冊で、個人的にはかなり好み。「鬼の跫音」よりはこちらの方が道尾氏らしくていい、という人も結構いるのではないでしょうか。
収録作は、道尾ミステリならではの隠蔽の技法によって、心をえぐるような悲哀を最後に明らかにする構成が完璧に決まった傑作「流れ星のつくり方」、タイトルにも添えられたあからさまな「あるもの」から軽やか誤導を発動させ、幻想ミステリともいえる奇妙な味へと落ちる「モルグ街の奇術」。
怪異の解体から子供の心の綾を繙いてみせるやさしさに溢れた佳作「オディ&デコ」、ヤバげな新興宗教教団での顛末に、これまたあるものの思惑を隠蔽した事件の記述にうまさが光る「箱の中の隼」、ささやかなトリックを添えながらも、物語の力点を弱き人間の心の揺らぎにあてて上質なミステリへと昇華させた「花と氷」の全五編。
正直、「流れ星のつくり方」だけでもこの作品をまだ未讀の方には買いの一冊ながら、この物語の素晴らしさについては過去のエントリでも述べているので割愛します。「モルグ街の奇術」は「奇妙な味」的なオチも添えて、唐突な謎かけからミステリ的な反転まで、短編としての無駄のない構成と、タイトルに隠された「あるもの」の誤導を推理に活用するところなど、――強度の誤導をその結構に組み込まなくとも、様々な本格ミステリとしての技法を駆使して人間心理を描き出す道尾ミステリの真髄を堪能できる一編です。
バーのカウンターで飲んでいると、奇妙なマジシャンから声をかけられ、「あるもの」を消した謎を解いてみろ、と持ちかけられた真備と道尾は、――という話で、その消したものというのが自分の手首というところから、男はかつての探偵小説では定番のキ印的人物ながら、男の壮絶なマジックに添えられた手品的な誤導の技法が素晴らしい。
実際、作中の道尾は見事といってもいいくらいにタイトルにも添えられた「モルグ街」という言葉通りに、「あるもの」を使って手首を消したという推理をしてみせるのですが、いったん否定されたこの推理が再びかたちを変えて真相に到るための推理へと活用される過程も素晴らしければ、こうしたあからさまな誤導のほか、「あなたはマジシャンの得意技の一つを使った」(77p)と真備が指摘して見せたもうひとつの技法の方が常人には遙かに難しく、これを見事にやり遂げてしまった男の狂気には戦慄してしまいます。
また、動機についても、ここまでの状態に陥りながらこの理由だけでこうした「マジック」を試みるという逆説的な歪みも素晴らしく、物語全体に凝らした誤導を用いなくとも、その誤導をすべてマジシャンの男に託してひとつの「事件」を描き出す過程で人間の心を活写してみせるという構成が秀逸です。
「オディ&デコ」は猫の幽霊を見た、というささやかな怪異がミステリ的な謎として提示されるものの、語りの力点はトリックそのものよりも、ここでもやはりその謎を解明する過程で立ち現れる人間心理に置かれています。「花と氷」と同様、ここでも子供の心理に着目してある人物の発言や振る舞いの真意を説き明かしてみせる推理の流れが美しい。
「箱の中の隼」だけは、結構大袈裟な事件が発生するという一編ゆえ、ある意味、収録作の中では浮いている感じがなきにしもあらず、――ながら、「背の眼」から「骸の爪」といった長編の系譜から考えると、真備シリーズとしてはこちらの方が本流なのカモしれません。
物語はとある新興宗教の施設を真備のかわりに訪れることになってしまった道尾がとある事件に巻き込まれ、……というお話で、道尾の視点からは見えていなかった隠された人間関係と、道尾がここを訪れるにいたった経緯の背後で進められていたあるものの企図などがいっきに解き明かされるという結構がいい。ここでも、強度の誤導によって読者の強引に真相とは異なる方向へと誘うという道尾ミステリならではの技法は控えめです。誤導の彩りはあるものの隠された意図の中へ見事なまでに埋め込まれてしまっており、それがある種の淡泊な印象を残しつつも、短編ならではの軽さを見せているところもいい。
「花と氷」はある人物の仕掛けたトリックなど、本格ミステリとしてそのトリック単体だけを見れば非常に懐かし風味溢れるものながら、ここでもそのトリックを眺めているだけでは決して見えてこないある人物の慟哭を、ささやかな「気づき」から繙いていく推理が悲哀を誘います。「オディ&デコ」と同様、子供の心の動きに着目したトリックが活用されているわけですが、それでも決して「犯人」が暗黒面へと落ちない風格が優しい余韻を残すところは好印象。
「鬼の跫音」のように本格ミステリ的な結構と技巧を活かした黒道尾もツボながら、誤導祭りとでもいうべき強引さに頭がパニクってしまった「龍神の雨」のあとに読む一冊として本作は大いにオススメしたい一冊でありまして、号泣というほど激しい方向へは流れずにやさしさを添えて幕とする風格は、「もっとモット泣かせてよ!」とスイーツ女に要求されるまま「泣ける」「癒やし」小説へと流れるばかりの昨今の風潮とは相反して、非常にスタイリッシュに感じられました。
ミステリとしてのトリック「そのもの」ではなく、その「トリック」によって「何を描くのか」というところに力を注いだ風格ゆえ、そうした意味ではトリック偏重主義者であるミステリ・マニアの「読み」の力が試される一冊ともいえるかもしれません。