これは非常に綺麗なかたちで騙されてしまいました。正に「別名義で、評論ライター・シナリオライター活動を行っている」女史の「評論ライター」としての研究成果が見事、実作に結実したとでもいうか、そうした意味でも非常に興味深い一冊です。
あらすじを簡単に纏めると、「汝は人狼なりや」というカードゲームを仲間で始めたガキンチョどもがリアルの殺人に巻き込まれてしまい、――という話。
ジャケ帯に「衝撃の小学校ミステリ」とある通りに、事件に巻き込まれるのが小学生ながら、このガキンチョどもが当世の小学生らしいコマッしゃくれた性格で、特に探偵役となる杉田くんのおマセぶりはかなり異常。あまりに大人びているものだから、事件が発生した途中で仲間からも犯人じゃないノ、疑われてしまうのですけれど、こうしたガキンチョどものオマセぶりも勿論本作の仕掛けに絡んでおり、女史の評論ライターとしての研究テーマでもあるアレの「仕込み」も盤石です。
はぐれもののボーイを仲間に誘って始まった「人狼」ゲームが、やがてウサギ事件をきっかけにリアルのコロシへと流れていく展開にはサスペンスを軽く添え、「人狼」ゲームのルールを基づいた事象とその枠外の規範から生じる奇妙な「ずれ」から犯人を限定していく中盤から推理も素晴らしい。ガキンチョたちがお互い疑心暗鬼になって犯人捜しにのめり込んでいく様にも何だかよくわかんねーけどこれってヤバくない? みたいに感じる小学生だからこそのリアルが感じられます。
ゲームを実際のコロシに盛り込んだ本格ミステリというものは往々にして、時にゲームに翻弄される登場人物たちの振る舞いを俯瞰した場合、そうした「設定」そのものに違和感を覚えてしまうものもなきにしもあらず、なのですが、本作ではガキンチョが件のゲームの登場人物であるという設定によって、そうした違和感をうまく脱色させているところが面白い。
またロジックの組み立て方に目をやると、探偵役であるおマセボーイが「人狼」のルールと実際に発生した事象を照らし合わせて、そこに生じている「ずれ」に着目しながらゲームの枠外へと視点を移していくという流れが秀逸で、これによってゲームの内部で発生しているある不連續性を暴き立てていくという推理の展開もいい。
この不連續性が本作の事件の構図のひとつのキモでもあり、ボーイによって真犯人が明かにされた後の犯人のモノローグと、この不連續な事象の構図の中心にいた人物の告白が最後の最後で重なり合うという趣向が秀逸です。特に後者の不連續性がゲームのルールからの逸脱によって発生したことが明かされた瞬間、探偵の勝利が一轉して何とも後味の悪い幕引きへと繋がるところなど、女史いわく「ミステリともサスペンスとも名づけにくい、奇妙な味」を醸し出しています。
しかしつい最近読んだこの作品しかり、どうも自分はフーダニットの趣向において「仕込み」の段階で大胆な仕掛けを施した作品にはあっさりと騙されてしまうようです。本作も真犯人が明かされたあとに読み返してみれば、確かに冒頭から感じていた違和感の所以についてもなるほどと膝を打つことしきり、この作品と、女史の研究テーマを結実させた本作とでは仕掛けのかたちは異なるものの、盤石な「仕込み」によって読者を誤導させる技法の巧みさには關心至極でありました。
今回はキメラと違って師匠が不在ゆえ、「グヤオオオオィィィイイイイイ!」や「グヘェエエ!」「チックショウオオオォォォォォッ!」はナシ。しかし「ルームシェア」の探偵が目つきの悪いヤワラちゃんというアレ過ぎるキャラだったのに比較すると、本作に登場する女の子は総じてごくごくフツーに綺麗な娘っ子だったりして、「女ならではの悪意」とも取られかねない女性キャラへのイヤっぽい視点はナッシング。だとすると、案外、目つきの悪いヤワラちゃんという探偵の設定も師匠からの提案だったりして、なんていうふうに考えてしまうんですけど、実際のところはどうだったのか興味のあるところです。
今回も「別名義で、評論ライター・シナリオライター活動を行っている」と書いているのみで、千澤のり子の別名義というのが羽住女史なのかどうかは判然としないものの、仮に千澤のり子の正体が羽住女史だとすれば、まさに女史の評論家としての研究テーマが実作へと結実した作品ともいえる譯で、「ルーム・シェア」のあのトリックも「これが羽住女史だったらどんなふうに書いたんだろう」なんてところに興味津々だった自分としては、非常に美味しい一冊でありました。讀了後は再び冒頭へと立ち返って、摩耶氏のアレとか三津田氏のアレとか様々な作品と比較しつつ、本作の「仕込み」とその仕掛けを堪能しながら再読するのも面白いと思います。